鎮魂花2
花の頃にぼくは死んだ。 花と言っても桜やたんぽぽ、スミレといった春の花では無くて、香りのいい木犀が咲く秋 の頃のことだ。 ひいた風邪がなかなか治らなくて、ひどい咳に進藤が病院へ行けと何度も言った。 それを聞かないでいたらばちが当たった。 あまりにもひどい衰弱に倒れ、無理矢理連れて行かれた時にはもうレントゲンの影は真 っ白にぼくの肺を覆い。肺炎の末期症状になっていた。 高い熱、咳だけは薬でなんとか止まったものの、息が苦しくてたまらなかった。 人工呼吸器に切り替えますと言われた朝、進藤はずっと泣きながらぼくの手を握ってい た。 「嫌だ」と。 「おれを置いていくな」と。 ただぼろぼろと涙をこぼして、それは胸が痛くなるような光景だった。 ぼくはぼくの苦しさよりも彼を苦しめ悲しませた。そのことの方が辛かった。 「頼むからこいつを連れて行かないで」 ―saiと聞こえたのは聞き間違いだったのか、そうで無かったのか。 開いた窓からはぼくの好きな甘い花の香が漂ってきていて、ああ、もうこんな季節だった のだとぼんやりと思った。 もう二度と嗅ぐことの無い香り。 呼吸器は苦痛を伴うので、ぼくの意識は薬によって失われる。 たぶん、もうもどって来ることは出来ないだろう。 碁と彼だけで過ぎた数十年。良い人生だったと思いたい。 ただ一つ心残りなのは、こんなにも泣いている彼を一人置いて行かねばならないこと。 ぼくがいなくなった後、彼がどうやって日々を生きていくのか、それを考えると、もう耐 え難いほどに辛かった。 「大丈夫、また、きっと会えるから」 嘘でしかないぼくの言葉に、進藤は涙を流しながら黙って首を横に振った。 秋の日。 花の香の中でぼくの人生は終わった―。 |