午前1時の無言電話



風呂に入って歯も磨き、さあ寝ようかという時に、ふいに携帯が鳴った。

「―はい」

表示されているのは見知らぬ番号で、普段なら出ないけれど溜息をついて出る。

「進藤ですけど」

電話の向こうはしんと静まりかえっていて、うんともすんとも返事が無い。

よく聞けば微かに車が通るような音がして、風の吹く音も聞こえるので、外からかけているらしいのは
解った。


「えーと」

壁にかけた時計を見ると午前1時を過ぎていて、あまりゆっくりしていると終電が無くなるなと思った。

「来いよ、待ってるから」
「………」
「今どこにいて、どんだけ時間かかってもいいって」


おれ明日仕事無いし、寝ないで待っているからと、そうおれが言った途端、沈黙を守っていた電話は
唐突にぷつりと切れたのだった。




三十分後階下でインターホンが鳴り、鍵を開けて待っていると、少しして塔矢が入って来た。

相変わらずの凛とした佇まいで、でもその顔は拭ったように表情が無い。

「部屋、いつもの方な? 布団はもう敷いてあっから」

声を出すわけでも無く、頷くわけでも無い。ただ黙って靴を脱いで玄関から上がった。

「風呂、沸いてるから入りたかったら入れ。着替えは布団の上で、パンツとタオルは脱衣所の方」

パンツおれのだけど気にしないよな? と尋ねてもひとことも返事をしない。

「そうそう、腹減ってたら冷蔵庫に色々入っているから適当に食って」

まだおれが喋っている途中なのにぴしゃりとドアを閉めてしまった。

(こいつは相当だ)

相当、色んな意味で落ちている。

こんなふうにいきなりとんでも無い時間に塔矢がおれを訪ねて来るのは、何かで非道く落ち込んでい
る時なのだ。


最初は驚いたけれど今は慣れっこになってしまった。


「…今日は一体何があったんだか」

ドアを閉める寸前の引き結んだ口元が蘇る。

風呂もパス、メシもパス、でもきっと喉は渇いているだろうからと、ドアの前によく冷えたミネラルウオ
ーターのペットボトルを置いてやった。


「おれもう寝るな? おやすみ」

閉まったドアに向かって声をかけると振り返る気配がした。でも喋らない。



最初の頃は無理に喋らせようとして失敗した。

何をして欲しいのか解らなくて抱きしめて殴られることも多々あった。

結局の所、塔矢はおれに何もして欲しくは無く、放っておくのが一番嬉しいことなのだということを悟る
まで数年かかってしまったけれど、それでもおれの所に来る、塔矢も相当良い根性をしていると思う。


(違うか、どんなにおれがウザくても、おれの所以外、行ける所が無いんだ)

可哀想とは思わない。

でも真夜中におれの所に電話してくる姿を思い浮かべると胸が痛い。

(しかもあいつ、絶対自分の携帯からはかけて来やがらないし)

公衆電話があれば公衆電話、無ければ店や人の携帯を借りてかけて来た時もある。

絶対に自分だと知られたくは無いらしく、だから出ても喋らない。

きっと気がつかなくて出ないでしまったことも何回かあるだろうと思っている。


『哀れまれるくらいなら死んだ方がマシだ』

いつぞや全く別の場面で塔矢が言った言葉だけれど、たぶんそんな気持ちなんだろう。

(とにかく明日は好きなだけ寝かしておいて、起きて来たらなんか美味いもん食わせてやろう)

向こうから話しかけて来るまでは会話の無理強いは絶対しない。

おれはおれで勝手に過ごしているので楽と言えば楽だった。

(ま、でも起きてきたらだけどな)

あの様子では丸1日寝ているかもしれない。そういうことも今まであったとそう思った時、思いがけず部
屋のドアが開いた。


今までに無いパターンなので、とろとろと眠りかけていたのを目を開くと、幽霊のように頭からタオルケッ
トを纏った塔矢がゆっくりと入って来る所だった。


そしておれの寝ている足元の方に、背中を向いて座る。

「塔…」

呼びかけて黙る。

「おやすみ」

ひとことだけ言って再び目を閉じると、今度は布団の足元の方にゆっくりと重みがかかった。

横たわったのだと。

おれの布団の上に猫のように丸くなって横たわったのだと思ったら、鼻の奥がツンとした。

(野生動物かよ、おまえ)

思わず心の中で罵倒してしまう。

(そんだけ来るのに何年かかってんだよ)

この分だと布団の中まで入って来て、触れるのを望むようになるのは更に数年後かもっと後かもしれな
いと思った。


(…それでもおれは気が長いし)

おまえのためなら何年でも何十年でも待ってやるからと胸の内で呟いた時、小さく消え入りそうな声が言
った。


「…ごめん」

それっきり再び黙る。

おお、すげえ大進歩。

「別に構わねーよ」

思いついてひとこと付け足す。

「おまえが他のヤツの所に行くくらいだったら」

百万年でも待ってやると言ったら、暗闇の中、確かに塔矢が笑ったような気がしたので、おれは少しだ
け安心して静かに目を閉じたのだった。



※アキラのヒカルへの甘え方、究極形態。2012.6.24 しょうこ ★続編はこちら