背中合わせで見上げる空



6(政宗と幸村)


 幸村の家庭環境は、良い意味で複雑だと、政宗は思う。
 詳しく聞いたことがないし本人も話さないのでよくわからないが、幸村の両親はどうやらとうに亡くなっているらしかった。父親の恩師だった学園の武田校長(雇われ校長で、経営者ではない)が幸村をひきとって育てたと聞く。兄がひとりいるとも聞いたが、今どうしているのかなどは政宗は知らない。
 佐助は従兄だと幸村は言っているが、それもどうにもはっきりしない。佐助に聞いてもはぐらかされる。政宗が人づてに聞いた話を総合すると、佐助は武田校長の縁者であって幸村とは本来親戚でも従兄でもないということだった。
 結局三人は、血縁上は赤の他人ということになる。
 けれど保護者と被保護者として幸せに暮らしていることは、誰が見ても間違いなかった。


 政宗が幸村の――正確には武田家の――道場に入っていくと、面をつけかけていた幸村は気づいて笑顔で大きく手を振った。政宗は靴を脱いでそろえると正座して上座へ丁寧に頭を下げた。これを怠るとどこからともなく武田校長(此処では道場主だが)の鉄拳が飛んでくるので手が抜けない。
 すでに部活の主将をはじめ他のメンバーも、そしてそれとは別に道場の門下生も集って練習は始まっていた。政宗は傍らの更衣室で道着に着替え、すみのほうで準備運動を黙々と行う。それから竹刀を出して素振りをしていると、
「――どうにも腑抜けておられるな」
 いつの間にか幸村がやってきて、しげしげと政宗を覗き込んだ。
 政宗はちらと幸村を見た。
「…もう打ち込み終わったのかよ」
「終わったでござる!政宗殿も早う。あちらの者が手があいているから相手を…いや、幸村がお相手いたそうか?」
「あぁ、No, thank you.お前は試合練習しとけ」
 幸村は、首を傾げた。
「…で、どうして、そのように腑抜けておられるのか?」
「――いちいちうるっせぇなお前は!」
 思わず口調がとげとげしくなった。幸村は天真爛漫で裏表がないくせに、時折とても勘が鋭くて政宗はたじろぐことがある…
 政宗は直後、自分の物言いがまずかったと気づいて舌打ちをした。幸村はますます目を見開いて政宗をじっと、穴があくほど見つめた。政宗は視線が辛くなり、溜息をひとつ、小さな声でSorry,と言った。どうにも幸村相手だと意地を張り続けることができない。
「一体どうされたか?腹が減っているでござるか?」
「…んなわけねぇ。今食ってきたとこだよ!」
「本当に?」
「疑うなら小十郎に聞いてみろってんだ」
「ではどうなされたのか?何か、心配ごとでも?」
「なんもねェって。…あぁ、ったく。大会近いのに腑抜けてて悪かったな」
 大会、と聞いて幸村は急に満面の笑みを浮かべた。まだ二人とも4年生(高校1年生)だが6年生とも互角に打ち合えるため最近の団体戦ではつねに先鋒と副将を二人が務めている。個人戦では優勝を目指して競い合う仲だ。
 今度の大会では決勝は二人でやりたいでござる、と笑顔のまま幸村は言った。政宗は軽く頷いた。それは確かに望むところだ。先の大会では成績では二人ともベスト8止まりだった。今度は三位までには二人で食い込みたいと思う。
 ――と、急に幸村が大きな声を出した。
「そういえば!幸村、毛利殿を誘ったのです」
 政宗の竹刀を振る腕がぴたりと止まった。
「…Ah?誰、って?」
「毛利殿」
「…毛利サンが、剣道部に入るってことか?」
「違うでござる。試合を見に来ないかと誘ったのだ」
「試合を見る?なんで?」
「なんでって…佐助が来てくれることになっていて」
「猿飛はわかるさ。バスケの試合ないときはいっつも来てんじゃねェか」
「幸村、毛利殿に文化祭の片付けで会って、そのときに誘った。佐助がいるなら元親殿も来られるだろうし、飽きることもないだろうと思って」
 政宗は瞬きして幸村を見つめた。随分と行動力のあることだと内心感心している。
「…へぇ…断られなかったか?あの人、興味ねェだろうに、剣道の試合なんて」
「幸村、お二人の演奏に感動したので、お礼に渾身の試合を見せたいと言ったのだ。そうしたら考えておく、と言っておられた」
「…」
「そういうわけなのだ。だから政宗殿、今回は『ぎゃらりー』が豪勢!力を尽くして戦いましょうぞ!」
 拳を振り上げ、目をきらきらさせて幸村は言うと、何かが乗り移ったように「やるでござる、うおぉ!」とひとり天井に向けて叫んでいる。政宗はうんざりした顔で溜息をついた。幸村のことは気にいっているが、どうにもこうにも暑苦しいのは否めない。
「…へいへい」
 適当に相槌をうつと、
「だから、どうしてそう腑抜けておられるのか!?」
 顔をずいと近づけて幸村はむくれている。
「あーもう!OK、つってんだろ!!ったく、勝手に盛り上がりやがって」
 ぶつぶつ言いながら、政宗は竹刀を置くと面をつけるために道場の端のほうに正座した。手拭を頭に巻いている間もずっと、隣で幸村が元就のことを喋っている。
「おい真田幸村。そんなに、あの人のどこが気に入ったんだよ。今までずっと同じクラスでも別に仲良くなんかなかっただろうが、お前とあの人と」
 小声で聞いてみる。
 幸村はその言葉に言葉を切ると、きょとんと目を瞬いたが、腕組みをしてうーんと呻った。やがて、
「――縁、で、ござるかな?」
 にっこり笑うと、そう言った。政宗はぽかんと口を開けてしまった。
「…お前はほんっとによくわからないことを言うよな…いつの時代を生きてんだよ?ほんとに高校生か?」
「?仰る意味がわからぬが」
 幸村は、少し視線を伏せた。発せられた声は穏やかに落ち着いていた。
「…なんというか、“見つけた”のでござる。毛利殿と言うお方を…」
 政宗はその言葉にどきりとした。
(ちっ。…ほんとコイツ、鋭いよな)


 元就は、埋もれている玉のようなものだ。
 結果的に目立つことも多いが、彼本人はあまり人の上に立って目立つつもりはなさそうだった。周りの人間に興味が無いしかかわりを持とうともしない。
 だから、気づいた者にしか彼という人物は見えない。
 元親は、見つけた。幸村も見つけた。
(…オレは?)
 政宗は考える。
 多分元就を“見つけた”時期は誰よりも早い。
 けれど、そこで時間は止まっている。元就の家に上がりこんで泊まっていることは小十郎たち以外誰も知らないし、政宗も元就も誰にも言わない。言う必要が無いからだ。重要ではない、と互いに考えている証拠だ。
(…野良猫扱いだし、な)
 元就の口からはっきりそう言われたことは、当たっているし自分も納得できたが、よくよく考えるとやはり腹立たしいような気もするのだ。オレも勝手だな、と政宗は肩を竦めた。自分で勝手に上がりこんで、泊まって、ものを食べて、勝手に帰る相手が野良猫の雨宿りとどう違うというのか。元就は、正しい。
 幸村が、早う、といつの間にかまた面をつけて呼んでいる。
 政宗は立ち上がった。剣を打ち込めば少しはすっきりするかもしれない。そのために今日は此処に来たのだから。
(まぁ、せいぜい、野良猫の剣筋を見てってもらうか)
 幸村ではないが、どういうわけか、元就が見に来ると思うと、少し怖いような。けれど楽しみでもあるような気がした。


(7)