self-control


進藤ヒカルは手が早い。

それは若手棋士の間では以前からよく言われていたことで、実際進藤は見た目の良さと抜
きんでた囲碁の才能もあって、囲碁関係者以外の女性にも人気があり、指導碁外で声を
かけられることも多かった。


「この間、女子アナと飲んでるの見たぜ?」
「おれはスポーツ紙の記者のおねーさんと新宿歩いている所見た」


誰それと付き合っている、誰それに告白された等々、話だけ聞いているとかなり派手に遊ん
でいるように思えるのだが、その割に結構ぼくと居る時間が多い。



「え? 女子アナ? …ああ! 前にテレビに出た時に声かけられて一度だけメシ食いに行
ったけど?」


不思議に思って尋ねてみたら進藤はけろりとそう言った。

「スポーツ紙? 誰だろう。国分さんかな、それとも笹島さんかな。ここの所結構取材受けて
いたからわかんないや」
「夜に取材?」
「手合いが終わった後って言うとどうしても夜になっちゃうじゃん」


無い日はなるべくおまえと会って打ちたいしと、言われてみればなるほど噂に聞いた日は全
部ぼくと会っていない日だった。


「じゃあ、もしかしてぼくのせいで不自由しているのか」

ぼくと約束しているために思うように人と会うことが出来ないで居るのかと心配して言って見
たら進藤は少し驚いたような顔をしてこう言った。


「別に? 無理してお前と会ったりなんかして無い。むしろどっちかって言うと無理して会って
いるのはあっちの方なんだって」


仕事絡みで誘われたり、取材や打ち合わせで会うことが多いので忙しくても無下には出来な
い、だから本当は断れるなら断りたいのだと。


「でも…それならぼくだって同じじゃないか、ぼくと会わなければキミだってもっと一人でゆっ
くりと―」
「おれは会いたくてお前に会ってんの! おまえに言われたから来てるわけじゃなくて、おま
えに会いたいから自ら進んで来てるんだって!」


まったくわからないヤツだなあと、なんでそこで怒られなければならないのかわからないが、
迷惑をかけているわけでは無いと解ってほっとした。


「そうか、だったら良かった。もしキミが好きな人が居るのにぼくのために付き合うことが出
来ないでいるのだとしたら申し訳無いと思ったから」


だから好きな人が出来たら遠慮無く言ってくれと、その瞬間の進藤の微妙な表情をぼくは忘
れ無い。


「好きな―人」
「いる…のか?」


自分で言っておきながら進藤の反応にドキリとする。

「居ないわけじゃ無いけど…でも…」

たぶん無理そうなんだよなと言って苦笑のように笑ったので、ぼくは意外さに打たれた。

「すごーく、すごくすごくすごくすごくすごくすごく」

好きなヤツはいるけれど、そいつはきっとおれのことなんか好きじゃないし、好きだと言って
も受け入れてはくれないだろうと。


「…そんなこと、言ってみなければ解らないじゃないか」

進藤に好意を寄せられて断る女性が居るとはとても思えない。

「本当にそう思う?」

ゆっくりと進藤の目がぼくを見た。

「思う…けど」

何故だろう。彼の瞳に見据えられたら非道く落着かない気持ちになった。

「じゃあ、言ってみるけど…」
「そうか、上手く行くといいね」
「おまえ」
「え?」
「おまえが好きって言ってんの」


かなり長い間、ぼくは呆気にとられたような顔で彼を見詰めていたように思う。

「…え?」
「だからおれが好きなのっておまえ」


野郎共に大人気の女子アナでも無く、色々イイ事教えてくれそうな大人のオネーサンでも無
く、怖くて鬼みたいで、でも美人なお前が大好きなんだと言われてそれでも言葉が出なかっ
た。


「…嘘だろう?」

ようやく出た言葉がそれで、一度口に出したら後はするすると言葉が続いた。

「そんなこと有り得ない。ぼく達は男同士だし、それで好きとかそういうのって」
「だから―」


だから無理そうだって言ったじゃないかと、静かな進藤の言葉にはっとした。

「おれ、こんなんだから信用して貰えないかもしれないけど、でもずっと前からおまえのこと
が好きだった。男だからとかそんなこと関係無く、おまえのことしか考えられないし、キス…と
かセックスとかしてみたいって思うのっておまえだけなんだ」


でもきっとおまえは違うだろうから今言ったことは忘れていいと。

「ごめん、そんなつもりじゃ…」
「でも、おれとは付き合え無いだろう?」


そういうつもりでは付き合え無いんじゃないかと尋ねられて口ごもった。

「解らない…今までそんな風にキミのことを考えたことが無かったから」
「じゃあ考えて。それともそれも無理?」
「いや…」


即座に答えた自分に自分で驚く。

そうかと。ゆっくりと進藤とのことを考え始めている自分が居る。

「もしぼくが断ったら、キミは誰かと付き合うのかな」

その女子アナの人とか、記者の人とか、それだけで無く随分沢山の人が彼のことを良いと
言っているのをぼくは知っている。


「さあ、わかんないけど、完璧に絶対に無理だって言われたら、考えるかもしんない」
「そうか―」


NOと言えば進藤がぼく以外の誰かを好きになる。そう考えたら胸の奥が焼けるように熱く
なった。


(嫌だ、渡したく無い)

「それで…もし、もしもだけれど…キミのことを考えてもいいって言ったら?」
「一生おまえだけを好きで居る。絶対他に誰かを好きになったりしない」
「言い切るんだ?」
「当たり前だろ」


そもそもおまえ以外の誰かを好きになんか本当はなれないと思うよと、その口調はぼくの心
を揺り動かした。


「キミが…欲しいな」

進藤が望むように彼を好きになれるかどうか解らないけれど。

「キミにずっとぼくだけを見ていて好きで居て欲しい」
「それって、つまりOKってこと?」


疑わしそうにぼくを見る進藤の目をぼくは見詰め返した。

「―――うん」

思い切って返事をしたつもりだったけれど、言ってみたらそれは本心から出た言葉のように
思えた。


そうだ、ぼくはずっと彼を欲しいと思っていた。

「いい。キミと付き合ってもいい。キミのことを…キミが望むように好きになれたらいいと思う」

それでいいかと問うぼくに進藤はしばらく黙った後で、泣きそうな顔で「うん」と言った。

「うん。サンキュー」

充分だと、そして彼はぼくをおずおずと抱きしめた。ぎこちない腕に包まれて、でもぼくはそ
れを心地良いと思った。


「これで今日からキミがぼくのものなんだ」

もう他の誰かに奪われることが無い。

一生進藤が自分だけの物になった。

それは大きな喜びだった。

「違うよ、おまえがおれのもんなんだよ」
「どっちでも大差無いと思うけど…」
「有りだよ、大有り」
「じゃあ、キミの物ってことにしてあげてもいい」


それでもやっぱりキミはぼくの物でもあるのだから、もう誰に誘われても付いて行っちゃダメ
だと、思い出して釘を刺したら、進藤は少しばかり驚いたような顔をした。


「なんだ?」
「いや、ううん、おまえでも…そういうの気にするんだなと思って」
「するよ。しないとでも思ったのか」


明日からもう、テレビを観ても雑誌を見ても、何を見ても不快になることは無い。

浅ましいと思いつつ、彼女らより先に彼を奪い取れたことをぼくは心の底から嬉しいと思った。

「で、どうなんだ?」
「約束する。行かないよ」


おまえがおれを好きになってくれるのなら、他の誰かと過ごしたりなんかしない。全部おまえ
にくれてやるよと言って抱きしめる腕に力を込めた。


大好きだ、信じられない、夢みたいだ、最高だ。

幸せで、幸せで、幸せ過ぎて死にそうだと、囁いてぼくにキスをした。

ぼくもまたそれに幸せだと返したので、『手の早い進藤』はその日を境にいなくなり、代わり
にぼくに掛け替えの無い大切な恋人が一人出来たのだった。



ということでHAPPY BIRTH DAY 自分。
今日は誕生日なので、ヒカアキのことしか考えません。


※時間ごとにどんどん追加更新