月さえも眠る夜



(4)


 最初に元就を知ったのは歳稚(わか)い頃だったと記憶している。
 とはいえ、会ったことがある、程度の認識であって深い交流があったと言えるような付き合いではなかった。伊予の覇権を巡ってたまたま毛利家が長會我部家に利する行動をした、という事実が当時あっただけだ。政争の中で父親につき従っていた元親は、同じように毛利方に連れられてきていた同年代の少年に会った。それが元就だった。
 小柄な少年は見た目の華奢さと違って腕白で、大胆だった。己の飼っている鶏を襲った狐を、これは粛清だと物騒なことを言いながら巣穴まで潜り込んで引き摺りだし、泥だらけで狐と格闘し、傷をたくさんつくって父親の側室に叱られている姿が印象的だった。
 長男の重圧に慄き怯えて暮らしていた元親は、やんちゃで無鉄砲なその少年の姿に驚き、羨ましく思った。こんな、明日を知れぬ時代にどうしてああもあっけらかんといられるのだろう。ただの阿呆なのだろうか。それとも次男坊とは気楽なものなのか、とこっそり恨めしくも思った。
 当の少年は元親になど見向きもしなかった。短い滞在が終わって土佐へ帰る日に、元親は初めて少年と言葉をかわした。彼は――松寿丸と名乗った少年は、元親(当時は弥三郎だった)をじっと見つめて、つんと拗ねたように視線を外した。
「貴様はよいな」
 元親は驚いてまじまじと相手の顔を見た。
「やがて家督を継ぐのであろう。背負うものがあるは羨ましい」
「…羨ましく思うなら代わって欲しいくらいだぜ。俺は家督なんか欲しくないし、長男に生まれたかったわけでもない。背負うものがあるのは辛いだけだ」
 言い返すと、少年は、貴様は阿呆かと元親を罵った。
「あ、阿呆だと?」
「阿呆であろう。誰かに必要とされるは幸せなことぞ。背負うものも、守るものもあるは幸いよ。…今の我には誰も期待せぬ。父上や兄上のお役に立ちたいのに…」
 そして少年は、いつかきっと、我もそうなってみせると噛みしめるように言った。
 ――その言葉は、当時の元親を強く打った。少しばかり後ろ向きな己を省み、少しだけ前向きに生きてみようと思ったのを覚えている。


 やがて長じて、元親は長會我部の家を継いだ。自分なりに国を強くし、仲間を増やし、またそれを守る。重圧が辛いときはあの少年の言葉を思った。彼も武家ならば、願いどおりに家を守る役目についているだろうか…そんなふうに願いながら、記憶は風化してあれがどの家の誰だったのかいつしか朧に霞んだ。
 ――瀬戸内海の覇権を巡って毛利家とは一進一退の攻防が、元親の代になってから続いていた。元親にとっては中国などどうでもよかったが、天下を目指すとき後背を脅かされるのは得策ではなかった。何度かの工作は失敗し、直接戦端を開くことになった。
 至近距離の船の上で初めて毛利元就を見た。
 互いを罵り、やがて直に刃物を打ち合ったとき、元親は鍔迫り合いの相手がいつかの少年ではないのかとようやく気付いた。 
 けれど、人物は同じでも、あのとき元親を羨望の眼差しで見ていた少年は、どこにもいなかった。
 彼は――毛利元就は、今願いどおり巨大な国と人民を背負っていた。願いどおり…けれど、彼があのとき望んだ「誰かの役に立ち」「誰かに期待される」「誰かとともに与えられたものを背負う」現実は其処にはなかった。元就の周りには既に誰もおらず、たった一人で彼は望んだはずの全てを背負っていた。膨大な期待(国を守る、という)は誰から求められているのかすら視えない。誰も視えない。進まねば存在価値は認められず、でも賞賛の声は元就の望む処からは優しく響かない。畏怖の眼差しだけしかない。
 分け合って背負うはずのものを、元就はいつの間にか独りで支え、支えているうちに己がなんのためにこれを望んだのかすら忘れてしまったようだった。毛利を守る。中国を守る。だがなんのために?期待されているから?誰からの?…いなくなってしまった、共に背負う者たちは皆。
 元就に見返りを求めず慈愛を注ぐものは、万物に平等な日輪だけになっていた。彼はそれに焦れ、愛した。…それしか、愛せなくなっていた。
 元親は元就の狂った道行を、激戦の末、講和の成った後に聞き調べ、理解した。可哀相にとひたすらに思った。
 …おこがましいことだ。歪んでしまった望みとはいえ、元就は怖れられても中国の大地は言葉どおり、誓い通り守ってきた。元就は間違っていない。
 ――ただそれが、どこまでも空しい。
 元親は、元就を知りたいと願った。自分にできるのならば、共に歩もうとすら思った。
 けれど元就の被った仮面は、もうどこからがつくりものの面でどこからが元就という血肉なのか、判別がつかず、剥がれなくなっていた。長い間に手を独りで血に染めるうちに、逃げ場の無い孤独の中でそうやって彼は己を守ってきたのだろう。彼の言葉で今の己をつくった元親は、なんとかしてやりたいと生来のお節介を焼くようになった。同盟を結び、膝つきあわせて語るうちに、益々元就を知りたくなった。近くへ。もっと彼の近くへ。
 いつしか彼の全部を欲しいと思うようになった。
 酒酌み交わした席で、戯れ事のふりをして元就を抱いた。最初からわかっていたように元就は拒まなかった。或いは元親を己の身体ひとつで籠絡できるなら安いものと思っていたのかもしれぬ。――元親が最初に抱いたとき、もうその身体はすでに男を知っていた。生きるための術として身に付けたのかもしれない…或いは、無理矢理にされたのかもしれない。いずれにしても元就の望んだものではないはずだった。彼の望むものは彼自身もう覚えていない。そして何処にも、無い。
 辛かっただろう、と元親はひとり、泣いた。
そして密かに誓った。今の俺をつくったからには、恩人なのだ。彼に自覚はなくても。だから俺が、いつか、彼をこの底知れない暗い檻から解放してやりたい、そうしなければならないと。


 紆余曲折を経て、元親は敗者となった。国を失い、部下を失い、命も捨てたはずが生き永らえて外つ国に逃げた。背負うものを己の不覚で失ったとき、もう2度と己の手に戻らないと悟ったとき、元親の思ったのは同じように敗者となり捕えられた毛利元就だった。西軍の陰で暗躍したかどで斬首されたと風の噂に聞いて、元親は何もできなかった己を恥じて泣くしかなかった。
 それが――生きているか死んでいるか、どこか虚ろな日を違う空の下で送るうちに、たまたま立ち寄った港で元親は聞いた。毛利のあるじが生きて、人質としてその残りの命を使われていると。…そのとき、元親は、決めたのだ。
 元就を、自由にしてやりたい。俺がそうするのだ、と。

  *

 抱き締めた体はかつてと変わらず薄く細かった。輪刀を振るい戦場を駆けていた頃はもう少し筋肉質だったと記憶していたが、昨今の人質としての生活のせいなのか、どこか静かに柔らかみを増して帯びたような皮膚は、元親の芯を震わせ悦ばせた。
 彼が生きていると知ってから、何度この日を夢想しただろう。かつて己の国を守るために、大事な元就の手を離した。ひとりで歩けと言ったも同然だった。結果的に元親はどちらも失い…でも今、ひとつは手に戻ってきたのだ。
 食み合う唇は空しく失った時間まで貪り取り戻すように互いの舌を探り、絡めて吸い上げる。犬歯がかちかちとぶつかりもどかしく焦れた。口づけひとつでさえもっと完全にひとつになってしまいたいと切なく願った。
 元就は、はじめどこか怖々と元親の激しい求めに応えていたが、徐々に濡れた音に圧されるように自分からも舌を動かすようになった。嬉しくて、元親は口づけながら、抱きしめていた腕を移動させ脇腹を擦り、背骨を指でつぅと伝わせてやる。ぴんと元就の背筋が引き攣れたように反った。いやいやと口づけたまま微かに首を横に振るのが可愛くて、もう片方の手で胸元を擦り突起をきつく摘んだ。口づけは緩み、離れ、「あ」と元就は声を上げた。あんたはこういうのが好きだったよな、と意地悪なくせに慈しむように言って、元親は自分の胡坐の上に膝揃えて座る格好の元就の上半身をなおも丁寧に触れてゆく。こんなとこで行儀よくしてたってしょうがねぇだろ、と苦笑して言いながら尻を軽く叩き、抱き上げるように座り直させると元就の両脚はおびえたように(どうしたらいいか分からないように)開いたが、逃げるように腰が引く。
「もっと、ちゃんと――」
 元親は膝をぐいと押して脚を開かせた。そうして己に跨らせる。まだ元親は衣服を身に付けたままだったが括袴(くくりはかま)を解き、すでに張り詰めている自身の陽物を取り出すと、まだ萎えたままの元就のそれと一緒に大きな手の中に握り合わせた。――急激に直に与えられた刺激に元就はまた「あ、」と声を喉元から零し、元親の肩を両手でぎゅっと掴んで喉元を晒し、仰け反る。細い脚が戦慄いて誘うように開いた。元親は掌であやすように元就を擦り、じわじわと追い立ててやった。元就のそれは固く反り立ち、たらたらと欲の証を零して元親の手の中で水音に塗れていた。時折強くふたつの棹を握り緊める。雁と雁を弾かせる。その都度元就はしどけなく立てた膝を揺らして声をあげて鳴いた。
 元親はふつふつと零れる液を指に添わせて元就の蕾にそっと入れた。少し身を固くして元就は褥の上にぱたりと倒れる。楽しようったって駄目だぜ、と苦笑して元親は暫く指を増やして慣らした後、再び細い体を抱きあげた。そのまま自分の怒張したモノを柔らかくなった蕾にあてて一気についた。
「――ひ、あっ」
 一声啼いて、元就は痙攣した。――元就の中は元親をすべて受け入れていた。熱さに元親は目の前が眩んだ。呼吸を整えて少し元親が身動ぎすると、その振動だけで元就は元親の背に爪をたてた。
「はっ…、あ、うあ」
「…あんた、こんなに感じやすかったっけか?」
 呟いて、元親は深く長い息をつく。薄々感じていたことを現実として確かめていた。


 …元親の抱いているのは、長い間誰にも触れられていないカラダではなかった。
 ごく最近にもきっと誰かがこのきれいな肢体を愛して貪ったことを元親は抱いたことで否応なく気付かされた。