モリシーがソロになって初の「
Kill Uncle」ツアー(91)から、演奏を担当しているバンドの皆さん。
「
The Lads」という、あからさま過ぎて恥ずかしいくらいのバンド名は正式名称でなく、91年当時に彼ら自身が名乗っていたものが、今でもファンの間で愛称として親しまれているものだ。
不本意ながらナードの代表格と見られてきたモリシーの、「
実はラッド(野郎)っぽい感じが大好きで憧れてた」という思いが如実に表れていると言えるだろう。
lad
【名-1】 少年{しょうねん}、若者{わかもの}、青年{せいねん}
【名-2】 男(man)、やつ(fellow)◆親愛を表す呼び掛け
【名-3】 〈英話〉向こう見ずの男、元気{げんき}の良い男
他、野郎、未熟、若輩といったニュアンスがある。
Ladsの初代メンバーの一人であるアラン・ホワイトがモリシーと最初に顔を合わせたのは、1990年、ロンドンにあるロックンロール・クラブでのことだった。モリシーがバンド・ミュージシャンを探していることを知っていたアランは、モリシーの前まで進み出て、自己紹介とともに自作のインストルメンタル4曲が入ったカセットテープを渡した。その後、ボズ・ブーラー(彼はマッドネスのChas Smashを通じてモリシーと知り合っていた)から電話があり、「
Pregnant For the Last Time」のレコーディング・セッションに参加するよう勧められた。しかし、このセッションは上手くいかず、モリシーとの仕事もこれで終わりだと思った。
その当時、アランはスペンサー・コブリン、他2名と「
Born Bad」というバンドをやっていた。「
Born Bad」解散後には、スペンサーと、新しくベーシストにギャリー・"ギャズ"・デイ(The Nitros)を誘い、「
Memphis Sinners」を結成する。そして「
Pregnant For the Last Time」のセッション後の数ヵ月間、Memphis Sinnersのフロントマンを務めていた。
そんなある時、アランは、ノース・ロンドンのパブで偶然モリシーと再会する。丁度バンドのリハーサルをしており、スペンサーとギャズもその場にいた。アランが挨拶に行くと、モリシーは「
Sing Your Life」のビデオに3人で出演しないかと持ちかけてきた。
アラン、スペンサー、ギャズは、「
Sing Your Life」のビデオでモリシーのバック・バンドという設定でマーク・ネヴィンと共演した。(ボズもフロア・ダンサーとして出演している)。ビデオの出演を通して、現実のバンド・メンバーになるためのオーディションを打診されるのではと感じたアランは、バンド仲間とともにモリシーの曲を15曲近く練習しておいた。勿論、実際にオーディションの声がかかり、その場でいきなり何曲も披露した彼らは、モリシーを驚かせることに成功する。そして数週間後(約3週間後らしい)には、「
Kill Uncle」ツアーのステージに立っていた。ネヴィンがツアーへの同行を断ったため、代わりにボズがバンドのメンバーとなった。
(morrisseytour.comのアラン・ホワイトのインタビューより要訳抜粋+その他のソース)
※「マーク・ネヴィン、モリシーとの思い出を語る」
を併せて読むと、さらに当時の様子が伺える
メンバー紹介を記述する際に、
特に以下のサイトを参考とさせていただきました。
・Morrissey tour.com (The Ladsメンバーインタビュー)
・
Pretty Petty Thieves (スペンサー・コブリンのインタビュー)
・
Passion Just Like Mine (Gigography,Discgography)
・
The Motor Cycle Au Pair Boy (モリシーのインタビュー記事アーカイブ)