背中合わせで見上げる空



4(政宗)


 学園祭も午後もだいぶ過ぎてそろそろお開きの頃合だった。
 校門に生徒たちの作った巨大なエントランスゲートがある。その傍のテント内に、クラスの片付けに行こうとしていた政宗と元親は元就を見つけた。他校の女子生徒たちに用紙を配っている。
「――よっ、毛利!なにやってんだ?」
 政宗が何か言う暇もなく、元親は近づいていくと屈託なく元就に話しかけた。元就は「また貴様か」という表情を一瞬見せたが、落ち着いた声で、アンケートにご協力を、と機械的に言って元親にボールペンを差し出した。
「アンケート?」
「あー…文化祭の感想とか、か。ご苦労なこったな、そんな仕事までやってんのかよ」
 政宗が用紙を見て言うと、
「――つべこべ言わず、二人ともとっとと書け」
 いつもどおりの、綺麗な顔に似合わないぶっきらぼうな言葉が飛んで来て、二人は思わず顔を見合わせて噴き出した。女子生徒たちは少し離れた場所に用意された台で書いているので気づいていない。
 元親が笑いながら、このギャップがまた面白いな、あんたは。と言う。元就は眉を顰めて、首を傾げて、それから溜息をひとつ。何を言っても無駄だと思ったのだろう、いいから書け、ともう一度言って元親にアンケート用紙を渡した。
 それから、政宗に紙とボールペンを渡そうとして、自分の手元にはペンが無いことに気づいたらしい。少し困った顔であちこち探している。元親がそれを見て、また笑った。
「…いちいち人を見て笑うでないわ、貴様!」
 ついに元就がキレてしまった。政宗はやれやれと息を吐いたが、元親はそれでも笑って、いきなり元就の頭をぐしゃぐしゃとかきまぜた。なにをするか!という元就の声に、反応おもしれぇ、と元親が言うので、元就は余計に怒っている。政宗は、それをぼんやり見つめていた。
「ペンがないんだろ?――おい政宗、これ使えよ」
 元親は胸ポケットから自分のシャープペンシルを出すと政宗に渡した。政宗は、サンキュ、と言ってそれを受け取った。初等部からこの学校に通ってもう何度も学園祭も経験しているが、こんなものを真面目に書くのは初めてだなとふと思った。
 ちらりと元就を見たが、そこに政宗がいることなど何も気づいていないような彼の態度がひどく気にかかった。――普段どおりなのに。どう考えても、それが“普通”だ。だからこそ、誰も元就と政宗が知り合い以上だと知らない。
(…知り合い、以上?だと?)
 自分の考えに、政宗はふと口元をゆがめて笑った。
 元就にとって、知り合いとは大多数の人間をひっくるめた呼称であって、政宗もそこに入っている一人にすぎないのかもしれない。知り合い加減がどうこうというのは、元就にはあまり関係ないような気がする。
 目の前でペンを走らせる元親は、その一線を越えようとしているのだろうか。


 帰りは元親とは別々になった。元親は所属するバスケ部でも模擬店を出していたので、その片付けへと向かってしまった。クラスの片づけが終わるとなにもなくなってしまった政宗は、そのままクラスメイトたちと近くのファミレスで食事をした。随分喋って、店を出たのはもうだいぶ遅かった。家に帰るために歩き出し、疲れたので小十郎に迎えを頼もうと携帯を探してポケットに手を入れて、気づいた。元親のペンが入っていた。さっき借りて、すっかり返し忘れていたらしい。まぁいいか、と、そのままバッグに放り込んだ。
 少し考え、方向転換すると、バス停に向かった。
 目当てのバスはすぐに来た。政宗は空いていた一番後ろの席に座ると携帯を再び取り出した。小十郎に、今日は遅くなったから毛利サンの家に泊まる、といつもどおりメールすると、返信を待たずに携帯の電源を切った。
 車窓の外はすっかり暗く、道路端の様相は昼間見るのとは随分違うが、政宗には自宅とは違う方向なのにすでに見慣れた景色だった。最初にこのバスに乗ったときは降りるべきバス停の名前を頭の中で復唱するのに必死だったのと、本当にこのバスでいいのかという不安でいっぱいで、窓の外などなにも見ていなかったことを思い出した。初等部の――
(…何年生だったっけな?)
 元就とクラスが同じだったのはその一回きりだ。


 オートロックのインターホンを押すと元就はまだ帰っていないらしく、誰も応答しなかった。政宗は冷えたマンションのエントランスの外、植え込みの近くで座って元就を待った。いくら学園祭とは言え学校はもう施錠される時間だったし、元就が誰かと食事をするとも考えられなかったので、しばらくすれば帰ってくるだろうと考えたのである。
 果たして予想どおり、10分しないうちに元就は現れた。よう、と片手を上げる政宗に少し驚いた様子で目を瞠る。
 けれどすぐにいつもの元就の顔に戻って、政宗に声もかけずエントランスへ向かう。肩にかけられたバイオリンのケースが揺れている。それを見ながら、政宗も黙って後ろをついていく。
 当然のように玄関は政宗も迎え入れ、人気がないとは言え外よりは温かい室内に政宗はほっとした。
「もうけっこう夜は寒いな。冷えちまった」
「…先にシャワーを使え。我は少し持ち帰ったものを片付ける」
「まだ仕事あんのかよ?大変なんだな」
 政宗はソファのテーブルに置かれたバイオリンを見た。ケースの上から、こつこつと手で叩いて、元就を振り返った。
「いい演奏だったぜ?」
 笑顔で言うと、元就は少しとまどったように視線を逸らせた。
「幸村もすっかりアンタ気に入っちまって。同じクラスだろ?アイツ、すげぇ熱いヤツだからしばらく大変だろうが、悪気は無いから適当に相手してやってくれ」
「……」
「…まぁ、元親がアンタを気に入ったのは、演奏のせいじゃないだろうが――」
「――そう、長曾我部だ!」
 急に元就の口調が変わった。政宗は元就を見つめる。きゅっと眉を顰めて、元就は少し上気した顔を苛々したように左右に振った。
「奴は、なんだ?理解できぬことが多すぎる」
「…何っ、て。アイツ、いい奴だぜ?」
「そういうことではない、…なんというか、…」
 自分でどう言えばいいのか分からないらしい。元就は腕組みをして考え込んでしまった。
 そんなふうな元就も、見るのは本当に久しぶりな気がした。此処に元親がいれば、またアイツは今の毛利サンを見て笑顔になって、頭を撫でたりするんだろうなとふと思った。そして、自分はずっと彼を知っているけれど、そんなことは一度もしたことがない――どころか、彼に触れたことがあるのかどうかも疑わしいことに急に気づいてしまって、政宗は驚いた。
「…まぁ、よい。早く風呂に入れ」
 言われて、政宗は頷いた。
 自室に向かう元就の背中に声をかけた。
「一緒に入るか?毛利サン」
 元就はくるりと振り返ると、貴様まで長曾我部のようなことを言うでないわ!と声を荒げた。
 政宗は笑った。笑っているのに、どこか寂しい。


 最初に此処に来たときは“クラスメイト”だった。そのときの呼称が最も見かけ上は近い関係だったかもしれない。
 まだその頃は元就の母親も一緒にこのマンションに住んでいて、幼い政宗がたどり着いたとき笑顔で迎えてくれたのを覚えている。病気か何かで少し長く休んでいた元就へ届け物に来たときのことだ。
 ランドセルから少しよれてしまったプリントを何枚か出して母親に渡した。廊下の向こうで少しドアが動いた。隙間から、パジャマ姿の元就がじっとこちらを窺っていた。母親から、お礼をおっしゃい、と言われて、政宗のほうへやってくるとプリントの束をひったくった。母親が、駄目でしょう、きちんとお礼をおっしゃいと再び言って、元就は小さな声でありがとうと言った。
『もうすっかりいいのよ。お医者さまからもお許しが出たから来週から学校へ行けると思うわ。丁度ケーキ焼いたから召し上がっていってくださる?』
 今思えば図々しいな、と思うが、ともかく政宗は元就の家に上がりこんだ。そうして、元就とテーブルに並んで座って母親の焼いたケーキを食べた。元就はケーキを食べている間も何も言わず相変わらずいつもどおりの無表情だったが、政宗が「美味いな」と言ったときだけ、少し得意そうに口元に笑みを浮かべた。…


 あのときこの家に上がりこんでいなければ、今此処に自分はこうしていなかっただろうなと、政宗は漠然と考えることがある。


 政宗がリビングのソファに寝転んでいると、シャワーを終えた元就が出てきた。
「風邪をひくぞ。さっさと部屋へ行って寝るがよい」
テレビを有無を言わさず消して、元就は言った。政宗は、へいへいと起き上がると、元就を見上げた。
「…なぁ。元親とダチになる約束、したんだって?」
 元就はその質問に、少しばかり狼狽したようだった。
「別に…どうでも。奴はそう考えているやもしれぬが、元々さほど接点もない。何も変わらぬだろうと思ったゆえ」
「でも拒否らなかったのか。ふうん」
「…何が言いたい」
 政宗は応えず、首を傾げた。
「なぁ。オレは?」
「…?何?」
「オレは、アンタの、何?」
 元就は一瞬、言葉に詰まってたじろいだ。けれどすぐに、どこか皮肉な、呆れたような表情を見せた。
「たまに気まぐれにやってくる―――野良猫?」
 酷い言葉が飛んできた。
 政宗は、けれどその言葉に奇妙に納得している自分に驚いた。
「あぁ、…なるほど。言いえて妙、だな」
 気に入って、何度も口の中で、野良猫、と呟いた。


 やおら立ち上がると政宗は元就の手を取った。
「なにを―――」
 そのまま手を引いて、元就におかまいなしにいつも自分が泊まる部屋へ向かう。ベッドに元就を放り投げた。
「な、…なにをするか!」
「一緒に寝ようぜ。寒い」
「寒ければ暖房を入れよ。何故我が」
「いーじゃねェか。別に、野郎同士で一緒の布団で寝るだけなんだから、いいだろ、それに」
 言いながらさっさと、二人一緒に布団にくるまって、政宗はまた元就の手を取り、握った。
「風呂はいったばっかなのに冷てェ。」
「…ほうっておけ。貴様に関係なかろう」
「オレは、野良猫だからな」
 にやりと、笑った。
「―――せめて宿と餌くれるアンタを、あっためるくらいはさせてもらうさ」



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