生年月日:
1967年7月3日
出身地:
ウェストハムステッド
ロンドン UK
担当:
作曲 ギター ハーモニカ ピアノ
バッキング・ヴォーカル
ラップスティールギター、他

在籍時期
1991 Kill Uncle tour
1992 Your Arsenal tour
1995 Boxers (In Person) & Southpaw Grammer tours
1997 Maladjusted tour
1999-2000 Oye Esteban tour
2002 Gong Show tour
2004 You Are The Quarry Tour
(2004 June 05 Heineken Green Energy Festival, Dublin UKを最後に病気のため降板)
以降も楽曲提供は続けている。

参加アルバム
Your Arsenal (92)
Vauxhall & I (94)
Southpaw Grammer (95)
Maladjusted (96)
You Are The Quarry (04)
Ringleader of the Tormentors (06)

モリシー関係以外の活動
・The Rugcutters
Boz Boorer - vocals/electric guitar
Phil Whyte - acoustic guitar
Lyn - bass
Alain Whyte - Drams
アランは当時14歳。ボズ・ブーラーと後のリン・ブーラー夫人、アランの兄とのバンド。音源はボズのソロ作「Between The Polecats」で一曲聴ける。

・Born Bad 
Alain Whyte - vocals/guitar
Spencer Cobrin - drums
Guy Bolton
Ian Arrow
ボズのスタジオでシングル"Born Bad"をレコーディングした。コンピレーションCD「Twenty Blasters From Blighty」に"Born Bad" と "Movin'On"2曲が収録されている。

・The Memphis Sinners
後にMemphis Flashと改名
Alain Whyte - vocals/guitar
Gary Day - bass
Spencer Cobrin - drums
Johnny Nitro - guitar
ボズのスタジオでシングルを一枚レコーディングした。

・Gazmen (ギャズのバンド)
Gaz Day - vocals/bass
Alain Whyte - guitar
Alan "Howlin'" Wilson- guitar
P.Paul Hodges - drums
96年にVinyl Japanから"Rigormortis Rock"というEPを発表している。アランはSide2の"Ace of Hearts"の共同作曲者にクレジットされている。この曲の最後で瞬間的にヴォーカルが入れ代わる箇所、これはアランの声だと思うが如何だろうか?

・Johnny Panic (ギター)
このバンドは、98年に"When I Drink I Love You More"というシングルを発表しており、アランはB面曲"Eighth Wonder"の作詞と共同作曲者にクレジットされている。

・The Bible of Dreams

・Kirk Brandon
カーク・ブランドンはSpear of Destinyのヴォーカル。アランは、ブランドンのいづれかの曲でギターを弾いたらしい。

・Crash Action (EPプロデュース)

・The Motivators
Alain Whyte - vocals/guitar
Gary Day - bass
Spike T Smith - drums/vocals
http://www.popfiction.biz/
でCD-Rが購入できる。

・Red Lightning
Alain Whyte - vocals/guitar
John DiMambro - bass
Milo Todesco - drums
http://www.redlightningmusic.com/
http://cdbaby.com/
(こちらのレコードショップで購入できる)
1stアルバムのレコーディングは完了。「L.A Clash Landing」という限定EPを発売(素晴らしかったです)。

・Johnny Panic And The Bible Of Dreams

・Setting Fires
Mat Devineとのユニット。EPを一枚製作。
http://www.myspace.com/settingfiresmusic
Alain Whyte アラン・ホワイト
 アラン・ホワイトの名前が最初にクレジットされたモリシー作品は「Sing Your Life」で、担当はハーモニカだった。また、彼はKill Uncleツアーから参加しているThe Lads初代メンバーの一人であり、アルバム「Your Arsenal」の10曲中8曲を提供したのを皮切りに、以降、最新作「Years Of Refusal」まで楽曲提供の要を勤める。

 モリシー・バンドに参加する以前のアランは、ロカビリー・バンドでエルヴィスのカヴァーなどを演奏していた(当時のバンド名Memphis Sinnersは勿論エルヴィスに由来する)。強い影響を受けたミュージシャンにもエルヴィスの名を挙げているが、ロカビリー以外にも初期ゴスバンド、サイケバンド、パンク、グラム・ロックから、ヒップホップのアーティストにも注目する柔軟な音楽趣味の持ち主である。

 アランの代表的なモリシー・ソロ作品には、キャッチーで、彼自身の言を借りると"エッジの効いた"ロックンロール「You're The One For Me Fatty」「Tomorrow」「We Hate It When Our Friends Become Successful」、攻撃的なギターが興奮を誘う「Boy Racer」「Irish Blood English Heart」、抑えた出だしから感情的なサビへの盛り上がりがたまらない「Trouble Loves Me」、愛すべき「Sunny」、流麗なラブソング「Let Me Kiss You」などがある。

 アランのインタビュー記事(99年morrisseytour.com)によると、通常、曲作りは、アイデアが浮ぶと、基本的な骨組みをギターで作り、自宅のスタジオにてデジタル8トラックに録音。それからドラム、ストリングス、効果音などをコンピューターで付け足し、ベースとギターとを弾いて重ねる。デモはかなり完成品に近い形で作られる。何曲分かをCDに焼いて送り、モリシーが一節ごとに詞をつけていく。

 レコーディング・セッションにおいては、モリシーとプロデューサーに決定権がある。アラン達はアレンジを加えながらライブテイクを録音し、最初に巻き戻してギターのオーバータブをつける。気に入るものが出来たとしても、モリシーが気に入らなければ作り直すかボツにする。そして完璧な楽曲が完成した後にモリシーがヴォーカルを入れるというのが長年のやり方であった。しかしアルバム「Maladjusted」では、早い段階からモリシーがどの曲に、どのようにヴォーカル・ラインを入れるかを指示してみせ、アラン達を驚かせた。また、次のアルバム「You Are The Quarry」では、レコーディング・セッションにおける音作りの最初の段階からモリシーが立ち会っていたそうである(YATQに関しては、モリシー自身が04年のインタビューで語っている)。

 アランは一緒に働けて良かったと思うプロデューサーに「Your Arsenal」のミック・ロンソンの名前を挙げている。ミックはとてつもなく素敵な人で、彼と働いたことを非常に光栄に(privileged)思うと言っている。(ミックの人柄の良さや、ミュージシャンとしての素晴らしさについては、ボズ・ブーラーやマーク・ネヴィンも同様の賛辞を送っている)。更にアランは、スティーブン・リリーホワイト、クライヴ・レンジャーとの仕事も楽しかったし、ダントン・サップル(MaladjustedからのシングルカットB面曲を担当)にも大きな賛辞を送りたいと言及することを忘れない。プロデューサー達からは、それぞれ違った様々なことを学んだとコメントしている。

 私がアラン・ホワイトについてギター演奏と曲作り以外で楽しみにしているのがバッキング・ヴォーカルである。スタジオ盤ではなかなか聴き取りづらい部分もあるが、ライブ盤「Beethoven Was Deaf」でなら、他に比べてはっきりと聴ける。アランのバック・ヴォーカルは、クリアで硬質、高音部の伸びが良く、時おり揺らぐ声の不安定さも含めて、モリシーのヴォーカルに絡ませるに最適の声質だと思う。

 91年のツアーを収めたライブDVD「Live in Dallas」では、殆どの曲でバック・ヴォーカルを担当している姿を見られる。アンコールでモリシーが観客のインベイジョンから避難した際には、暫く一人で歌い継いでさえいる。91年、92年の頃のアランは、とにかく一生懸命頑張って声出してます!といった感じが初々しく、これがまた当時のモリシーの熱血系ステージ・パフォーマンスに合っている。

 95年、97年の頃になると成長して、甘く切ない響きがたまらないバック・ヴォーカルも聴かせてくれるようになる。ライブVHS「Introducing Morrissey」の音源がお奨めだ。「Why Don't You Find Out For Yourself」の超音波ヴォイス、「Boxers」の妖精のようなバック・ヴォーカルがアランの声である。ライブ音源に慣れるとアランのバック・ヴォーカルが入らないスタジオ盤の曲にかなりの寂しさを感じてしまう。さらに、02年、04年のツアーでは、バック・ヴォーカルを挿入する曲がセットリストからめっきり減ってしまったようで残念だ。91年のライブでは「November Spawned A Monster」間奏部分の泣き声までエグエグとやっていたのに(あれは練習したのだろうか?)。

 91年のThe Lads初舞台から10数年皆勤賞を続けてきたアランだが、残念なことに病気のため04年You Are The Quarryツアーの途中で降板した。以降、新しく起用されたギタリスト、ジェシー・トバイアスが後任を勤めた。

 06年「Ringleader of the Tormentors」についても、発売前の段階ではジェシーが作曲の要を務めると伝えられていたが、実際にアルバムが完成してみると12曲中6曲がアランの作曲作品だった。シングルカットされるような"キャッチーな曲調"はジェシーに譲った感があるが、逆に「Dear God Please Help Me」「To Me You Are A Work Of Art」といったメロディの美しさを生かした曲に、かつての「やんちゃなラッズ」からの成長と成熟を感じさせる。特にまるで複雑な組曲のような7分超えの大作「Life Is a Pigsty」はモリシーの代表作の一つと言えるだろう。

 しかし残念ながらツアーへの復帰はしていない。それについてアランは「ツアーへの参加を依頼されなかった」とコメントしたのに対し(後にノーコメントとしている)、モリシーは「アランがツアーに興味を示さなかった」と全く逆の発言をしている。どちらの言い分が本当なのかは分からない。私観ながら、アランが嘘をついているとは思えず、あるいはモリシーも嘘をついてはいないのかもしれない。アランの発言も”They did not ask me”でありモリシー個人を名指ししてはいない。

 ツアーの不参加が確実となった後も、アランはモリシーを「師であり、父であり、兄のようでもある存在」と感謝を捧げる姿勢を崩してはおらず、またモリシーも「アランは素晴らしい人」だと敬意あるコメントを残している。

 その後は自身がフロントマンを務めるバンドRed Lightningに重点を置いた活動を行っていた。8曲を収録したEPアルバム「L. A. Clash Landing」は、パンク色を出したアップテンポな曲(特にSign Upのベースラインが素晴らしい)から、得意のギターポップ、ヴォーカルを活かしたアコースティックとEPながらバラエティに富んだ内容で満足度が高い。既にレコーディングされていたフルアルバム「Ignore All Alien Orders」の発表が待たれていたが、07年2月、Myspaceを通してベーシストのジョニー・ディマブロがRed Lightning解散を声明した。

 Red Lightning解散後もアメリカを本拠地に、TVドラマ「Gossip Girl」への楽曲提供や、若手バンドのプロデュース、更に歌手のマドンナ("Love Spent"-MDNA)への楽曲提供等、活躍の場を広げている。

モリシーの曲で演奏するのが好きな曲は? あなたがモリシーのために書いた曲で一番誇りに思っているのは?
「Oye Estebanツアーでは"Hairdresser on Fire"のソロ弾きのところを、とても楽しんでいるよ。あと、いつも弾いていて気持ち良いのが"Tomorrow"だな。今のところモリシーに書いた曲で気に入っているのは"The Edges Are No Longer Parallel"(99, morrisseytour.com )

自作のお気に入りトップ3は?
「"Baby Come Back" "Sunny" "The Edges are No Longer Parallel" そしてRingleaderの新曲"Life Is A Pigsty"(05 Dec torr.typepad.com)

スミスのファンだった?
「俺達(ボズ、ギャズ、スペンサー)がスミスのファンだったことはないよ。だからこそ、モリシーとうまくやっているんじゃないかな。彼がスミスにいた事実は、俺達にとっちゃ大した意味をなさない。モリシーはそれが嬉しいんだよ。だってそれは、俺達が彼の過去よりも、モリシーの人柄を、彼が良い奴だってところを見ているわけだから。モリシーは凄くバンドが欲しかったんだ。本物のバンドだよ、彼の後ろで演奏するだけのセッション・ミュージシャンの塊じゃなくてさ。そしてバンドとして、俺達はすごく息が合ってるんだ(91 May 19, NME)

「Top of the Popsで"What Difference Does It Make"を観て、本当に歌を気に入ったし、モリシーってブリリアントだなと思ったことを覚えているよ。当時は、スミスの全部のレコードを集めてはいなかったけど、明らかにバンドに惹きつけられた。(99, morrisseytour.com )

スミスで(聴くのが)好きな曲は?
「"Never Had No One Ever" "That Joke Isn't Funny Anymore" "Big Mouth Strikes Again" "Headmasters Ritual""Pretty Girls Make Graves" それから、悪いね、モズ、俺は"What Difference Does It Make"が大好きだよ(99, morrisseytour.com )
(モリシーは"What Difference Does It Make"は好きじゃないらしい)

スミスで(演奏するのが)好きな曲は?
「"This Charming Man" と "What Difference Does It Make" (99 morrisseytour.com )
(「This Charming Man」はサウンド・チェックで演奏していたらしい)

どんな下着を穿いているか?
「カルヴァン・クラインのやつ、だからボクサー(トランクス)とブリーフの中間かな(99 morrisseytour.com )

ペット
「すごく猫を飼いたいんだけど、現実にはツアーばかりしてるから無理なんだ(99 morrisseytour.com )
 猫好き!!!!

ロックンロール・ライフスタイル?
 アランが20代初めの頃に、義理の兄弟であり親友でもあった人物がドラッグの過剰摂取で亡くなった。大切な人を不合理な死に方で亡くした経験は、彼に大きな影響を及ぼした。
「俺は音楽で生活していくために一所懸命に働いているし、成功しているバンドで思い切り演奏する特権がある時に、他の多くの奴らみたいにロックンロールの悪癖に染まって全てを手放すような真似はしまいと、いつも思っているんだ。でも誤解しないでくれよ、厳格な禁酒主義者ってわけじゃないんだぜ。ただ自分自身については、クリーンな生活を選んだってことだ。」
 つまり他人に禁酒を押し付けたり、人付き合いが悪いということではないらしい。自分が飲まなくとも友人達とパブには行く。そこでボズとともに夢中になるのが、よくイギリスのパブに置かれている「フルーツ・マシーン」。スロット・マシーンのようなものだが、もっとテクニックが必要とのこと。煙草は吸うようだ。(99 morrisseytour.com 他参照)

セックスオブジェクト?
「セックス・オブジェクトとして見られも構わないよ……嬉しいし、完璧にスウィートだと思う」
 あなたは以前「ギャリーが最有力候補だ」*と言っていましたが、あなたがファンの女性達とイチャついていたという話を後からたくさん耳にしました。我々は、あなたが本当に女性にモテると確信していますが。
「確かに女性が好きだけど……だからといって、俺が女たらしということにはならないよ。but it doesn't mean I'm Barry White, though.(99 アランのファンサイト掲載のインタビュー)
*morrissey_soloの「Who's the cutest lad? 」で一位になったことについて、アランがにこやかに"Gary's the kingpin"とコメントしていた件。

いつから歌っていました?
「モリシーと出会う前からだよ。16歳の時から。ギターを持ったのは偶々なんだ。歌いたいと思ったきっかけはエルヴィスで、じゃあギターもやらなくちゃ、と思ったのさ(05 Dec torr.typepad.com)

あなたが考える過去15年間のトップ3ギタリストは?
「ブライアン・セッツァー、バート・ヤンシュ、バーナード・バトラー……沢山いるなぁ。それとジャスのギタリストで、ステーヴンソンとか呼ばれていたと思うけど(Rudy Stevenson?)……彼にはびっくりした。(自分が好きなプレーヤーは)大抵はあまり知られてない人達だ。(05 Dec torr.typepad.com)

2004年ツアー途中降板の経緯
91年の初ツアーから皆勤賞だったアランですが、04年のツアーでは病気のため途中降板。
・6月5日 Heineken Green Energy Festival, Dublin
 「I Have Forgiven Jesus」の後、アランは観客に体調不良を詫びている。
アラン「挨拶してもいいかな? 俺は体調が万全でなく……だから、もし良い演奏ができていないとしたら、そういう理由です……」

・6月12日 Meltdown 2004, Royal Festival Hall, London
 アラン降板。代役はLittle Barrieのバーリー・カドガンに。モリシーが、アランは病気であり医療機関にいることを観客に報告する。

・6月13日 Flippaut Festival, BOLOGNA, ITALY
 アランの不在を問う観客に対して、
モリシー「彼はここにいないんだよ……僕には何とも言えないよ」

・6月19日 Hultsfred Festival, HULTSFRED, SWEDEN
 モリシー「皆さんもアランがいないことに気付いているでしょう……彼はまだ病気です (観客から歓声) どうして歓声をあげるの? 僕たちは彼が早く戻ってくることを望んでいます」
 観客はモズを励ますつもりだったのか、あるいは"Still Ill"だけ聞き取ってスミスの例の曲名と勘違いしたのか。

・7月3日 Roskilde Festival, ROSKILDE, DENMARK
モリシー「僕らのとても大切な友人がロンドンにいるんだ、アラン、アラン・ホワイトです (歓声) 今日は彼の誕生日。なので、この曲を彼のために」
「No One Can Hold A Candle To You」がアランに捧げられる。"誰も君には敵わない"というタイトル曲が選ばれたことに感慨を覚える。

・7月17日 Blue Jam Sessions, House Of Blues, CHICAGO, IL, USA
 バーリーに代わり、新ギタリスト、ジェシー・トビアスが加入。

・05年
 ジェシーが一時メンバーではなく、更に新アルバム「Ringleader Of The Tormentors」では作曲のメインを務めることが明らかになるにつれ、アランのバンド脱退が囁かれるが、アルバム製作には参加しており、プロデューサーのサイトに掲載された写真をとおして元気な姿を見せ、ファンを安心させた。 (参考passionsjustlikemine.com)