背中合わせで見上げる空



1(政宗)


 日の光が瞼を閉じていても顔に直接あたっているのがわかる。
 眩しいというよりは熱っぽさを感じて目を開けた。カーテンは当たり前のように全開にされていて、ガラスの向こうに街中にしては明るい水彩色の空が広がっている。
 一旦布団を頭から被った。何時だろうと思って右手だけを布団の外に出すと目覚まし時計を探る。いつもならこのへんに、と思いながら動かしていると、いきなりその手を掴まれた。
「8時だ」
 抑揚の無い声が告げる。何も訊いていないのに。この人俺の心が読めるのかよ、と考えながら政宗は動きを止めた。
 手を掴んでいる本人は相変わらず感情の伺えない声で、土曜日だ、とまた告げた。
「Ahー…土曜日だろうな、昨日金曜だったもんな」
「貴様、部活があるのであろう。とっとと行くがよい。邪魔だ」
「この部屋、別に誰かが使うわけじゃねェだろ…それにベッドの上にいるくらい邪魔にならねェだろうが」
「邪魔だ」
 二度目の声、直後布団が剥ぎ取られる。政宗は急に明るくなった視界に、眩しそうに見えるほうのひとつ目を細めた。上から覗き込んでくる顔は口調ほどに不機嫌なわけではなく、けれど当然笑顔でもない。彼は休日のはずなのに、もうきちんとシャツを着て一番上の釦までとめてあった。
「…Mornin,毛利サン」
「邪魔だ」
 三度目。
 政宗は溜息を吐いてようやくベッドの上に起き上がった。邪険にされるのは毎回のことだ。
「毎度邪魔、邪魔って、たまにゃ違う言い方で起こしてほしいもんだぜ。せっかくこのオレが泊まってやってるってのに」
「…勝手に他人の家で許しもろくに得ず泊まっておきながらよくぞ言うたな。片倉殿に連絡して―――」
「Wait!!」
 少し慌てて、政宗はベッドから転がり降りた。小十郎には彼――元就の家で勉強していると言ってある。実際は政宗は夜遅くまで悪友たちと遊びまわった後、そのまま此処に来ていた。週末は月に二回はそんなふうになる。元就は特になにも言わずこの部屋(一人暮らしのくせにゲストルームがふたつもあるのだ)に泊めてくれる。
 小十郎は政宗にとって厳格すぎるほどの守役だが、毛利の跡取りということで安心しているのか、元就の家に泊まると言うと何も文句は言わない。たまにこの家に直接、気を使っているのか様子を探るためかはわからないが、礼の品を持って挨拶に来ているらしかった。元就は基本他人のことに干渉しないため、小十郎にも適当に最低限のことしか報告しないので、政宗にとってはこんな重宝な場所はない。
「メシ、ある?」
「今日は家政婦は休みだ」
「知ってる。で、メシ、ある?」
「我はもう食べた」
「All right、.で、オレのメシは?」
 元就はそこまでの応酬でやっと人間らしい表情を浮かべた。呆れているらしい。
 政宗はその顔を見て思わず笑った。
「適当に残り物を食べればよかろう」
「じゃあ、それでいい」
 昨日着てきた制服を着るとリビングルームに向かう。ダイニングテーブルの上にそこそこに豪華な(元就が作ったのだろう、彼は早起きなので政宗はその現場を見たことはないが)朝食が、残り物と言うには随分きちんとした一人前の様子でのっていた。いつもだいたいそうだ。
 一人で食べ終わると、政宗は昨夜持ってきた荷物をそのまま持って玄関に向かう。元就は何をしているのか、自室に入ったのだろうか、姿も声もなかった。行ってくる、と声をかけた。3秒だけ待ったが当然のように返答はかえってこない。肩を竦めて、政宗は外廊下に出た。


 普段は土曜日も授業があるが、今日は校舎を別の団体に貸すということで学校自体は休みである。けれどクラブ活動はそれぞれの場所で行えるものはスケジュールが組まれていた。政宗の所属する剣道部ももうすぐ県大会ということで朝から練習が入っている。かったるいなと思いながら、休むと幸村が五月蝿いので、彼のために部活に行くようなものだ。
 バス亭からバスに乗ると、一番奥に座っていた長身の男が手を挙げた。
「政宗。よぅ」
 銀鼠いろの髪で、眼帯をした彼―――元親は笑って、こっち来いよと手招く。政宗は発車したバスの段差を注意深く歩いて(片目なので動く段差が一番面倒なのだ)たどり着くと隣の席に座った。
「アンタも部活?」
「おう。面倒なこったな、お互い」
「まったくだ。サボると“練習が倍必要でござるぅ!”とか言って幸村がつきまとうからな。五月蝿いったらありゃしねェ」
「はっは!俺んとこは猿飛がそうだな、あいつらの家庭環境がそうなんじゃねぇの?」
「違いねぇな。幸村んち遊びに行ったことあるか、アンタ」
「んー?猿飛んち、と一緒だろ?なら、ある」
「オレに言わせりゃcrazyだぜ、・・・面子が武田校長に猿飛だろ、おまけに家の中ジム状態で暇さえあれば鍛錬ときたもんだ!よくあんなとこで暮らせるなあいつら。あれじゃそのうち脳まで筋肉になっちまう」
 政宗の真剣な言葉に元親は声を上げて笑っている。
 それから、ふと気づいたらしい、政宗を覗き込んだ。
「お前、なんであのバス停から乗ってきたんだ?お前んちあそこじゃねぇだろ」
 政宗はそ知らぬ顔で嘯いた。
「彼女んちに決まってんだろ。泊まってきた」
「―――えっ。マジで?」
 少し焦った様子の元親に、jokeだ、と笑うと元親は、なあんだと言った。彼女ではないが人の家に泊まったことは事実である。けれど政宗はそのことを言うつもりはない。
 それ以上は訊いてほしくない政宗の気持ちをきちんと読んだらしい。元親は話題を変えてきた。そういう、自分でも知ってか知らずか気遣いのできる元親が、政宗はけっこう気に入っている。
「なぁ、ここらへんに、3組の毛利も住んでないか?」
 唐突に核心に近い言葉が元親の口から飛び出して、政宗はふと眉を顰めた。
「…あぁ、そうだな。なんで?」
「いや、時々、早くバス乗ると一緒になるからよ…」
「ふーん」
 どうやら話題の変遷は偶然らしい。元親は、勿論そんなことは思いも寄らないのだろう。彼が今元就のことを話すのは純粋に彼の興味の対象としてである。そう知っていながら、少々面白いような、悪戯をしている気分になりながら政宗は黙って元親が話すのを聞いている。当然、つい今しがたまで“毛利”の家にいたことは言わない。
「あいつ、変わってるよなぁ。そう思わねぇか」
「…どこらへんをそう思うんだ?」
「なんてっか、…口を開いたと思ったらすげぇ辛辣な批判か、必要最低限のことしか言わねぇし、付き合いにくいったらありゃしねぇ」
「付き合わなきゃいいじゃねェか。クラスもクラブも違うだろうが」
「いや、それが。なんかなりゆきで、文化祭までしばらく付き合わなきゃならなくなっちまって」
 ほとほと困った様子で元親は呻くように言った。政宗はひゅうと口笛を吹いた。
「何?何かやるのかよ?毛利サンと?」
「…あぁ、まぁ。そんなとこだ」
「よし皆連れて見にいってやるぜ」
「あー、いや、やめとけ。絶対面白くねぇから。ったく、なんでこうなっちまったか、さっぱりわからねぇんだよな、引き受けたからには愚痴は言いたくねぇんだが」
「いい機会じゃねェか。アンタ人類皆兄弟主義だろ?あの人とも仲良くなってみりゃいいぜ、一筋縄じゃいかないだろうが―――」
 元親はほんとうに面倒見がよくて、いい男だ。同性にも異性にもよくもてる。彼を知る人はたいてい彼を気に入る。そうでない例外的な人物がいるとすれば、その貴重な一人が元就なのだろう。何故元就がこの男のような人物を得意としないかは政宗はよく知っている。だからこそ、二人が一緒になにかするというのは、想像すると楽しみでもあり怖いもの見たさのような感じもする。
 つい面白い気分になって喋っていると、元親はまじまじと政宗を見た。
「…お前、あいつのこと知ってんのか?」
 政宗は、知ってるぜ、とごく普通に応えた。
「生徒会役員で品行方正、成績超優秀、ルックスもいい。けど友人はほぼ皆無。あとは…無表情ってか仏頂面だな、いつも」
「…なにげにひどいこと言ってるぞ、お前」
「事実だろ」
 元親はひとつ溜息を吐いた。
「うーん…そうなんだけどよ。もうちょっと話すりゃ、なにか見えてくるもんかなぁ…ほんっとに、にこりともしやがらねぇし、何考えてんだかさっぱりわからねぇんだよ」
「そりゃ、アンタが笑顔見せる相手だと思われてねーだけじゃねェの?」
 何気なく言うと、元親は口をぽかんと開けた。
「はぁ?…なんだそれ。じゃあお前は毛利の笑ったとこ見たことあんのかよ」
「あるぜ」
 けろりと政宗は言う。元親は、えっと驚いた。なんで、と聞きかけたところでバスが学校前に着いたので二人は慌てて降りた。ちょうど幸村と佐助がやってくるところだったので今度は四人で歩き出す。毛利元就の話はそこまでになった。


 嘘ではない。
 元就が泣いたところも、叫んだところも、少しだけ笑ったところも政宗は見たことがある。…もうずっと前、一人で同じこのバス路線に乗って、彼の家にたどりついたときから。
 けれどそれも、最近は本当に見なくなってしまったのは事実だ。
 元々感情の発露に乏しかった彼が年月が経つにつれ益々そうなってしまった理由も、なんとなく、政宗は知っている。知っているが、知っているだけ、でもある。
 元就が黙って政宗を泊めてくれるように、政宗も彼の中をさぐるようなことはしない。だからもう数年、こんな奇妙な関係は続いている。
 友人、ではない。


(2)