コイビトバトン
(9)
他人のことに首を突っ込むのが野暮なことくらいは、十分に承知しているつもりだ。だからいつだって傍観者としていようと思う。自分のことだってどこか他人事みたいに冷めた目で見ている、そしてそれくらいでちょうどいいと思っているのだ。
そう出来ないのは従弟の幸村に対してだけで、実際問題それで手一杯なのだと子供の頃から思ってきた。そのつもりだ。
・・・だから、なんで体育館から武道場までこうやって小走りに駆けてるのか、なんて。佐助自身にもよく分からない。
「・・・ちょっと!なんとかしてくれよ竜のダンナぁ!!」
半分裏返りかけた叫び声、に近い呼び声に武道場にいた全員が一斉に振り向いた。竜と呼ばれた当人は暢気に手拭を頭に巻いている最中だったが、声の主のいる入り口扉へ一瞥を送ると、ふんと鼻で笑って一旦止めた手を正座したまま再び動かし始める。
業を煮やしたのか、声を出した当人―――佐助は、ずかずかとバスケットシューズのまま武道館へ入っていく。誰かが、此処では靴は禁止だと叫んだが佐助は意にも介さぬ様子で、失礼、とだけ言って政宗の横に真っ直ぐ歩み寄り、しゃがんだ。
ずい、と、顔を近づける。笑顔をつくった。
「・・・なんとかしてくんない?・・・アンタでしょーが、うちのキャプテン焚きつけたの」
笑顔とは名ばかりの、苛々があからさまに分かる表情に、政宗は何処吹く風とばかりにそっぽを向いたままだ。手拭を巻き終わると正座した膝の前に置かれた面を手に取ってすました声で嘯いた。
「Ah-? なんのことだか。お前んトコのキャプテンてどいつだっけ?」
「惚けなさんな。アンタのダチの長曾我部」
「へーえ。元親、どうしたんだ?なんかあったか」
「あったも何も・・・」
練習中荒れて大変なんだと佐助は言おうとして口を噤んだ。
少し間を空けて考えてから再び口を開く。
「・・・アンタ一体あの二人をどうしたいわけ」
「あの二人?」
「うちのキャプテンと毛利さん。昼休み、アンタ体育館来ないで、毛利さんと喋ってたって?」
「誰から聞いたんだよ」
「長曾我部のダンナからに決まってるっしょ?あの人も変に遠慮するっていうか、凹んでるくせに意地張ってへらへらしてさ、見ちゃいらんないよ。なんでそんな、わざわざ見せ付けるような真似、すんのさ」
佐助は一息に言ってから、じっと政宗を見つめる。
政宗は相変わらず自分のペースでゆっくりと面をつけている。返事は無く、佐助は肩を竦めた。
「困るんだよね。もうすぐ因縁の試合なもんで。俺様としちゃ長曾我部のダンナに真面目にガンバッて貰わないとさ、勝てる気がしないわけよ」
「へぇ、そりゃまたご大層なこった。・・・相手、何処だ」
「豊臣学園」
「あー、あの新設校の・・・」
「そんなことより。ほんとにアンタどうしたいわけ?仲違いさせたいようにしか俺様には思えないんだけど」
佐助の言葉に、政宗は大袈裟なくらい胸をはって、おいおい冗談言うなよ、俺ぁ元親のために一肌脱いでやってんだゼ?と訴えた。どうだか、と、今度は佐助が鼻で笑った。
「まぁせいぜい、毛利サンと話出来ない自分の不甲斐なさを、ボールとゴールにぶつけて気合入れればいいんじゃねぇのか、元親は?」
「・・・やっぱりアンタ、面白がってるっしょ。ったく、根性悪い・・・」
政宗はきゅっと面紐を後頭部で結わえきつくしばった。
「とんでもない。俺なりに元親に根性見せろよ、って言ってやってるつもりだぜ?」
澄ました声が面格子の隙間から漏れてくる、当然というべきか、佐助にはやっぱり笑いをかみ殺しているふうにしか聞こえなかった。
「・・・どうだか。アンタ、ほんとは毛利さんに興味あるんじゃないの」
「・・・まぁ、それもあるか?そこらへんは、ご想像にお任せしますってやつだ」
揺さぶりのつもりでもなく思いつきだったが、意外に政宗は食いついて、佐助はおやと目を瞬いた。一瞬ゆらいだ空気はけれど、すぐにまた元の政宗の、何を考えているのだかわからない半分ふざけたようなものに戻ってしまって、佐助は困って溜息を吐いた。実際、此処に来て彼に文句を言ってみたところで何かが変わるとも思ってはいなかったのだ。それでも、元親の様子がどうしても佐助には、ある意味許せないと思ってしまうくらい、ひどいものだったから。
練習自体は淡々とこなしているけれど、ボールを追っているけれど、そしてメニューもきちんとこなしているけれど。それでも集中しているとは言い難かった。休憩のたびにぼんやりとタオルを口元に当てたままで体育館の扉を見つめている。其処に目当ての人が来るはずもないと分かっているくせに。毛利さんと何かあったか、と、佐助は一応問うたのだ、けれど当然と言うべきか、別にという素っ気無い返事しかなく、もうそれ以上元親から元就の話は聞くこともできず佐助はほとほと困り果てていた。元親の状態はチームの士気に関わる。まだ次の試合は練習試合だから、佐助としては不本意だとしても例えば負けたっていい。でもこの先ずっとこうだとしたら、インターハイだってどうなるのか。
実力で負けるのなら仕方ない。でも、精神的な理由で負けるなんて、佐助のプライドが許さなかったし、何より元親だって後悔するに違いなかったから。なんとかしたいと、思った。
佐助がじっと考えたまま座り込んでいると、幸村が打ち合いを終えて面を外しそばへ寄ってきたらしい、佐助、佐助と傍で何度か呼ばれて、でも佐助は返事せずに自分の考えに没頭していた。
「・・・佐助ッ!!」
ついに最後、幸村は大声で呼ばわり、結果道場中の目がまたも佐助に向かうことになった。佐助はやっと目を上げ、立ち上がりながら、あーハイハイなんですかと、少し鬱陶しそうに頭をかいた。幸村をふと見ると、なんとも困ったような心配そうな顔をしているので、苦笑して佐助は笑顔をつくってやる。この人には甘いなぁと自分に呆れながら。
「・・・で、なんだい、真田のダンナ。もう出ていくよ、すんませんね」
「・・・いや、それはいいのだが。今日、帰り少し待っていて欲しいのだ」
「なんで?」
「某、日直だったのを失念していて・・・まだ教室の窓の施錠もしておらぬ。誰かがしてくれているかもしれないが、後で見てこようと思うのだ」
「あー。なるほど。はいはい、しょーがない、じゃあ俺様、校門のとこで待ってっから」
よく気づいたね、えらいじゃんと言うと、幸村は照れたように笑った。でも最初から覚えておけばいいのにとは黙ったまま言わなかった。そういうところが佐助の、彼をほうっておけないと思ってしまう所以で、そうでなければ今のお互いの関係も無いと知っているから、いいのだと思う。
佐助はひとつ溜息を吐いた。仕方ない、戻るか、と呟いて、係り稽古にうつってしまった政宗を横目で見ながら武道場を後にした。
なんとも微妙な空気のまま練習は終わり、元親は誰と話すこともなく部室を後にして帰ってしまった。佐助は気にはなったが如何ともしようがなく、取り敢えず今は幸村を待とうと校門に立った。
やがて30分が経ったが幸村は現れない。
練習の終了時刻自体は同じはずだった。それから片付けて着替えをして、教室に寄ったとしても、もう来てもいい頃なのにと佐助は首を傾げた。もうすでに空も暗くなってきている。校舎は一階にある職員室に灯りがついていた。幸村のクラスは校門から見えたが、窓は閉まっているし電気が点いている様子もなかった。
おかしいな、と、佐助はしばらく考えたが、やがて携帯の電源を入れた。向こうが電源を切っていたら無駄だと思いつつ、ぶらぶらと幸村の校舎に向かって歩き出す。途中何度かのコール音の後、幸村は電話に出た。
「ダンナ?何処にいんのさ、俺様待ちくたびれちゃったんだけど」
「す、すまぬ佐助・・・その、ちょっと困ったことがあって、考えていた、」
「困ったこと?・・・ていうか、今ダンナ何処にいんの」
「その・・・ゴミ置き場だ」
「ゴミ置き場?あー、ゴミ捨てしてなかったの?でもほうっておいても、明日の朝は業者の来る日だから大丈夫っしょ、帰ろうよもう」
「で、でも、中から携帯が出てきて」
「・・・はぁ?」
「ゴミの中から、携帯が出てきて」
「・・・あのさ。今から俺様そっち行くから、動かないでよ?」
果たして校舎の裏門のゴミ置き場に来てみると、幸村は神妙な顔つきでゴミの傍に立っていた。
手にはさっき言っていたものだろう、グリーンの携帯を握り締めている。これがゴミの中に?と佐助はふーんとその携帯を受け取って眺めた。ぱちんとあけて電源を入れてみる。持ち主の情報も、着信履歴もアドレス帳も綺麗に消されていた。仕方なくメール画面を開こうとすると、横から覗き込んでいた幸村がもうやめろ佐助、と慌てたように言った。
「なんでよ。これ、誰かの持ち物かもしれないじゃん。仕方ないっしょ、ちょっとだけだよ。メール見れば分かるかもしんないし」
「そ、それはそうだが」
「まぁさ、だいたいこうやってゴミ箱に入ってる時点で、いらないものだとは思うんだけどさ。もし落し物だとしたら可哀相だし」
「・・・・・・」
「さーて、なんか分からないかな・・・」
「い、いや、佐助。だから、メールを見るのはよくないと思うのだ、某は」
「だからなんでよ。ちょっと件名だけ見てみるだけじゃん」
「だってそれ、毛利殿の携帯かもしれないのだ」
「・・・・・・は?」
「だから、その、毛利殿の」
「・・・アンタ、それで困ってこれ持って考え込んでたわけ?」
こくり、と頷く幸村に、佐助は少しばかり呆れを滲ませながら。
「・・・あのさ、ダンナ。そういうことはさ、早く言ってくんないかな?なんでこれが毛利さんのだって、アンタわかるわけ?」
すこしばかり凄んでみせる。
幸村は首を竦めながら、すまない、と小さな声で謝ったのだった。
先日元就の携帯と間違えて持っていったことがあることを佐助は幸村から聞いた。そのときのものがこれと同じだと言う。
「どうかなぁ。ダンナのこういうものへの執着っていうか記憶力、あてになんないなぁ・・・」
幸村は少しむくれて佐助を睨んだ。それから、でもこの色はとてもきれいだったからよく覚えているのだ、と佐助に言った。確かにそれはあるかもしれないと佐助も思った。あまり見ない機種とあまり見ない綺麗なグリーン。そういえば元親が、元就と携帯おそろいにしたんだと、少し前にものすごく嬉しそうに言ってたっけと佐助も思い出した。
「・・・確かに、長曾我部のダンナのと、同じ機種だし、そうかもしんないね」
「佐助も、そう思うか?」
「うん。たぶんそうだろうね。でも」
そうだとしたら、何故これはゴミ箱に入っていたのだろう。
佐助と同じことを幸村も思っているのだろう、困ったように口をつぐんでじっと佐助の手の中の携帯を見ている。明日は業者の清掃が入る日だったから、それと知って捨てたのだとしたら本当にもうこの携帯がいらないということだろう。中身がほぼ全部消されていることからも、おそらくそうなのだろうと佐助は思った。
(・・・て、ことは)
元親との、折角の揃いの携帯だ。元親の様子から考えても、二人がやっぱり喧嘩したまま仲が修復されていない、どころか悪化しているのは目に見えている。
「・・・やれやれ」
佐助は長い溜息を吐いた。幸村が横から、どうしよう佐助、と聞いてくる。どうしようと言われても、拾得物としては持ち主に戻さなければならないだろうと佐助は思う。でも元就はそんなものはいらないと言うに違いなかった。
やがて佐助は、意を決したようにメール画面をもう一度開こうとした。幸村が慌てた。
「さ、佐助。他人のメールは個人情報だ、見てはならないとお前が某に言ったのではないか」
「まぁ、そうなんだけどさ。なんか残ってたら、あの二人が喧嘩してるわけも、わかるかもしれないっしょ?」
「・・・喧嘩?誰が?」
「・・・も、いいから。悪いことしてんのは俺様もわかってるんだけどさ、ここは目をつぶってよダンナ。毛利さんのだって確認も、できればしたいし。」
「・・・う、む」
幸村を無理矢理納得させると、佐助は呼吸をひとつ、メール画面を開く。勘が当たったと言うべきなのか、そこにはほんのいくつか履歴が残っていて、最新のものは「義母さん」からとなっていた。けれどその下の送信者を見て、佐助は思わず声を上げた。
「・・・ちょっとダンナ、なんでアンタのメアドがここに?」
「え?・・・・・・・ええ???」
急に言われて幸村は面食らって佐助を見た。それからはっとして、激しくかぶりをふった。
「な、なんのことだ。某、毛利殿のメールアドレスは知らぬ!だから、メールも送っておらぬ」
「嘘ぉ。だってここに、ほら、アンタのメアドがあるじゃん!」
「え?え?だって、ほんとうに、某知らぬ」
「しかもコレ!あの、アレでしょうが、」
件名から、本文を開いて幸村に見せると、幸村はますます目を見開いて驚いている。
「この前ホラ、長曾我部のダンナからアンタに送られてきて、恋人なんとかって。これ、まんま転送じゃんしかも。なんで?」
「しし知らぬ!!某、そんな破廉恥なもの、誰にも送ったりはせぬ!!!」
「・・・いや、これ、破廉恥じゃないよって、あのとき説明したじゃん。オチがあるって、この恋人は携帯電話ですって、あのとき------」
佐助はそこではっとした。
(・・・もしかして)
慌ててスクロールさせると、思った通り、幸村の携帯で見せてもらったものとまったく同じ、最後の部分が無い。
しかも内容は、長曾我部の書いたものだ。
(もしかして)
日付を確認する。
「ダンナ。携帯、毛利さんと入れ替わってたのっていつ?」
「え?・・・えーと、今週のはじめくらい?」
元親が、元就の態度がおかしいと佐助に体育館で話したのと同じ頃だ。
(もしか、すると)
佐助はぱっと顔を上げた。それから幸村の背中をばんばんと叩いた。
「ダンナ、でかした!!」
「え?なにが?」
「いや、いい。あとは俺様がなんとかするさ。さーて長曾我部のダンナ、不本意だけど動いてやるよ、ったく・・・」
佐助は自分の携帯を取り出した。元親に電話をかけると、しばらくして元親は出た。声が暗い。佐助はかじりつくように電話口にむかって声を出した。道路際に立っているのか、元親の後ろはやたら騒音がして喧しかった、だから自分の声がちゃんと届くようにといつもより声を大にして。
「ダンナ!あのさ、毛利さんの機嫌悪い理由、分かったから」
そう言うと、元親は電話の向こうで吃驚している。それはそうだろう。なんだか嬉しくなって佐助はいつもより早口に喋った。
「だからさ、説明すっからさ。安心しなよ、なんか誤解があったみたいだからさ。これからそっち行くから、アンタ今何処にいんの?自転車っしょ?」
大通りの傍だ、という元親の声の語尾が、先程までよりもさらに大きくなった騒音にかき消えて、佐助は眉を顰めた。
「もしもし?ダンナ?なんかそこ、五月蝿いんだけど―――」
突如、轟音がした。
それから、金属を引き裂いたようなブレーキ音が耳に当てた部分にびりびりと響いて、誰かの半分悲鳴みたいな叫び声とともにがしゃんとものすごい、たたきつけられたような音がした。ざぁざぁというノイズなのか、それとも何かの壊れた音なのか分からないけれどしばらく続いて、それに混じって声が聞こえる。
佐助は必死に、その言葉を拾おうと携帯を耳に押し付ける。
「・・・トラックが・・・突っ込んできて・・・」
「・・・自転車・・・巻き込まれ・・・・・・」
「おい、大丈夫か」
「救急車」
唐突にぷつんと全ての音が消えて。
佐助が呆然としている間に、ようやく音は戻ったけれど、それは通話不能を示す無機質な機械音だけだった。
ツー・ツー・ツー・・・・・・
佐助は、立ち尽くす。
「・・・おいおい、ダンナ・・・嘘だろ?」
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