コイビトバトン
(8)
「今日は弁当か。珍しいじゃねぇか」
唐突に上から声が降ってきて元就は驚いて顔を上げた。
昼休みのことだ。いつの間にか目の前に立っていたのは政宗で、元就は怪訝な思いで目を少し細めた。
「Looks delicious your lunch,」
言いながら、なにげないふうに政宗はひょいと元就のランチボックスから唐揚げを取って口に放り込んだ。
「Oh,tastes good.!」
「・・・Don't pick at my food」
やんわり同じように英語で嗜めると、伊達はニヤリと笑って元就の前の席に勝手に座った。
「・・・貴様、何故其処に座るか」
「別にいいじゃねぇか。今、昼休みだぜ?オレが校内散歩してたって、違うクラスに来たって、誰も文句はねぇだろ」
「我の前に座るは我が文句を言うてやろう。食事中だ」
「邪魔はしねぇよ。・・・で、これは?お袋さんが来てるのか、なるほど」
元就は呆れて答えなかった。十分邪魔(干渉)をしている自覚が政宗には無いのだろう。
政宗は無視されても別段何を思うというふうでもなくただじっと元就が箸を口元に運ぶのを見ている。
ふと、そういえば以前元親もこうやって自分の食事する姿をひたすらじっと見ていたな、と思い出した。何がそんな楽しいのか、と訊いたら、面白いぜ?と答えにならない答えが返ってきたことだ。
そうやって、考えないようにしていた元親のことを思い出してしまうと途端にいたたまれなくなって、あと少し弁当箱の中に残っていたけれど元就は蓋を閉めて片付けようとした。すかさず政宗が手を伸ばして元就の手を取る、思わずむっとして政宗を睨んだ。
「なんだ、伊達。いいかげんにせよ。我の食事がそのように面白いか」
「そんなことより、まだ残ってんぜ。ちゃんと食ってやれよ。お袋さん悲しむぞ」
「・・・貴様に関係ない」
先ほどからさらりと自分の状況を言い当てていることには内心少しばかり当惑しつつ(確かに今日の昼食は義母が作ってくれたものだ)、顔には出さずに元就は低い声で言った。政宗はやっぱりけろりとしている。
「そりゃそうだ。オレは関係ねぇぜ。だからのこりこれっぽっち、片付けとけよ、勿体無い」
「・・・・・・五月蝿いことよ」
「仕方ねぇだろ。メシを残すと小十郎がうるせぇんだよ、ガキの頃から。だからなんか目の前で残されると気持ち悪い」
元就は、きっ、と政宗を睨むと残っていたおかずを、これでいいかとばかりに口に詰め込んだ。元就が小さな口で咀嚼するのを政宗は別段感心した様子もなく見ている。義眼の片目は今日は隠していないが、どうもこの男は元親と似ていて元就は違う意味で苦手だ。
似た者同士だから奴と気が合うのだろうかと思っていると、政宗を呼ぶ声がした。
聴き慣れてしまった響きに元就は驚きかつうんざりした。これも噂をすればなんとやらの類か、と思う。
声とともに足音は止まって、それ以上近づいてこない。おそらく元就に気づいたからだろう。
元就も顔を上げない。ぴりぴりと空気が痛かった。
政宗は、おう元親、どっか行くのか?と暢気に元親に尋ねている。そうやって政宗の周りだけがごく自然に当たり前に動いている様子がかえって不自然で元就は笑ってしまいそうになった。
やがて元親の遠慮がちな声が聴こえた。
「・・・体育館行ってくるわ、真田と猿飛がちょっとボールで遊ばねぇかって。お前もどうだ」
政宗はふんと鼻で笑った。
「オレは今日は此処でいる。お前らだけでどうぞ」
その返答に元親は吃驚したらしい。おいおい、真田が泣くぞ?なんでもお前に勝ちたいって思ってんだから、アイツは。元親はそう言っている。普通の会話だな、と元就は思った。自分が此処にいなければもっと普通だろうにとも思った。
「体育と部活だけだろ、アイツがオレにつっかかってくんの」
政宗はまた笑った。それから頬杖をついて、もう窓の外を眺めて動かない。この男は随分実はマイペースなのだな、と元就は密かに驚いた。元親は少し呆れたように静かに息を吐いている。
元就を見ているかはわからなかった。
元就も元親のほうは見ない。ただ黙って俯いて、空になった弁当箱をひどく緩慢な動作で片付けていた。早く立ち去ればいいのに、と思った途端に、じゃあなと声がして元親の足音が遠ざかっていく。
耳を欹てていると、早くバッグにしまえよ、と政宗が外を見たまま言ったので元就は少し焦った。弁当箱をチーフで包んだり開いたり、を無意識に繰り返していたらしい。
すっかり片付けてから、机の下でそっと手を合わせて、ご馳走さま、と誰にも聞こえないように口の中で呟いた。
しばらく一緒にぼんやりと外を眺めた。
政宗は相変わらず頬杖をついて動かない。開いた窓から風が流れ込んでふわり、ふわりとカーテンがふくらんでまたおとなしくなる。
「・・・何故此処にいるのか、貴様」
しばしの後元就はもう一度問うた。政宗はようやく、可笑しそうに目を見開き、そうしてくつくつと喉で笑って元就のほうを向いた。
「面白いから」
「・・・面白い。か。」
「面白いな。アンタと元親、目も合わせねぇの。アイツ、オレがアンタにべったりしてるの気になってるくせ、何にも言いやがらなかったし。アンタたちが意地張り合ってんのぁ、見てて面白いぜ?」
「・・・底意地の悪い男だな」
元就はきゅっと形のいい眉を寄せると不機嫌を顕に立ち上がった。
政宗は別段引き止めようともしない。何処へ行くかも問わない。
先ほどの答えも含めて、そういうところは元親とは正反対だなと思った。
意地など張ってはいないとは、敢えて言わなかった。かえってそう認めているようで悔しかったから。
放課後は委員会の仕事があって、元就が自分の教室に戻ったのは茜色の光が窓からほぼ水平に部屋の奥まで差し込む頃だった。当然ながら教室にはすでに誰もおらず、残っている荷物も元就のもの以外は無い。
帰り支度をしているとふいに携帯がメールの着信を知らせた。今日はうっかりと電源を切ってなかったようだ。放課後でよかったと、元就は慌てて送信者を確認する。
果たしてそれは義母からで、少し仕事で家を空けるけれど、夜にはまた戻るからチェーンはかけないで欲しいという内容だった。それ自体はなんだかとても嬉しく暖かく、元就はほんの少し笑った。
携帯をぱちんと閉じて、けれどふと、手の中のグリーンのそれを見る。
今、無意識に元親からではないか、と期待したのだ。
(・・・馬鹿馬鹿しいことだな)
昼間の元親を思い出して、つんと胸のどこかが尖ったもので圧されたような気がした。
(何も変わらぬ。元に戻っただけのことだ)
(現に、奴は、いつもと変わらなかった)
(変わったと、すれば。それは多分、我だけだ)
しばらく携帯を掌の中で玩ぶ。
まだ昼間のまま開いている窓辺で昼間と同じようにカーテンが風に柔らかく踊った。元就は窓に歩み寄り、開いている窓をすべて律儀に閉めて施錠した。
バッグを持って教室から出るとき、部屋の隅でごみの半分入ったままのゴミ箱が目に入った。
今日の日直は誰だったか、と考えてそれが幸村であったことを思い出す。今はまだ部活中だろう。ごみを捨てることを覚えているだろうか、さて、と考え込む。
元就はやがて少し眉宇を顰め、手の中にまだ握られたままの携帯を見た。
徐に、元就は自身の携帯を操作し、電源を切ってゴミ箱に放り込んだ。
それから振り返りもせずに教室を出た。
きっと誰も気づかないだろう。
たとえ幸村が戻ってきても、彼の性格ではごみの袋の中まで確認はすまい。
幸村が捨てなくても、少なくとも明日の朝には次の日直が片付けるだろう。ごみと一緒にきれいにその存在は消えることだろう。元々電話番号もアドレスも、ごくわずかの者の分しか入っていなかったから先程消去した。義母など大事な人のものは頭に入っている(不本意ながら元親のものも覚えていたが)。
見られて困るような内容のメールも無い。元親とのやり取りはすでに消してあった。幸村の携帯から転送した「あれ」はそのままだったことに靴を履き替えていて気づいたが、わざわざ戻って拾うのも憚られてそのままにすることにした。
義母になんて言おうか。失くしたと言ったらきっと吃驚して呆れることだろう。彼女の顔を想像して少しだけ楽しい心持ちになった。
(・・・・・・これが本来の自分だ)
元就はひとつ伸びをした。それから背筋を伸ばして歩いていく。校門の近くにある武道館から掛け声が聞こえてくる。体育館できっと元親も試合に向けて汗を流していることだろう。自分はこれから塾に行って、家に帰って会社のことを少し。それでいいと思う。
それでいいはずだと。
携帯なんてくだらない、そんな“モノ”で繋がっていると錯覚するなんて。
そう、いつだったか元親に言ったことを思い出した。元親は苦笑していた、そう言うなって、コレだって立派な、俺とお前が繋がってる証じゃねぇか、と。
今手元から実際に無くなってみると、あんな形だけのつながりでも、ほんとうに自分と元親はこれでなにもなくなったのだと気づいて喪失感に似たものが去来した。例えれば父と兄が死んだときのような。また少し胸のどこかが圧迫されたように苦しくなる。
くだらぬ、と、強引に呟いて元就は帰りを急いだ。
(9)