思いをこめて7題
思うのはただ一人だけ (オシロイバナ/あなたを思う) 囲碁イベントが終わった後、飾ってあった大量の花は、小さな花束に作り直されて スタッフ皆に配られた。 「どうぞ、意中の方にでも差し上げてください」 塔矢先生も進藤先生もきっとそういう方がいらっしゃるでしょうからと、にこやかに渡 されて断る理由も無いので受け取って帰る。 「でもさぁ、結構いい加減だよな」 歩く道々そう呟いたら塔矢に「何故?」と尋ねられた。 「だって、あのオッサン、あんなこと言っておれに花束四つもくれたんだぜ?」 意中の人がそんなに居てたまるかと言ったら、塔矢も笑った。 「そうだね、ぼくにも三つくれた」 好きな人がそんなに居るはずも無いのにと、呟く声に思わず食いつく。 「『そんなに』はいないんだ?」 「え?」 「それって複数は居ないけど、でも好きなヤツが居るってことだよな?」 我ながらどうしてそんなことを尋ねたのかわからない。けれどしばらく黙った後に塔矢が ゆっくりと「うん」というのを聞いておれは胸の底が痛いような気持ちになった。 「そうか」 「ぼくが思うのはただ一人だけ」 キミだよといきなり不意打ちのように言われて一瞬声を失った。 「キミは?」 「え?」 「キミにも意中の人が居るんだろう?」 そう何人も居てたまるかということは、ただ一人の人を好きって言うことだよね? と続け て言われて腹をくくった。 「うん」 おまえだよ、おれが思うのはおまえただ一人だけだと言ったら塔矢は、はっと目を見開い て、それから「そうか」と笑ったのだった。
2009.12.14 |
もう一度だけ抱きしめさせて (紅葉/大切な思い出) 別れ話の後に一言、「もう一度だけ抱きしめさせて」と言ったら塔矢は最初嫌がった。 「そんな、今更」 「でも、おれ、おまえの温もり覚えておきたいから」 だからそれくらいいだろうとしつこく食い下がったら塔矢は渋々頷いた。 「いいよ、でも抱きしめたらすぐに離れてくれ」 「わかった―」 突き放すような冷たい物言いに内心非道く傷ついたけれど、それでもそれは仕方無い ことだと思った。 長い話し合いの末に別々の道を歩むと決めた、それなのに未練がましいことを言って いるおれが悪いのだと。 「塔矢」 そっと腕を回して抱きしめる。 「おれ、好き。おまえのこと好き」 別れてもずっとおまえのことを好きなことだけは変わらないからと、言って離れようとし たおれを塔矢の腕が抱きしめ返した。 「塔…矢?」 「だから嫌だったんだ」 「え?」 震える声がおれの胸に囁く。 「こんなことをしたら、ぼくは絶対にキミから離れられなくなってしまうから」 ぼくもキミが好きだよと、キミだけがずっとずっと好きだからと、かすれるように何度も 言われ、おれはたまらず塔矢にキスをすると「別れるのは止めだ」と叫んだのだった。
2009.12.15 |
今はもう瞼の裏でしか会えないけれど (イチリンソウ/追憶) 今はもう瞼の裏でしか会えないけれど、でも―。 (おまえに会えて良かったよ、佐為) そう碁盤を見詰めながら胸の内でそっと呟いたら、音で聞こえたはずは無いのに、塔矢 がおれを抱きしめたのだった。
2009.12.16 |
穏やかな木漏れ日の中で祈る (オリーブ/平和) 穏やかな木漏れ日の中で祈るのは―。 「塔矢が膝枕してくれますように」 「進藤が一局打ってくれますように」 囲碁に関しては結構近くまで行っているような気がするのですが、殊、恋愛に関して はおれ達の神の一手はまだまだ手の届かない遠い所にあるようです。
2009.12.17 |
恋焦がれて願うのは (コリウス/恋の望み) 恋焦がれて願うのは、ただ一人の人の幸せ。 「どうしたらキミは幸せになる?」 何がキミにとっての幸せなんだと尋ねたら、進藤は苦笑したように小さく笑い、それから ぼくをじっと見詰め、「おまえ」と優しく言ったのだった。
2009.12.18 |
芽吹いた瞬間にあふれだす (メロン/潤沢) 自覚したのは唐突で、けれど理解した途端に締め付けらるように胸が痛んだ。 いつも目は進藤を追って、気がつけば彼のことを考えて居る。 今までだってたぶんずっとそうだったと思うのに、それに気持ちが追いつくとこんなふう になるのだと、生まれて初めて思い知った。 芽吹いた瞬間にあふれだす。 進藤ヒカルへの恋心は人を好きになるのも初めてなぼくには甘く切なく痛すぎた。
2009.12.19 |
天秤に一粒のエッセンスを (テランセラ/熱するとさめる恋) 塔矢を好きだと自覚してから、しばらくの間おれは悶々と葛藤してしまった。 「だってあいつ男だし」 どう考えても男同士の恋愛なんかを受け入れられるような柔らかい頭は持っていなさそう に見える。 「それにおれら一人っ子同士だし…」 万一上手く行ったとして、将来親はどーすんだと、変に現実的なことを考えてしまったりも した。 「結婚なんか出来ないし、子どもも生まれ無いし」 それどころか人に言うことすら出来ないでは無いか。 「うちの親はともかく、塔矢先生とか絶対無理そうだよな」 それに男同士で恋愛なんかしても棋士ってやっていけるんだろうか? 少し考えただけでも打ち明けた先には延々と続く困難しか見えて来ない。 (だったら止めるか?) まだ告白もしていない。それならこのままこの気持ちを殺してしまえば、今考えた苦労を 一つもしないで済むのだった。 「そうしたらあいつはどっかいーとこのお嬢様と結婚して幸せな家庭を持っちゃったりす るんだろうなあ」 おれも誰かと結婚して、子どもなんかも出来ちゃって、その子どもに囲碁を教えてやった りとかして―。 「塔矢の子どもと遊ばせたりするのかなあ」 永遠に親友同士として家族ぐるみのお付き合いってヤツをするのかと思ったら胸が重く 塞がった。 「いやだなぁ…そんなの」 だって塔矢はおれのもんだし、おれのことだけ好きになって欲しいしとそこまで考えて苦 笑した。 「なんだ」 なんだ悩むことなんか無かったじゃないかとそのことに今更気がついたからだ。 まだしてもいない苦労や、失う物のことなんか考えていても仕方がない。 未来を計る天秤に一粒のエッセンスを落とせばそれでもう答は出ていたのだ。 『塔矢アキラ』という、好きで好きで仕方無い相手を人にくれてやることなんか自分に出 来るはずも無かったのだ。 「じゃあ取りあえず」 告白でもして来るかと着替えるために立ち上がったら、タイミング良く塔矢から電話が かかって来たので、おれは一呼吸深く息を吸い込むと、「大事な話があるんだけど」と 想いを込めて切り出したのだった。
2009.12.20 |