コイビトバトン
(6)
元親は、白いマンションを見上げている。
今日元親は政宗から、昨日元就を家まで送っていったことを聞いた。昨日はほとんど一日中保健室にいたらしいぜ、と政宗は付け加えて教えてくれて、けれど元親は、そうか、としか返せなかった。
政宗は、興味津々な様子で「アンタたちどうなってんだ?」と聞いてくる。元親はじろりと政宗を睨んだ。
「知らねぇ。俺が聞きたいくらいだ」
「ふぅん」
元親の前の席に勝手に座って、机に頬杖をつきながら、あの人、オレたちと同じ歳だよな?と急に聞く政宗に元親は片目を瞬いた。
「・・・そりゃ、そうだろ?なんでそんなこと思うんだ」
「だってよ。実際話してみると、妙に落ち着いてて達観してて面白くねぇか、アイツ」
「・・・・・・」
「そのくせ、自分のことわかってなさそうだ。頭いいのに、どっか抜けてるっぽいぜ、なァ?」
「・・・・・・」
「Very interesting. 興味湧く人には違いねぇな」
「・・・お前、なんでそんな、元就を」
何か薄暗いものが胸に渦を巻く。そのことに気づいて元親は舌打ちした。それは自分に向けたものだったが、政宗は別の意味に取ったのだろう、苦笑しつつ首を左右に振る。
「Oh my,別に横恋慕してんじゃねぇぜ?・・・単純に面白いなぁと」
元親は少し俯いて黙り込んだ。気を悪くしたか?と肩をぽんと叩いて、政宗は自分の席に戻っていく。元親は長い溜息を吐いた。
政宗の感じた元就への印象を、元親は今までにあまり感じたことはない。胸に溢れる薄暗いものはきっと、焦りだ。
悔しいと、思う。
昼休み、ぶらぶらと元就の教室へ来た。覗き込んだ途端、出てきた浅井とばったり鉢合わせて元親はらしくなく慌てた。
浅井もそうなのか、露骨に嫌な顔をした。
「何用だ、貴様」
元親は浅井から取り敢えず視線を外した。長身を伸び上げるようにして教室の中をぐるりと見渡す。
「・・・毛利、今日、休みか?」
「毛利?そうだが」
「そっか・・・風邪かなんかか?」
「理由は、私は知らぬ」
浅井は素っ気無く言って、どけというふうに元親を押した。さっさと立ち去るのかと思ったら急に立ち止まる。
「・・・なんだ。用か、市」
不機嫌な声に元親は振り返った。いつの間にか市子がそこにいて、おどおどと上目遣いに浅井を見ながら手に持った封筒差し出した。にいさまから預かっていたの、朝渡そうと思ったんだけど会えなかったから。そう言う市子に、浅井はふんと一瞥をくれると些か乱暴にその封書を市子の手から取った。
浅井が書面に目を通す間に市子は元親の存在に気づいて、少しはにかんだように笑った。元親がほんの少しだけ会釈を返すと、荒っぽい浅井の声がそれを遮るように、分かった、もう行けと告げた。
市子は悲しげに目を伏せて、小さく頭を下げると歩き去る。やっぱり今日もほんの少しびっこをひいていた。
「貴様も、もう戻れ。邪魔だ」
浅井の尊大な物言いに元親はむっとした。
「おい浅井。お前、昨日も今日も織田と一緒じゃなかったよな」
「・・・それがどうした。よく知っているな貴様」
浅井は卑屈に笑ったようだった。
貴様には関係なかろう、とそっけなく言う。元親は思わず食い下がった。
「あの子足ひねってまだびっこひいてるっての、知ってんだろうが。親戚で今まで散々一緒に登校してたんならそういうときこそ助けてやりゃいい。なんでそうしない?」
浅井は顔を紅くした。
「・・・、随分肩入れするんだな、長曾我部。それほどあいつが気に入ったか?」
ややあってそう言うと、ふん、と鼻で哂った。
「言っておくが、あいつは織田理事長の妹だからな。どれだけ懸想しようとも、貴様ごとき家柄では相手にならん」
元親はいよいよ怒りを感じて浅井に詰め寄る。
「家がどうした」
「家が万が一つりあっても、貴様ではまぁ市の相手とは認められんだろうな」
「お前はいっつもそうやって、どっかしら人を格付けしたがって上から見下ろしてるよな。そんなだから織田もお前が怖いって思うんじゃねぇのか」
その言葉に浅井は鼻白む。
「な、なんだと・・・!俺を、侮辱するか?」
「ほんとのことだろうがよ。もっと正直に織田に向き合えってんだよ、自分のプライドにこだわって、意地はって、びっこひいてるあの子の手も引いてやれねぇなんざ、男の風上にも置けねぇな!」
「な・・・ッ」
「はいはーい、そこまで〜二人ともお疲れさん」
後ろから佐助が割り込んできて、元親の背をぐいと押した。急に押されて元親はバランスを崩して倒れかけ、慌てて振り返った。
「ッ、おい、猿飛!何しやがるッ」
「すまないねぇ浅井のダンナ。この人はね、弱ってる人ほうっておけないの。お人よしのお馬鹿さんだからね、横恋慕とかじゃなくて、ただのおせっかいなんだよね」
「おいッ、猿飛!」
「まぁ、だからさ。許してやってよ、俺様に免じてさぁ。もう退散するから、邪魔したね、それじゃ」
ぐいぐいと、佐助は元親を押してゆく。何すんだよ猿飛、俺はまだあいつに話が、と語気の荒い元親を、しばらくたって佐助は背中からじろりと睨んだ。
「いいから。あのまま続けてたって、ひたすら売り言葉に買い言葉、になるだけっしょ?時間の無駄」
「だってあいつが」
「だいたいさぁ」
佐助は、ようやく元親を押すのをやめて立ち止まると、腕を組んで溜息をひとつ。
「毛利さんとちゃんと話もせずにまだ冷戦してるアンタに、浅井を責める資格はないと俺は思うわけ。どう?」
的を射すぎた指摘に、元親は慌てた。
「う・・・それは。だってあいつ、休みだし、話のしようがねぇだろうが・・・」
「だったら、見舞い行けばいいじゃん。アンタ毛利さんの家くらい知ってんでしょうが。さっさと解決して練習に集中してよ、ほんとさぁ」
「みま・・・?」
急に心臓が早鐘のように鳴って。元親はごくり、と唾を飲み込んだ。
そうして、元親は今、白い建物を見上げている。
佐助に促され、意を決して帰りに元就のマンションに寄ってみたのだが。途中で手土産があったほうがいいかと考え、コンビニに寄って、スポーツ飲料やら口当たりのいい冷たい菓子やらを買った。自分が風邪のときに食べたいと思うものを思い描いたのだが、そこで、元親は元就がどんな食べ物が好きか、はっきりとは知らないことに気づいて愕然とした。
甘いものは好きだと言っていた。これは間違いない。
でも、それ以外は?
(・・・まだ何も知らないんだな俺ァ、毛利を)
(もっと色々、分かりそうなもんだが・・・今まであいつの何を見ていたってんだ?情けねぇ)
オートロックの数字キーをぼんやりと見つめて立ち竦んでいると、宅配便の配送員が別の家の用件でドアを開けた。元親は、管理人へ少し目配せし、小さく頭を下げて中へすべりこんだ。
エレベーターを降りて元就の部屋までがやけに長く感じた。
玄関前に着いた。随分長い間元親は躊躇していたが、やがておそるおそるチャイムを押した。
普段ならインターホン越しに応えるのに、今日はいきなりドアが開いて、顔色の悪い元就がそこに現れる。てっきり先にまず声だけで話せると思っていた元親はひどく慌てた。元就も、自分で開けておきながら驚いたふうに目を瞠っている。
「・・・よぅ!・・・起きてきて、いいのかよ、具合どうなんだ?」
どきどきしながら、つとめて明るく元親はそう言った。それを聞いて、元就は元親から視線をついと外した。
「・・・何故、貴様、此処に。何をしに来た」
「何って。・・・見舞いだよ」
「どうやって入ったのだ」
「宅配便屋が・・・」
ちっ、と元就は舌打ちした。元親は思わず首を竦めた。
苛苛したように元就は、顔にかかる髪をかきあげた。
「見舞いなぞ、必要ない。用事があったから休んだだけのこと」
「そっか・・・ならよかった。でも昨日も、ずっと保健室で寝込んでたみたいだって聞いたからよ」
「・・・誰に?」
「伊達だ。送ってもらったんだろ、昨日」
「・・・・・・」
「とにかく元気なら、よかった。これ、買っちまったから、貰ってくれ」
元親が袋を差し出すと、元就はうんざりというふうに目を細めた。
「要らぬ。帰れ」
「あぁ、うん。帰るぜ、けど、これは貰ってくれよ」
「要らぬ。何処も悪くないのに、何故貴様に見舞いをもらわねばならぬのだ?」
「・・・毛利」
いよいよ元親は困って、自分より低い位置からねめつけてくる元就の青白い顔を見つめた。
「・・・なぁ。何、怒ってんだよ?俺、何かお前にしたのか?気に障ることがあれば謝るからよ、教えてくれよ、言われなきゃわからねぇよ、俺ァ」
元就はその言葉に、じっと元親を見つめる。しばらくたってからゆっくりと息を吐き出した。
「何も。・・・なにも、ない。なにも。ただ、貴様に、失望しただけだ」
「失望?なんだよそれ、」
「貴様は我とクラスも違うし、交友関係も重ならぬ。なのに、何故此処にいる?」
「・・・何、言ってんだ?俺は、あんたに、会いに来てるだけだ。枠組みなんざ関係ねぇよ」
「目障りだ」
「なぁ、毛利。・・・俺が、」
悩んで、元親は結局その言葉を口にした。
「もしかして、俺が、・・・・・・本当は、嫌いか?」
はっとしたように元就は目を見開いて、それから口元を歪める。
元親も、我知らず唇を噛み締めた。
元就は俯いて、口を開いて荒い呼吸をした。少しかぶりをふって。ややあって、意を決したように。
顔を上げて元親を見る。苦しそうだな、と元親はぼんやり思った。元就の、少し小さめの唇が開く。
あぁその言葉を言われてしまうかも、と思ったその瞬間、元親はざっと全身の血が逆流したように思え目をきつく瞑った。
「・・・、我は、貴様が」
ふいに、元親の後ろから元就を呼ぶ声がした。
二人同時に顔をあげてそちらを見る。ほっそりした綺麗な若い女性が立っていた。
誰だろうと元親が思っていると、元就は掠れた声で、女性の名前らしきものをぼそぼそと口の中で呼んだ。それから、待ち人が来た、もう帰ってくれと言って、元親を押しやった。
この人が来ると分かっていたから、だから毛利はドアを無防備に開けたのだなと元親は気づいた。そうしたら胸のあたりがぎゅうと誰かに掴まれたような気がした。
(誰だろう)
元就や自分よりは、年上は違いないが、さほど離れてもいない。
元就は元親を押しのけるようにして彼女を中へ導く。女性は元親へ会釈しながら傍を通って、元就と元親を交互に見比べた。
お友達?という質問に、元就はほんの少し眉根を寄せた。
「・・・同じ学校の生徒です」
「ではやはり、お友達でしょう?ご挨拶を」
「いいのです、・・・いいのです。中へ」
そうしてあっけなく、元親の目の前で扉がばたんと、乱暴に閉まった。
半分差し出したままの手に、元就に渡ることのなかった見舞いの品が所在無げに揺れている。
元親はしばらく閉ざされた扉の冷たいおもてを見つめていたが、やがて小さな溜息をひとつ、踵を返した。
「・・・どーすりゃいいってんだよ・・・くそっ」
こりゃあ本気で嫌われちまったかな、と自嘲気味に呟いてみる。
無性に悔しいような、でも何が悔しいのかも分からなくて、元親はただまっすぐ前だけを見て歩いていった。
扉を閉じて鍵をかけて、元就はそのひとを案内しながら考える。
「気に障ることがあれば謝るから」だと?
まっすぐな目をして。まっすぐに我を見て。そうして堂々と、嘘を。
(・・・“嘘”?)
元就はそこまで考えて呆然と立ち竦んだ。
携帯で何度も見たあの文字を思い出す。
あれは、恋人、と書いてあったのだ。
(・・・恋人、とは、なんだ?)
(長曾我部は最初、我と・・・どう、なりたいと。言っていた?恋人、と、言っただろうか?)
(我が、勝手に。そう思い込んでいただけか?女性とそういう関係を築いたこともあまり無くて、と言っていた、その言葉に勘違いしただけか?)
(長曾我部はそのつもりはなかったとしたら、奴は、嘘なぞついておらぬ)
(では我は・・・我だけが。我は奴の特別だと、思いこんで)
(・・・我は、長曾我部の何になりたかったのだ?)
「・・・元就さん?どうしたの?苦しいの?」
廊下で急にうずくまってしまった元就の背を、心配して擦ってくる優しい手を感じた。今まで幾度も、まるで魔法のように痛みや不安を取り除いてくれた掌。それが、今日はその力及ばない。
大丈夫です、と言おうとして長曾我部、と口走ってしまった自分がとても情けなかった。
(7)