背中合わせで見上げる空



8(元親)


 昼休み、元親は政宗と連れ立って元就のクラスへその日も顔を出した。元就は幸村となにごとか話していた。近づくと幸村が気づいて手を振った。
 元就も振り返る。今日は、元親の顔を見て少しだけ眉を顰めた――と、元親は気づいた。構わず近づくと、元就の隣の椅子に座った。政宗が後ろで苦笑している気配がしたが、気づかないふりをした。
「今しがた、今度の剣道大会の話をしていたのだ」
 幸村が嬉しそうに言う。
「元親殿も来られるだろう?佐助は来ると言っていた。毛利殿も」
「待て。我は、行くとはまだ…」
「――ああ、行く。俺は行く、だからあんたも行こうぜ、毛利。」
 元親は、真っ直ぐに元就の目を見つめて言った。元就は黙った。
「なぁ、政宗、俺らが見に行ったほうが嬉しいだろ、お前も?」
「…オレに同意を求められてもなァ?オレは選手なんだし…それにお前はともかく、毛利サンの意向までは――」
 政宗が肩を竦めてそんなふうに言うと、幸村が声と体を一緒に三人の中へ割り込ませた。
「各々方、見ていてくだされ!先日の道場の模擬試合では後れを取ったが、この幸村、本番では決して負けはせぬ!
 政宗に堂堂と宣言する。政宗はむっとした表情になったが、すぐ身を乗り出した。
「…オレだって、お前に本番で負ける気はねェよ。せいぜい今のうちに吠えておくがいいぜ真田幸村」
 知らぬ顔で受け流しつつ挑発する政宗に幸村はさらに、なんの!と詰め寄り、二人でにらみ合いになる。――餓鬼っぽいにらめっこのように見えなくも、ない。
 いつものことだが、この二人の意地の張り合いは見ていてなかなか面白い、と元親は思う。
「…ほんと、お前ら、仲いいよなぁ」
 微笑ましくてそう言うと、幸村はきょとんとし、政宗は鼻白んでいる。別に仲がいいわけじゃねェよ、と素直でない反応をする政宗と、そうでござる、我らは「らいばる」ゆえ仲が良いのだ!とにこにこしながら肯定する幸村は、まるで違う性格だけれどなかなかよいコンビだと、元親はつられて笑った。
「こいつら面白いよなぁ、毛利」
 ――同意を求めて元就を見て、元親はふと眼を瞠った。元就はぼんやりと二人を見ているが、どことなく寂しそうに思えたのである。元親は眼帯をしていない目を軽く擦った。それに気づいて元就の視線がこちらへ向く。
「どうした。目が痛むか」
「あぁ、いや――なんでもねぇ」
 元親へ向かう元就の表情はいつもどおりの無機質なもので、さては見間違いだったかと元親はどういうわけだか安堵した。
 廊下から剣道部の後輩らしき生徒が、政宗と幸村を呼んだ。試合のことらしい、二人は連れ立って、元親と元就に手を振ると教室を出て行った。


 二人残されて、元親はあらためて元就の顔を覗き込むと、少し頭を下げた。
「こないだはほんと、助かった。いろいろすまねぇ」
「…別に。礼を言われるほどのことはしておらぬ」
 そっけない返事すらも嬉しいと思える。元親はそんな自分に苦笑した。
「あのよ、毛利。あんた一人暮らしだっつったろ」
 おもむろに言葉にしてみる。ここ二日ほど、元就と会わない間に考えていたことだった。元就は少し怪訝な顔をして、元親を見ている。
「別に、詮索するつもりはねぇんだ。ただ…」
「なんだ」
「…俺、時間あるときに、あんたんち行っていいか。――あぁ、勿論あんたも時間あるとき、でいいんだが」
「――」
 元就はその言葉を聞いて、きゅっと、描いたように整った眉を顰める。ややあって、少し口元が引き上げられ、小さな声が呟いた。
「ふむ。…これは随分と礼儀正しい野良猫よな…いや、野良とは言わぬか」
「――あ?」
 意味が分からず、元親は目を瞬いた。元就はもう、なにも言わなかったように口を引き結んで、考え込んでいる。
 やがて、ほんのすこし頷いた。
「まぁ、よい。貴様が来たいときに来ればよかろう」
「…そっか!ありがとよ」
 元親はにこりと笑った。
「じゃあ、早速今日、行っていいか?」
「今日は委員会だ」
「俺も部活あるから、終わったら待ってっから」
「――」
 小さく溜息が聞こえた。
「…好きにせよ」
 元親は満面の笑みを浮かべた。

 *

 バスは同じ路線で、降りるバス停ももうわかっている。
 今日初めて二人一緒に降りた。無言で少し先を歩く元就の自分より小さい背中を見ながら元親は同じように無言で歩いて行く。
 辺りは瀟洒な住宅街で、ほんとうにこんな街で学生の一人暮らしが可能だろうかとふと訝しく思った。
 やがて白い大きなマンションが見えた。元就はエントランスに入るとオートロックをテンキーを打ち込んで解除する。此処かよ、と元親は緊張した。どう差し引いてみても、そこは学生には不似合いな高級マンションだった。
 エレベーターに乗り込んで、元親はあらためて元就をしげしげと見つめた。元就は視線に気づいているのかいないのか、じっと階のナンバーが光るのを目で追っていた。
 エレベーターを降りて廊下の端が元就の家らしかった。
 ドアが開く、――言葉どおり誰も迎える者はいない。
 電気のスイッチを入れるとぱっと部屋は明るくなる。白とベージュとグリーンのインテリアでまとめられた室内はこざっぱりと片付けられているうえに無駄なものも見当たらず、隙が無い。誰も住んでいない家のようだと元親は思った。
 元就がキッチンに立ってケトルを取り出した。湯を沸かそうとしているらしい。元親の家に来たときと同じようにその動作には不自然さが無く、いつもこうやって彼はキッチンに一人で立っているのだろうと分かる。
「なぁ。メシとかも、いつも自分で作ってんのか」
 思わず訊いてしまって、元親はしまったと首を竦めた。絶対にプライベートなことは訊くまいと心に決めていたのである。けれど元親の言葉を別段咎めることもなく、元就は「そういうわけではない」と応えた。
「家政婦が作って冷蔵庫に置いていく。曜日によって来ないときもあるが。そういうときは自分で作ったり、買ってきたり」
「はぁ?…家政婦!?」
「…そんなに驚くことか?」
 元就はむしろ、元親の驚き方に眉を顰めている。いや、別にと慌てて元親は首を横に振った。確かに友人の中には家政婦を雇っている家もあったが、どうもそれとは状況が違う気がする。
 コイツは一体どういう家の子供なんだろう、と元親はそっと考えた。
 相変わらず元就については何も見えてこない…でも家の中をあらためてぐるりと見回し、今訊いた話などを考えてみるに、元就の「無機質な表情のない顔」には納得いくような気がした。こういう家で一人でずっと暮らしていたらそうなって当然だとも思う。今となってはこれが彼の当たり前なのかもしれないが。
「あっちは?」
 リビングから、玄関へとは別方向へも廊下が伸びている。一人暮らしにしては広い家だなと思って尋ねてみると、我の部屋と客間だ、と応える。
「へぇ、あんたの部屋か。見てきて、いいか?」
「…勝手に触れないと約束するなら」
「おう、わかった!」
 元親はいそいそと許されたその場所へ入った。
 元就の部屋は、それでも他の部屋よりは幾分温度の感じられる場所で、元親はほっと胸をなでおろした。ベッドと、机と、机の上にパソコンと、あとは書棚くらいしかないが、それでも生きて呼吸している感覚があった。
 嬉しくなって部屋の中を意味も無くぐるぐると歩き回った。
 元就らしく机の上もきちんと片付けられているし、本もきっちりと同じ大きさのものどうし揃えて並べられていた。触れないという約束だったが、元親にはよくわからない経営や建築関係の分野の本ばかり並んでいて、禁じられずとも触る気にもなれない。こういうのに興味があるのかあいつ、と一人感心した。
 ようやく満足し、部屋を出ようとして、パソコンのキーボードの横に置かれたそれに、気づいた。
 少しくたびれたシャープペンシルが一本。
 それにだけ、この無機質な白い部屋に不似合いな色が、ついている。――思わず、手に取っていた。


「――なんで?」


 手の中のシャープペンシルを食い入るように見つめ、元親は呟いた。何処でも買える、大手メーカーのものだ。けれど端の少し擦り切れた小さなゲームキャラクターのシールがグリップより少し上のところにはってある。子供っぽい明るい色使いのきらきらしたそれは、元親の一番末の弟がいつだったか勝手にはったものに間違いなかった。
「なんで?コイツが、毛利んちに?」
 呟いて、くるりと回してみる。手に馴染む感覚はやはり自分のものに違いなく、元親は眉を顰めた。そういえば最近ペンケースの中にも見かけなかった。
(いつだった?これを最後に使ったのは…?)
 元就にペンを貸した覚えはない。元就が拾って保管してくれていたのだろうかと思うが、元親の名前は何処にも書いていない。誰のものかわからない拾い物を彼がそのまま自分のものとして使うとも考え難いし、もし元親のものだと知っていたらすぐに返してくれるだろう。
(いつだった?誰かに貸した――ような…)
 思い出す。


「…政宗?…」


 元親は無言でリビングに戻った。
 キッチンから甲高いケトルの笛の音がする。
「おい毛利、沸騰してんぞ」
 声をかけると、元就はすぐ隣の食品庫にいたらしく、すこしばかり慌てて出てきて火を止めた。ほっとした様子の元就の表情は新鮮だった。家の中だとまた違うんだな、とぼんやり思った。彼の手の中には紅茶とクッキーの袋があって、自分のために出してきてくれたとわかって、元親は嬉しかった。
 掌を握り締める。
 せっかく彼の家に入れたのだ。嬉しかった。このまま黙って一緒に彼の淹れてくれた紅茶を飲んで、穏やかに会話を続けたほうがいいとわかっている。けれどどうしても訊いてみたくてたまらない。思えば、最初からなにかがひっかかっていた――
「…あのよ、毛利…」
 声をかけた。
 元就は顔を上げた。視線があうと、怪訝そうに首を傾げた。
 元親は手の中のシャープペンシルを、ゆっくりと差し出した。勝手に触って悪いと思ったんだが、と前置きする。
「これ、あんたの部屋にあった」
 一瞥して、元就は、あぁと頷いた。
「家政婦が掃除中に家のどこぞに落ちていたのを見つけたと言っていたな。しかし我のものではないのでどうするか保留していたところだ。それがどうか?」
「…これ、俺のだ」
 元就は一瞬、意味がわからない、というふうな表情になった。貴様の?と口の中で呟いている。元親は、ひとつ息を吸い込んだ。
「この前、…政宗に、貸した。学園祭のときだ」
「―――」
 元就の一重の瞼が、何かを思い出したようにほんの少し見開かれる。
「俺も忘れてたし、あいつも忘れてんだろ。別にシャーペンくらいいいんだが、…なんで此処にこいつがあるのか、不思議な話だぜ」
「…」
「俺、前からなんかひっかかってたんだがよ」
 元親はそこで一旦、黙った。元就をじっと見つめる。元就はいつもと同じ、むしろいつも以上に冷ややかな目で元親を見つめていた。他人の境界に踏み込むな、と、暗にその目は告げていたが、元親は黙っていられなかった。
 一人暮らしの理由なんかどうでもいい。どうして親も誰もいないのか、なのにこんなマンションに住んでいるのか――そんなことも別にどうだってよかった。
 でも、これだけは訊きたい。
 元就と頻繁に会話するようになってから、ずっと何処か、何かが腑に落ちなかった。ひとつひとつはとても小さなことだ。
 政宗と元就は、学校ではほとんど喋らない。最近では一緒にいる時間も増えたが、それでも挨拶程度しか見たことがない。けれどいつだったか、政宗は言った。毛利サンの泣いている顔も、笑顔も、知っていると。それっきり忘れていた―――
 今日、政宗と幸村のかけあいを見る元就を思い出す。誰を見てあの表情なのだろうと思った、あれは。
(政宗は、毛利を「知ってる」。…毛利も、政宗を、「知って」るんだ、学校が同じってだけじゃなくて…俺がコイツに興味持つ、ずっと前から?もっと?…)


「あんた、…政宗と、どういう関係なんだ?」


(9)