背中合わせで見上げる空



7(元親)


 『友達になってほしい』と言ったのは嘘ではない。
 しかしその言葉があさはかだったと最近元親はつくづくと思い知っている。良い意味で、である。
 毛利元就は、元親が思うよりずっと興味深い人物だった。付き合えば付き合うほど、知れば知るほど。だから、『友達』という言葉で括ってしまうのが勿体無い、と。


 学園祭の後から、元親は暇さえあれば元就の教室に通うようになった。昼休みは言うに及ばず、始業の前も、放課後も。部活が終わってまだ生徒会室に電気がついていれば顔を出す。佐助などは呆れている、勿論それが当然の反応だろう。
 当の元就も辟易しているらしい。いつだったかついにキレられて、生徒会室まで来るな!と怒鳴られた。
「じゃあ、俺、あんたの仕事終わるまで待ってっからよ。一緒に帰ろうぜ」
 まったく動じずに笑顔で言うと、元就は珍しいことに赤面した。部屋にいた後輩の女子生徒たちは、二人のやり取りを見てくすくす笑っている。生徒会長の浅井が呆れたように、「そんなに此処と毛利が好きなら貴様も生徒会に入れ」と言ったくらいだ。当然、それは丁重にお断りしておいたが。
「つきまっとってんだって?随分惚れ込んだもんだな」
 政宗にも苦笑しながら言われた。毛利サン、嫌がってんだろ、と。
 元親は真顔で言った。
「あいつ、面白いぜ?真面目だし賢いし、けど、どっか世間知らずっぽいし、かと思えば妙に大人びてやがって」
「…へぇ…」
「だから、最初はほんとに、軽い気持ちで、このまんま付き合いが続けばいいなって思ってたんだが…」
 話すほどに彼の応えが面白い。それは言葉や話す内容だけではなく、彼の表情も仕草も、全部含めて。相変わらず表情はつめたく強張っていることが多いが、それでも時折これまで見たことのない表情も垣間見えるようになって、元親は大満足である。
 当分つきまとうのはやめられねぇよと言うと、まるでストーカーだな、と茶化された。元親は笑っておいた。元就本人からはっきり拒絶されれば諦めようとも思うが、今のところそれはないのである。文句を言いながらも、一緒に帰ろうと言うと素直に途中まで一緒に帰ってくれる。帰り道何か腹ごしらえしようぜと誘えば、時間があれば付き合ってくれる。楽しいかどうかは訊いたことはない。それは元親は、相手に失礼だと思う主義だ。一緒にいてもいいと思うからいてくれるのだろう。元就ははっきりしている、そんなことに遠慮をするタイプではない。
 だからきっと、嫌われてはいないのだ。
(…多少、鬱陶しいとは思われてるかもしんねぇが。かまやしねぇよ)
 まだあまり多くは語ってくれないが、少しずつ毛利元就がわかってくるのが嬉しい。甘いものが好きだとか、色は緑が好きだとか、そんな些細なことだが。

 *

 幾日か過ぎ、季節は冬に向かおうとしている。
 その日も元親は部活の後、一緒に帰る約束を強引に元就に取り付けていた。終わってから正面玄関で待っている間に携帯に電源を入れると、メールが入っていた。姉からのものがあって、元親はその内容に呆気にとられた。
「…くっそ、姉貴のやろう!あいつはどうしてこう…」
「待たせたな、…どうした?」
 姉に毒づいていると、元就がちょうどやって来た。元親は振り返って「よう」と笑顔で言ったが、すぐに溜息をついた。
「…いや、姉貴から連絡が。今日は仕事で会食あんの忘れてた、だとよ!ったく、今から俺にメシつくれってか…」
「…?何故貴様が?母御はどうした」
「ははご?…あぁ、かあちゃんか?三年前に死んだ」
「―――」
 元親の返答に、元就の表情が瞬時に強張った。
 元親は、それを見て、苦笑して肩を竦めた。
「あぁ、すまねぇな。別に気にしてねぇから、あんたもそんな顔すんな」
「…すまぬ」
「謝ってもらうことじゃねぇよ、まぁ、そんなわけでいつもは姉貴が家事やってんだが。弟が二人いてよ、留守番してっから、ごめんな、俺今日はすぐ帰って準備してやんなきゃ」
「…貴様が作るのか」
「ん?まぁ、時々あるから慣れてるし、たいしたもん作るわけでもねぇし。しっかし冷蔵庫に何あるかくらい書いてこいよな、姉貴め。携帯の電源切ってやがるし!」
 仕事中ならば当然であろう、と、やんわりと元就がフォローをいれたので、元親は笑った。どこか不安そうに見上げてくる元就の顔を見ていると不思議な衝動がわきおこって、思わず元親は手を伸ばすと元就の頭をくしゃくしゃとかきまぜた。
「まぁ、また今度一緒に、遊びに行こうぜ。な、毛利!」
「…我も」
 微かな声がした。ん?と元親が俯いている元就を覗きこむと、視線だけで見上げて、元就は口を開いた。
「…我も、一人だ。つきあってやらんこともない」
「は?」
「貴様の家に行ってやろうと言っているのだ」
「―――え?」


 元就の行動があまりに意外で、しかも手早く、元親は遠慮する暇も何か言う暇も考える余裕もなかった。
 二人で買い物を終えて、元親は緊張しながら元就を自宅へ招き入れた。弟二人が留守番していた家の中はいつもどおり適度に散らかっていて、ドアをあけた瞬間元親は元就を連れてきたことを後悔したが、まったく動じず元就はさっさと家に入っていく。兄が友達を連れてきたとわかってはしゃぐ弟たちにはさほど興味を示さず、元親の見ている前で元就はてきぱきと買ってきたものを冷蔵庫にしまい、米を研ぎ、皿を勝手に洗い始めた。
「あ、あのよ、毛利」
「なんだ。貴様はさっさと部屋の中とテーブルの上を片付けさせろ」
「…はい」
 意外にも慣れた手つきで調理する元就を、元親は新鮮な気持ちで見ていた。
 あとは買ってきた惣菜を温めて並べると、それなりに賑やかな食卓になった。四人でテーブルを囲んで食べた。テレビは消せ、と言われて、ねえちゃんみたいだねこの人、と下の弟が言った。元就は赤面し、元親は思わず大声で笑った。
 食器の片づけを終えると、元就は帰り支度を始めた。元親は慌てて、送っていくと言ったが、元就は呆れたように元親を見て、弟たちを見た。彼らを置いてか?と言う。
「じゃあ、マンションの入り口まで」
 少しごねて、ようやくそれはOKをもらった。
 廊下を歩きながら、あらためて「ありがとうな」と元親は頭を下げた。
「おかげであいつらも楽しかったみたいだし。あんたがよければまた来てくれ」
「…」
「あんたがまた、独りで留守番のときにでも。今日はたまたまで、俺はラッキーだったな」
「…別に、今日だけではない。我はいつもひとりだ」
「――え?」
 マンションのエントランスに着いた。
 さっさと出ようとする元就の手を、元親は引っ張った。
「おい。…いつもひとりって、どういうこった」
 真剣な表情で見つめる。握られた手をじっと見ていた元就は、やがて淡々と言った。
「言葉通りだが?」
「…独り暮らし、してんのか、あんた」
「そうだ。言わなかったか?」
「…知らねぇよ、そんなこと」
 元親は唇をかんだ。
「俺は、あんたを知らないんだな。まだまだ、知らない。けっこう、たくさん話したつもりだったんだが」
 元就は、笑みを浮かべた。どこか淡々と冷たい笑みだった。
「我も知らなかったぞ。貴様の母御がすでにおらぬことも、姉弟がいたことも」
「俺、言ってなかったか?…そっか。そうだな」
「所詮そんなものだ。他人のことなぞ、深く知っても知らずとも、別に変わりない。自分のことすらよくわからぬものよ」
「――そんな言い方すんじゃねぇよ!」
 元親は、握った元就の手をさらに強く握り締めた。
 ここ最近の自分の行動をすべて否定されたような気がして、悔しかった。
「俺は、知りたいんだ。あんたを」
「くだらぬ。我を知って、どうする」
「くだらなくねぇ。ただ知りたいんだよ。あんたにも俺を知ってほしいし、…あぁ、くそっ。なんて言やぁいいんだか」
 元就は何も言わず、ゆるやかに手をほどいた。離れていく手を、元親は見送るしかできない。
「それはさておき、…馳走になった」
 それだけ言って、元就はエントランスを振り返りもせずに出ていった。


「…知りたいんだよ。気に入ってんだよ、あんたを」


 呟いて、元親は掌を見つめる。
『友達になってほしい』と言ったのは、嘘ではない。
 むしろ――それだけでは、物足りないとさえ、思っている。


(8)