背中合わせで見上げる空



10(政宗と元親)


 政宗はひとつ大きな欠伸をした。
 連日の幸村との練習で流石に疲れが溜まっていた。大会前は大抵そうだが、普段以上に幸村と一緒にいる時間が長くなるのは、政宗には楽しい反面少々鬱陶しいのも確かだ。
 幸村は大好きなことに手を抜くという選択肢が無い。剣も、大会での勝負も、政宗も「大好き」と公言して憚らないからにはそれは暑苦しいのも当たり前といえば当たり前だろう(ついでに言えば、幸村は、剣の師匠であり保護者である武田校長のことも、従兄の佐助のことも当然「大好き」である)。
 ――また、欠伸が出た。
 ハンドルを握る小十郎が、政宗様、とバックミラー越しに怖い顔で睨んでくる。今朝は起きられず、小十郎に送ってもらう羽目になり、この状況である。最近は公共の交通機関で自分で行くようになっていたし、過保護な小十郎もそのことを心配しつつも喜んでいたのであるが。
「しょうがねぇだろ。昨日も時間延長して練習してたんだ…お前も真田幸村の練習相手やってみろよ、疲れが倍増するに違いねぇぜ?」
 だから送ってもらったってばちは当たらないだろうが――と胸を逸らすと、小十郎は溜息をついた。
「学業も忘れてもらっては守役として困りますゆえ」
「ハイハイ、勉強ね…結局それかよ。大会終わったらするさ、多分な」
「政宗様、大会の翌週末から定期テストだと当然承知しておられるでしょうな」
「Ha,小十郎はすげぇな。そんな予定までよくアタマに入ってるもんだ、So terrible…」
 茶化して言うと、また怖い目でじろりと睨まれて政宗は後部座席で首をすくめ、舌をぺろりと出して笑った。


 車から降りて校門をくぐったところで元就にばったり出会った。
「Mornin' 毛利サン」
 挨拶の声を掛ける。
 元就は政宗に気づくと、少しだけ目を見開いて、一瞬何か言いかけるように口を開け――けれどそのまま、何も言わずに元就は踵を返すと、一人先を行ってしまった。
 平素から挨拶しても返答はもらえたりもらえなかったり、だ。政宗も学校では声をかけたりかけなかったり色々なので、いつもどおりといえばそれまでのことだろうが、妙に何かがひっかかり、政宗は我知らず首を傾げた。
「うおぉおお早うでござる、政宗殿ォ!!」
 ふいに後ろから幸村の声が強烈に響いて、瞬間、政宗は考えていたことが全部吹っ飛んでしまった。
「あぁ、今日も朝からテンション高いな、お前は…」
「当然でござる!さぁ今日も放課後は練習練習!!おおぉ幸村滾ってきたでござるぅあ!!!」
「…今から放課後のことでそんだけ盛り上がれるとはめでてェ奴だぜ…」
 後ろで佐助が大笑いしている。
 顔を上げると、もう元就の姿は見えなくなっていた。
「――まァ、いいか」
「なにがでござる?」
 ひとりごとが聴こえたらしい。政宗は肩をすくめた。別に隠すこともない、相手は幸村だ。
「さっき、毛利サンに会ったんだよ」
「おぉ?幸村気づかなかった。もうおられぬが?」
「…お前に気づいて、熱苦しいのに巻き込まれるのが嫌で逃げたのかもしれねェぜ?」
「は?なんのことでござろう?」
 本気で意味が分からないのだろう、幸村が瞬きして問い返す。政宗は思わず声を出して笑った。


 教室に入ると、元親が近寄ってきた。
 よぅ、と互いに挨拶を交わす。借りていたCDを持ってきたのを思い出し、政宗はバッグを空けてCDを探した。
「…あれ?っかしいな、入れてきたはずなんだが…」
「何だ?」
「いや、アンタに前借りた…」
「――これか?」
 目の前に、ひょいとシャープペンシルが差し出された。政宗はそれを見つめて、それから元親の顔を見た。なんのことかとしばらく考える。
「…あぁ!そういや。オレ、アンタにペン借りてたっけ?」
 ようやく思い出して頓狂な声をあげると、
「…なんだ、忘れてたのかよ!そうだろうとは思ってたけどよ」
 元親が笑う。政宗は、面目ねェな、と首を竦めた。
「オレが返そうと思ったのはCDだ、けど見つからねェ。机に置いてきちまったか?」
「別にいつでもいいぜ」
「そうか、すまねェな元親。そのシャーペンのことも」
「それより――」
 元親は政宗の前の席に、向かい合うように後ろ向きに座った。
「政宗。このペンどこにあったと思う?」
 問いかけの意味がよくわからなくて、政宗は怪訝な顔で元親を見た。
「…あぁ、そうか!オレが借りて、返してないのにアンタが持ってるってことは、アンタが見つけてくれたんだよな。何処にあったんだ?」
「――毛利んちだ」
 さらりと返ってきた答えに、一瞬で政宗は固まった。


「…毛利サンち?」


 なんで、と考えた。
 元就の家に持って行って、忘れたか、落としたということだろうか。政宗は思いだせず少しいらついた。
 それから、自分が焦っていることに気づいて、何故焦る必要があるのか分からず困って、頬杖をついた。
 元就の家に時折寄って、泊まっていることは友人の誰にも言っていない。隠していたわけではない――言う必要が無いと思ったから、言わなかっただけだ。そうにきまっている。
 実際学校では、政宗と元就が会話する機会などほとんど無いに等しい。人間関係も重ならないから、互いの話題にのぼることもない。だから誰にも知られないまま今まできた。交友関係が重なったのはほんのここ二ヶ月以内のことだ。文化祭を元親と元就が一緒に行動した、そのときから。
(待てよ、…元親が持ってるって、ことは、…毛利サンが元親に渡した?…いや、このペンが元親のモンだとあの人は知らないだろうし、…てことは、元親があの人の家に…?)
 元親は、いつもと変わらない柔らかい笑顔で告げてくる。
「政宗、お前、毛利の家にちょくちょく行くんだってな」
「……あぁ…」
 政宗は小声で返事した。嘘をつく気はなかった。でも。
「全然知らなかったぜ。お前の口から毛利の話なんかほとんど聞いた覚えもなかったし」
「…別に…毛利サンのことは知ってたさ。俺もあの人も、初等部から通ってるからな、この学校に」
 元親はその答えに苦笑している。
「はっは!ったくよぉ、なんなんだお前ら?毛利の野郎も、まったく同じこと言ってたぜ。初等部から一緒だから面識があるのは当然だってよ!」
「…そうかよ」
「俺が言ってるのはそういう意味じゃねぇってことくらい、わかるだろ?」
 政宗は、少しむっとして元親を睨んだ。右目にかかった前髪が動いて、義眼があらわになった。そうやって、両の目で睨み上げる。
「――さてね。別にオレは、毛利サンのことを隠してたわけじゃない。アンタに喋る必要もなければ、喋る機会もなかっただけだ」
「…それも、毛利とおんなじ言い方だな」
「…なんだと?」
「じゃあ、お前に聞くが」
 元親は真面目な顔になった。
「お前にとって、あいつは…毛利は、何なんだ?」
 ――政宗は黙り込んだ。


 何か、と問われたとき、どう応えればいいのかと考えたことはある。
 でも、いつも答は出なかった。
 今も、政宗は困っている。…何か、だって?
「…知り合い、じゃねェのか。時々家に上がらせてもらう程度の」
「おいおい。家に行くのに、泊まっていくのに、もう何年も付き合いがあるのに、"知り合い"なのか。そういうのは『友達』ってんじゃねぇのかよ?」
「…友達?オレと毛利サン…が?」
 政宗は本気で吃驚して元親を見た。なんてそぐわない言葉だろうと驚いたのである。
 その驚きは元親にも伝わったらしい。元就も政宗のことを友人だと呼ばなかったことを思い出し、内心で呆れながら、元親は身を乗り出した。
「おい、おい。マジか。お前ら、変わってるなぁ?普通は、友達っていうだろ?」
「…友達てのとは」
 気があって一緒に遊びに行ったり共通のことで盛り上がって話したり、ときには喧嘩したり。そういうものではないのかと政宗は考えた。
 その意味では、元就は政宗の友達ではない。一緒の家の中にいたって何か互いに話すわけでもない。いつも互いに好き勝手なことをしている。一緒に"居る"だけだ。
「…違うんじゃねェか?多分、毛利サンに聞いてみれば、オレのことはトモダチとは言わないと思うぜ、多分…」
 逡巡の挙句、結局はそういう言葉が出た。
 元親はまた苦笑した。
「そうだな。言わなかったな」
「…ってことは聞いてみたのかよ?アンタも人が悪いな…」
 政宗は皮肉のこもった笑みを口元に浮かべた。
「オレのこと、なんて言ってた、あの人?教えろよ」
「あぁ…それは、まぁ」
 言いよどむ元親に、政宗はにやりと笑ってみせた。
「野良猫って、言ったろ?前言われたことがある」
「――ほんとに、あいつ、お前に言ってたのかよ、その言葉。冗談か嘘かと思ってたのに」
 政宗は肩を竦めた。
「Ha,アンタもしつけェな。そうやって答えが出てんのに、オレにまで同じ質問、追加で聞いてどうすんだ?つまり二人揃ってそう言うってことは、オレと毛利サンはそういうこった。だろ?」
 元親は何か言いたそうに口を開いたが、言葉はなかった。
 今朝の元就を思い出して、政宗は内心納得しつつ不思議にも思った。
 彼は、元親とのこの会話について、何か政宗に言おうとしたのだろうか。あの、他人のことにはまったく興味が無く、政宗のことも「野良猫」とぴしゃりと言って憚らない元就にしては似合わない、と政宗は思う。


 予鈴が鳴った。
 元親は自分の席に向かうために立ち上がった。政宗は、ずっとあけたり閉めたりしていたバッグを、あきらめて机の横にかけた。CDは明日持ってくる、とぽつりと告げた。
 頷いて、元親はしばらくじっと政宗を見つめた。
「なぁ、政宗」
「…何だ」
「俺は、野良猫は嫌なんだ」
 政宗は息をのんだ。元親を見る。元親は穏やかに笑んでいた。
「俺は、あいつと“友達”になりたい。あいつのことをもっと知りたい」
「…そうかよ」
「今はお前よりもあいつからずっと遠いポジションでも、いつか、そう呼んで欲しいと思ってっから」
「ふうん。そりゃァ――」
 政宗は視線を伏せて、口元だけで笑った。
「…元親。オレにそんなこと言ったってしょうがないだろ?あの人に直接言ってやれよ。オレは所詮宿を借りる野良猫どまりなんだから関係ない」
「関係、ないのか」
「あぁ、ないね」
「けどよ、…」
「…関係ないっつってんだろ!」
 我知らず、政宗は声を荒げていた。
 直後に気づいて、Sorry、と小さな声で詫びた。元親はにこりと笑って、言った。


「そっか。…じゃあ、遠慮なく、俺は毛利と"友達"にならせてもらうぜ」


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