背中合わせで見上げる空



11(政宗)


「…shit!」
 呟きは小声だ。聴こえなかったはずだ。
 けれど相手は出来た隙を見逃さなかった。一閃、頭上から衝撃がくる。審判の旗が間髪入れず三本とも上がった。
 勝負あり、と告げられ政宗は項垂れた。試合後の蹲踞をして場外に出ると座って面を取った。
 勝った相手――幸村が向こう側からぱたぱたと駆けてきて、隣に座って同じように面を取った。
「一体どうされたのか?練習試合とはいえ、まったく集中できておらぬではないか、政宗殿」
 政宗は、じろりと幸村を睨んだ。
「うるっせェな。ほっとけよ」
「そういうわけにはいかぬ。昨日までと別人のようでござるゆえ、幸村心配しているのだ」
「そうかよ。そりゃどうも」
「なにか、心配ごとでもあるのだろうか?」
「…うるせェつってんだろ!お前に話してもしょうがねェんだよ、俺の問題なんだから」
「政宗殿だけの問題ではござらぬ!団体戦も個人戦も、幸村、政宗殿に腑抜けた試合はしてもらいたくは――」
「そんなに勝ちたきゃ俺を外しとけ!」
 政宗は立ち上がると、武道場の端に歩いていく。
「何処へ行かれる、政宗殿」
「帰り仕度するんだよ。今日はもう上がりだ」
「勝手なことは許されませぬ!」
「これ以上やったって一緒だろうが。だったら時間の無駄…」
 目の前に影が下りた。
 えっ、と見上げた政宗の前に、腕を組んだ武田校長の巨体が仁王立ちしている。政宗はチッと舌打ちをした。聞き漏らさず、がしっと政宗の腕を掴むと、校長は有無を言わさず政宗を引き摺って道場の隅に立たせた。
「Hey,何すんだよ、おっさん」
「やかましいわ!幸村、さっさとこやつの相手をせい!打ち込み百本!!」
「ちょっと待て…冗談じゃねェよ、なんで今からそんなタルいこと――」
「問答無用ぉ!政宗殿、いくでござるうおおぉぉ!!!」

 *

「――おっ、やってるやってる」
 バスケの練習が終わった元親と佐助と、元親に無理矢理引き摺られてきた元就は三人で武道場を覗いた。部員たちはあらかた練習を終えて清掃にはいっている。が、片隅で、まだ打ち合っている二人。
「政宗と幸村か。あいつら元気だなァ」
 垂の名前を読んで、元親は苦笑した。佐助が同じように苦笑しながら、あれは真田の旦那だけが張り切ってんじゃない?と言う。
「ん?そうか?」
「なーんか、竜の旦那、いやいやつき合わされてるカンジだ。ホラ、武田校長が横にいるじゃん」
「…あぁ、本当だな。怖ぇ」
「だから逃げられないんでしょ。かわいそうに、なんか校長の逆鱗にふれたのかね?」
 可哀相といいながら、佐助は面白そうに笑っている。元親もつられて笑った。
 元就はじっと打ち合う二人を見ていたが、やがて元親を仰ぎ見た。ん?と促すと、元就は口を開いた。
「我はもう帰っていいか」
「――え。もうちっと待ってやろうぜ。一緒に帰ればいいじゃねぇか」
「何故だ?」
 真顔で「理由」を聞き返されて、元親は返答に窮した。
 ときおり、元就はこういう、薄情に過ぎる発言をいとも簡単にする。奥が深いのか浅いのか、元親はまだ計りかねることが多い。
 佐助が、まぁまぁ、どうやら今終わったみたいだし、と助け舟を出してくれた。幸村が三人に気づいてこちらへ走ってくる。政宗は、けれど疲れきった表情のまま壁際で一人黙々と防具を外していた。
「おぉ、皆見に来てくれていたのか」
「張り切るのはいいけど、竜の旦那、ぶったおれる寸前なんじゃないの?」
 佐助が政宗を視線で指して言うと、幸村は困ったように面の内側で表情を曇らせた。
「実は昨日までと違って、政宗殿は今日集中できておらなんだゆえ、御館様にしごいてもらったのだが。なにか心配ごとでもあるのだろうか」
 それを聞いて、元親ははっとして政宗を見た。
 ちらりと元就を見る。今の幸村の言葉は聴こえているハズなのに、相変わらず無表情のまま、元就は道場の外を見ている。
「おい幸村!電気消して戸締りするぞ、さっさと着替えろ!」
 いつの間にか着替え終わって荷物を持った政宗が呼んでいる。幸村は慌てて更衣室に走って行った。


 政宗は三人のところへ近づいた。
「悪ィな。オレ、今日一人で帰るわ」
 佐助は肩をすくめ、元親は困った顔をした。何かあった――としたら、その原因は朝の自分との会話しか思いつかず、元気出せよとも言えず、元親は元就を見た。
「なぁ。せっかく待ってたんだぜ。機嫌直せよ、政宗」
 やっとそれだけ元親が言い終わらないうちに、政宗は三人の横をすり抜けて校門へ歩いていく。
――同時に、元就が歩き始めて、元親は驚いた。
「おい、毛利。何処行くんだよ」
「何処へだと?我も帰るのだ」
 肩越しに視線を佐助と元親に送ると、元就はほんの少し視線だけで会釈して、政宗の後をついて歩いていく。
「も、…毛利ッ!おい、待てよ!毛利!!」
 けれど、元親の声が聴こえないように、元就はまったく振り返りもせずそのまま夕暮れの中に消えてしまった。


「あーあ・・・どうなってんのさ、これ?」
 佐助が呆れたように呟いた。それから、元親の顔を見上げる。
「いいの、旦那?俺様が真田の旦那待つからさ、あんたもあの人たちと帰っていいよ?そうすれば?」
 元親は、いつの間にか爪が食い込むほどに握り締めていた拳の力を、それと気づいて緩めた。掌に紅く痕が残っている。
 政宗と元就の姿の消えた方向を見やって、唇を噛んだ。
「…俺なんざ、まだまだ、ってことかよ。くそっ…」
「え?なに?どうしたの?」
 独り言に、佐助は怪訝な顔をする。なんとか表情を取り繕い、元親はせいいっぱい笑った。
「いや、なんでもねぇ。――いいさ、あいつらほっとこう。俺も幸村待つぜ」
 そして、あいつら薄情だよな、とわざと茶化すように言った。まったくだよ、と苦笑する佐助と、ばたばたと慌てて駆けてくる幸村の足音が重なる。元親は、二人に気づかれないようにそっと溜息を吐いた。
(畜生。…悔しい)

 *

「…なんでオレについてくんだよ毛利サン」
 政宗は振り返らずに言った。
「別に貴様についてきているわけではない。我の帰り道が貴様と途中まで同じなだけのことよ」
 元就も淡々と答える。
「フン。元親のとこに戻ってやれよ。あいつ、今頃泣いてんじゃねェ?」
「何故?」
 いつもと変わらない抑揚の無い声で背中から尋ねられる。本気で、どうして長曾我部が泣く必要があるのか?と問い掛けているのだろう。政宗は、マジで薄情な人だよな、と肩を竦めた。
「あーあ、元親も可哀相に。アンタのこと気になって気に入ってしょうがねェってのに、この扱いかよ。やれやれ、男にも女にももてるのに、なんでよりによってアンタなんかを気にいったのかね、アイツは」
 故意に大きな声で意地悪く喋って聞かせたが、元就から反応は無かった。
 ちょうどバスが来て、二人は黙って乗り込んだ。並んでつり革を持ち、流れていく車窓の外の景色を眺める。
 ほどなく、元就の降りる停留所に着いた。挨拶も無しに元就は降りていく。
 しばらくその背中を見つめていた政宗は、ドアが閉まりかけたときに声を上げた。
「すいません、オレも降ります」


 バスが走り去って、元就は政宗に言った。
「貴様もとことんわからぬ奴よ。何故此処で降りるのだ」
「Ah?気まぐれに決まってんだろ」
 当たり前のように答えて、政宗は元就の隣を歩いて行く。ぐぅと、政宗の腹の虫が鳴った。
「晩メシ、オレの分もあるかなァ?」
 都合のよい言葉に、元就が呆れたような口調になる。
「あるわけがあるまい。家政婦が作るのは我の分だけぞ」
「米の飯くらいは、二人分くらいあるだろうさ。シェアしようぜ、毛利サン」
「――」
 元就は政宗の顔を、ようやく真っ直ぐに見た。
 と、――ふと、その口元がほころんだ。政宗は見入った。
「好きにするがよい」
 返ってきた言葉に、受け入れられたのだと政宗は満足そうに頷いた。
 マンションに入る元就の後を追いながら、ふと後ろを振り返る。
 元親が、追いかけてきたら、と思ったのだ。
(…それは、ねェかな、まだ――)
 まだ、と考えて、政宗は小さく舌打ちをした。
 「いつか」、元親が言葉どおり元就に「友達」と認められてこの家に来るようになったら、そのときは自分は?
(フン、…そのときは、別の「軒先」を探すせばいいことだ)
 自分に言い聞かせるように、政宗はひとり頷いた。ほんのすこし、元親に心の中で詫びながら。


(12)