モリシー・オン・マイ・バック

インタビュー実施日 1999年10月9日
掲載 outsideleft.com
【当編集部はモリシーの7年間におよぶ新譜の不在をそれほど悪いアイディアではないと考えていたが、そんな我々にとってさえ、2004年のモリシー復活劇は大々的なものだった。カムバックを祝う意味も含めて、アーコン編集者がモリシーの背景を丹念に調べ直していたところ、数年前のコーチェラ・フェステバルにおいて、モリシー・バンドのギタリストにインタビューした機会があったことを思い出した。以下は、その改めて発掘された記事である。】

訳者注釈:
このインタビューが行われたのは1999年10月9日である。記事の背景には以下の経緯があった。

・1999年10月6日 Arlington Theatre, SANTA BARBARA, CALIFORNIA
 Oye Estebanツアー初日。この日のショーは大変な大荒れ模様であった。最後のアンコール曲では、多くの観客がステージに上り混乱状態となる。モリシーは歌の途中で退場せざるを得なくなり、少ししてバンドも演奏を切り上げた。その混乱状態の中で、ファンの誰かがアラン・ホワイトの背中を叩いた。そのせいでアランが背中を負傷したと見られていたが、後にアラン本人の語ったところによると、 「このSANTA BARBARAショーの以前から背中を痛めていて、ステージに上がる寸前にもマッサージ師の治療を受けていた。ステージに上がったファンは、『演奏、良かったよ』と言うつもりで背中をパシンと平手打ちしただけだ。だから、そのせいで症状が悪化したわけじゃない。どちらにしろ励ましにはならなかったけどね」。

・1999年10月7日 House Of Blues, LAS VEGAS, NEVADA
 アランの背中痛を理由にショーがキャンセルされる。

・1999年10月9日 Coachella Festival, INDIO, CALIFORNIA
 予定通りショーが行われる。

*参考
   【Passion Just Like Mine: http://www.passionsjustlikemine.com/】
   【morrisseytour: http://www.morrisseytour.com/】


 この日のアラン・ホワイトは、服の下にメイ・ウェストのガードルそっくりな補強具を着け、鎮痛剤を服用し、痛みに顔を歪ませながらも、45分間お馴染みのモザー曲を演奏しきった。ショーの終了から僅か数分後、ホワイトは苦痛に耐えながら、我らが誠実なるアーコン編集者との10分間をもやりとおすこととなる……。

■今夜のバンドは本当に良くやりましたね。とても素晴らしかったです。本当のところ、舞台裏のスタッフ達は、あなた方のツアーバスが会場入りするまで無線でやり取りをしていたんですよ。あなた方が本当に現れるかどうか分からなかったんでしょうね。

 ご存知のとおり遅刻しちゃったんだ(歯をみせてニヤリと笑う)。劇的な登場とも言えるだろ。

■ええ。もしあなた方が現れなかったら、大変なことになっていたでしょう。

 どっちにしろ、実際にちょっと大変な状態になっていたようだよ……俺達はセット中に散らばっていた瓶や破片を避けながら演奏したし。観客のみんなは、怒っていたわけじゃないよな?

■うーん、怒ってはいなかったと思いますよ。単に興奮していただけでしょう。私のいたセットから見た限り、観客達は本当に楽しんでいました。ところで、ラスヴェガスで何があったのか訊いてもいいですか? 噂によると、あなたはハウス・オブ・ブルース(ラスヴェガス公演の次の会場)でサウンド・チェックの最中に背中が痙攣し、ステージ上で半ば動けなくなったそうですね。事実ですか?

 そうだな、それは半分が本当だ。実際には、俺達はサウンド・チェックにも至らなかった。俺は、もうずっと背中を悪くしていてね。問題になったのは、これが最初じゃないんだ。

■そうなんですか、本当のところは、どうなんだろうと思っていたんですよ。それというのも、モリシーがこれからの公演をキャンセルする口実に、あなたをスケープゴードとして利用しているという説を、誰もが信じているじゃないですか。95年のデヴィッド・ボウイとのツアーの時*みたいに。これは、あなたもご存知でしょう? *モリシーは95年にサポートととしてデヴィット・ボウイのツアーに同行したが、途中で降板した)。

 いや、いや、いや、今回は本当に俺の責任なんだ。ほら、見ろよ。(シャツを捲り上げ、ガードル状の背中補強具を見せつける)

■わあ、どうやってそれを着けたまま演奏したんですか? まるで人工肺だ。

 おや、あんたはステージにいる俺を観たんだろう?(笑)。 俺ときたら、まさしく直立不動だったよな。

■いいえ、あなたは最高でした。バンドは素晴らしかった。

 うーんと、ご同情をありがとう。これが仕事でね。

■あなたがインタビューを受けることを禁止する取決めがあるらしいことは知っていますが、何にしろ、こうやって機会を設けたからには、いくつか質問させてもらっても問題ないですよね?

 やれやれ、頭にくる質問をする人に限って、そういう前置きをするんだよな。

■うーん、OK、いいでしょう、モリシーや他のバンドメンバーと仕事をした、ここ8年間を総括すると如何ですか?

 ボズ(ブーラー:ギタリスト)とギャリー(デイ:ベーシスト)とは同時期にロンドンの各バンドにいたから、お互いに知った間柄なんだ。いつだって俺達は仲良くやっているよ。モリシーの仕事を引き受ける以前から、いつの間にか何度も一緒に演奏していた縁で、沢山の音楽的ルーツを共有している良い仲間なのさ。ロンドンのミュージシャンって完全に排他的(とても親密/仲間意識が強い)になり得るしね。

■モリシーも?

 モリシーだって普通の若者の一人さ、だろ? 信じられないほどのウィット、シャープで繊細なユーモアセンスの持ち主だ。とは言っても、常にさりげなくプロフェッショナルな人だけどさ。現在、彼はロサンジェルスに住んでいて、俺達はイギリスにいるから、一緒に過ごす時間は、いつもとても貴重だ。順番を言うと、まず曲を書き、リハーサルをして、録音、演奏となる。だから、どちらにしろ社交に使う時間は少ないんだけど、俺が思うに、それが誰にとっても良い方向に作用するんだよ。

■モリシーの新しい家に行ったことはありますか? クラーク・ゲーブルが50年代に建てた家だそうですね。

 ないよ。今のところ、モリシーは俺を傍に寄せ付けないんだな……俺にとってのモリシーって、リハーサル・スタジオか、ツアーバスか、ライブ会場のステージにしかいない存在なんだ(笑)。

■それで思い出したんですけど、どうしてモリシーだけは、あなた方がバスで移動する間もリムジンで移動するんですか?

 彼はボスだぞ、当たり前だろ……。

■バンドの4人で労組を結成すべきでは?

 ふーんん。

■(笑いと唸り声の間に何かがある。マズい、あれもこれも、記者は危険な部分に近付きすぎたようだ)。OK、ええーと、あなたは94年のインタビューで「自分の最も誇らしかった瞬間はYour Arsenalだ」と答えていましたが、これは今でも当てはまりますか?

 そう思う。いつも俺はシンプルな3コードの曲を書いているけど、それでもセッション毎に急速に成長する必要に迫られた。「Your Arsenal」に収められている10曲のうち8曲を書いたことを本当に誇りに感じている。俺の大好きな凄くエッジの効いた曲だ。勿論、アルバムをプロデュースしたミック・ロンソンの仕事のお陰でもあるよ。

■今夜、いくつか昔のThe Smithsの曲を演奏したのは如何でしたか? ( It Really So Strange, Meat Is Murder, and Last Night I Dreamt That Somebody Loved Meが演奏された)。Maladjustedツアーの時から*The Smithsの曲を演奏していますよね。モリシーはついに自分の過去を受け止めたように見えますが、あたたはThe Smithsの過去に手を付けることが気になりませんか? *正確には、既に95年のBoxersツアーの時からLondon,Shoplifters〜などを演奏している)。

 ちっとも気にならないね。どれも偉大な曲に変わりはないんだし。俺が気にするなんて、ちょっと妙じゃないか? それじゃ、嫉妬深いガールフレンドみたいだぞ(笑)。

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