Der Vorleser 1
手錠を外され、舞台の上に出るようにと横柄に命令される。思いきり横を向いて拒絶すると背を強く押され、無理矢理に目映い光の下に追いやられる。よろける足を踏ん張ってぐっと顔を上げ、正面を見る。
客席は暗い。闇の中に着飾った男女が沈んでいる。
小規模だが、しっかりした造りの舞台。どうせならこんな事ではない理由で立てれば良かったのだが。
(何でこんなことになったんだろう…)
少年は大きく溜息をついた。強い光の下で揺れた金髪が、きらりと輝きをこぼした。ざわめく客席を挑むように睨んだ瞳は煌めく深い翠。サテンのフリルシャツは無理矢理着せられた物らしく抵抗の跡が残っているが、きちんと着ればよく似合うだろうと思わせる整った容姿と伸びやかな肢体の少年である。
客席の興味を引くのには充分すぎた。
高い木槌の音が会場の囁き声を一瞬にして止める。粘着質な気取った男の声が静まった空間に響く。
「最後の商品は飛び入りのため、カタログには間に合いませんでした。ロットナンバー47の説明を始めます」
頭にかっと血が昇った。
「誰が商品だ! 人のことを何だと思ってるんだよ!」
一段高い場所で手元の用紙(おそらく商品説明とやらの内容が書いてあるのだろう)に目を向けていた片眼鏡の男は口ひげを軽く曲げて、嘲笑とも苦笑ともつかない笑いを浮かべた。会場からは失笑が波のように沸き起こる。
舞台袖の黒服の男たちが慌てて走り寄る。持っている手錠は先ほどまで掛けられていたもので、手首を強く戒める割に傷を付けないよう、内側にクッション素材を使用した、何ともあほらしい代物だ。
もちろん大人しく手首を差し出してやる気はない。掴みかかろうとした手を避ける。しかし、多勢に無勢ですぐに押さえつけられた。身を捩って抵抗したが、再び手錠が掛けられる。どう考えても警察に捕まるようなことをしているのは相手の方なのに。ぎっと奥歯を噛みしめた。
「ご覧の通り、大変活きのいい状態です。従順とは言い難いが、お好きな方にはたまらないでしょう」
片眼鏡のオークショニアはおどけた物言いをして会場を沸かす。
当人は唇を結んで前方を睨んでいる。
「それでは、入札を始めます。百から」
人の値段でいくら何でも百はない。百万ということだろう。あちこちからオークションの参加権利を示す番号札が上がり、値段を告げる声を聞きながら、少年は考えていた。取り敢えずどこかへ売られてしまうらしい。
(逃げるなら、引き渡しの時か…いや、建物の大きさも分かんないからちょっと厳しい。外に出たらがやっぱ無難かな。それまで大人しくしてるか。しょうがない)
腹を括った。少し投げやりな気分も手伝って、観念しているようにうなだれる。
「七百九十、八百。八百です、ありませんか」
自分に対しての値段が意外と上がっていて驚いた。他人事のような感想を抱く。誰も彼もいい身なりで上品ぶってはいるが、人を金で買おうというのだから、その心はとてつもなく醜いと内心で吐き捨てた。
「一千」
思わず顔を上げた。いきなり値段が跳ね上がったせいもある。だがそれ以上に、その響きが耳を打った。他の競り合う声に込められている欲の熱が全くない。柔らかく甘いテノール。凛とした意志を感じさせる声。
(…どこだ?)
辺りを見回す。
「一千! 一千が出ました。ありませんか?」
オークショニアが会場を見渡し、上擦った声が続く。
「い…一千五十」
「一千百!」
小刻みにまた値が上がる。
その流れを断ち切るように再び。
「二千」
(さっきの声だ)
どこからの声かが分からない。天井で反響して、会場全体を静かに圧する。上の、ボックス席からだということだけは中りがついた。
一瞬、場は静まり返ったが、おずおずと声が上がる。
「二千百…」
「一億」
切って捨てるような、容赦のない声音。場の誰もが、言葉を失った。
降りる沈黙。時が止まったかのような静寂を打ち壊すように、木槌の音が響いた。
「ハンマープライス! 48番の方、一億で落札です!」
金髪の少年は呆然と天井を仰いだ。
相場など知らないが、破格にも程がある。それくらいは分かる。
(どこの馬鹿だ)
顔が見てみたい、と思った。
舞台から下ろされた後、入れられた部屋は小さかった。だが贅を凝らした造りで、飴色に磨かれた家具や光沢のあるビロード張りのソファが置いてあった。飾り物ではなく、使われて且つ手入れが行き届いている。
だが些か華美に過ぎる。幼い頃に高価な調度品はよく見たが、高級な品で権勢を誇示しているような部屋には、込められた技量に対する敬いの感情は湧いてこない。
「…窓はない、か」
小さく舌打ちをした。
分厚いドアの向こうで、人の声がする。立っている見張りと何かを話しているらしい。
さっきの声の主だろうかと思うと、少し落ち着かない気分になる。
ドアが開いた。
「――とにかく、ここはもういい。何があってもそちらの落ち度とは言わない。下がって貰おう」
どこかうんざりした様な口調。その声は間違いなく先程の声だ。
「しかし…!」
見張りが追い縋るが、もう話は終わりだと言いたげに廊下に声を掛ける。
「ハーレイ」
呼び掛けには落ち着いた壮年の男の声が応えた。
「はい」
見張りはずるずると引きずられるようにフェイドアウトして見えなくなる。
その間、翠の瞳は声の主に釘付けになっていた。
透けるように白い肌。さらりと揺れる銀髪。宝石のような紅い瞳。神の手が造ったような、完璧な造形の貌。
「やれやれ。ようやく行ったか」
ここにいるからにはそれなりの地位や財産を持っている筈だが、華奢な身体付きは年齢を感じさせない。精々二十代前半だろう。身成は上等で、スーツを始め身に纏う全てが高級な品だと見て取れる。しかしこの部屋とは違い、自然と似合っていて嫌味などは感じない。溢れる気品は服装ではなく、本人から感じられるものだ。
「さてと」
紅い視線がこちらを向けられ、薄い色の唇が開く。
「きみ、財布は?」
聞き違えたかと思った。
「え、何?」
「自分の財布は持ってる?」
話の流れが全く分からないが、耳を信用するなら何故か財布を問われている。
「えー…と、ここに来る前に身ぐるみ全部…」
随分昔のように思えるけれど、今日の出来事だ。
「そうか。所持品の中でどうしても取り戻したい物はあるかな。思い出の品とか」
頭を抱えたくなった。手錠があるので出来ないが、それがもどかしいと思うくらいに。
とにかく意味が分からない。言われている内容は分かるが、何故そんなことを訊かれているのか分からない。
「そういうのはないけど、カードとか携帯とか身分証とかはないと困る…かも」
「分かった。何とかしよう。リオ」
その時になって初めて気が付いたが、彼の後ろに秘書らしい青年が控えていた。
「すぐに手配致します」
「うん。頼む」
一礼すると、青年は部屋を出て行った。部屋に残ったのは二人だけ。
「ちょっ…! ねえ、いいの!?」
「何が?」
きょとんと首を傾げる仕草が、驚く程幼く見えた。鼓動が高鳴った気がした。
「…何が、じゃなくて!」
我に返って声を張り上げる。
「ぼくがあなたを殴り倒したり人質にしたりとかして逃げるかも知れないでしょ! 危ないじゃん!」
勢いでオーバーアクションになった身振りと共に訴えると、彼は紅い目を瞠って盛大に吹き出した。
「はは…っ、そうだね。絶好のチャンスだ。そうするかい?」
悪戯っぽい笑顔で、彼は自分の喉に親指を軽く押し付けた。
つられるように笑いが込み上げてくる。我慢して苦笑いに収め、改めて白い貌を見た。
「あの、名前訊いてもいい?」
「そういえば自己紹介をしていないね。ぼくはブルー。よければきみの名前も教えて貰えるかな」
「ジョミー・マーキス・シン、っていいます」
聞くと、彼は破顔した。
「やっぱり。きみのお祖父様には随分お世話になったんだ」
「え? じいちゃんの事知ってるの?」
ブルーは頷くと、鍵を取り出してジョミーの手錠を外した。
「取り敢えずここを出ようか。好きじゃないんだ、こういうところは」
自分が買われた身であることを思い出し、ジョミーの表情が強張る。ブルーはまるで気にしていないようで、何かを考えながら細い指で顎を撫でた。
「もう遅いから夕食にしようか。食べ終わる頃にはきみの所持品の件、片が付いてると思うから」
ブルーはにこりと笑った。
「そうしたら、もうきみは家に帰りなさい」
ジョミーの目が見開かれ、口がぱかりと開いた。
「はあ!?」
続