「柔肌」 日暮れ時、傘を手に土方はこっそりと屯所を出た。 今日は久しぶりの非番だったのだが、常と変わらず1日、副長室で仕事をしていた。 普段なら、後は夕餉をとり、風呂にでも入って寝るだけなのだが、雪模様の中表に出る彼の胸内はほっこりと温もっている。 …約束があった。 「たまには外で食いませんか」と、数日前、無造作な笑顔で誘われた。 その日から指折り数えて迎える今日だと思えば、自然、笑みが浮かぶ。 「飯なんざ、腐るほどいっしょに食ってるってのに…。」 ぽつんと呟き、それでも、ついつい早足になる歩みを抑えつつ土方は、雪の中、男が待つであろう店へと跳ねるような足取りで向かった。 通されたのは、ぐるりと庭を囲んだ茶屋の一番端の部屋。 カラリと開けた障子の先、見えぬ男の姿にフッと息をつく。 「お料理はお連れはんが来られはってからでよろしいどすか?」 …風呂にでも入ってくるのか。 酌をしながらの仲居の言葉に、「アア」と頷くと、土方は杯を呷った。 待つとなれば、時間の進みは遅い。 イライラと障子に目をやり、土方は好きでもない酒に幾度となく手を伸ばした。 「忘れてンじゃねえだろうな。」 仕舞には泣きたくなって、ザクザクと火鉢の灰を火箸で掻くうちに、どうやらうとうとしていたらしい。 「遅くなりました。」 そんな声とともに入ってきた男に、ガバリと土方は慌てて顔を上げた。 「土方さん、待った?」 テヘヘと笑う顔を見れば、知らず恨み言が出る。 「…遅いんだよ、てめえ〜!」 責めるような火箸を向けての言葉に、その男、―――沖田総司は、頭を掻くとおどけた調子で土方の傍らへと座った。 「ゴメン。出がけに原田さんに捕まっちゃって。」 「っとによ〜。」 そんなふうに口の中ではブツブツ言いつつも、沖田の姿を見た時点で、土方は許している。 「料理、持って来てください。」 それでも、気にした様子もなく仲居に声をかける恋人の腕を、意趣返しとばかりにキュッと土方は抓った。 火鉢の上にのせた湯豆腐を、向かい合わせでふたりはつつく。 軽さが身上の沖田は、食う間にもひっきりなしにしゃべっていた。 「…そいでさ、そこで林さんが言った言葉がふるってんの!」 「へえ?」 「ご教授願いますって、それはナイよね!」 調子の良い会話に初めはアハハ!と笑っていた土方も、鍋の中身がサビシクなる頃合になると、なにやら気が揉めはじめた。 「コウと受けた途端、根太を踏み抜いちまって。アレにはおっどろいたナア〜。」 「アア。」 「そいえばね、この前、八木さんのお宅に行ったんだけど…。」 「ウン。」 「あれはマズイよね!マズイよ!ほんと〜。」 「…フン。」 止むことがないおしゃべりというのは、哀しいものだ。 明るいばかりで一向に艶めかぬその場の雰囲気に、何を求めてコイツは来たのかといっそみじめになりながら、土方は椀の中の豆腐をぐずぐずにつぶした。 それからどれほど経った頃であろうか。黙りこくった土方にようよう気づいて、ふと沖田の口が止まる。 「…土方さん?」 「…………。」 途端、クシャリと顔を歪ませたのに、慌てて沖田は手の中の椀を傍らに置いた。 「ど、どうしたの?ねえ。」 抱き寄せれば、キュウキュウと土方はぐずって、 「おめえ、おれじゃなくても良いんだろう!」 口惜しくて堪らぬ心情を、そう、迸るように唇にのぼらせた。 「何言って…。」 「おめえっ…、おれは、おれは…!お、おればっかり楽しみにしてたンだっ…。」 「…………。」 そのまま、わあわあと土方が泣き出してしまったのは、日々の激務のせいで少し心が疲れていたからかもしれない。 会えば存分に睦まじく過ごせるものと、甘い期待を胸に抱いて来たからかもしれなかった。 ウウー、っと涙をふりしぼる土方を、沖田はといえば、ただ、呆然と抱しめるばかりで。 それでも、顔を上向かせると、その口をきつく吸い取った。 「…ゴメンね。おれもちょっと浮かれていたんだ。」 「…………。」 恥ずかしげな沖田の囁きに、くたくたと土方の力が抜ける。 「土方さんじゃないとダメだ。本当だよ。」 「総司ぃ…。」 そっぽを向いた恋人の青さのくすぐったさに、ふわりと笑みがこぼれる。 …その言葉ひとつに、笑ったり怒ったり。 (恋しちまってんだなあ。) 沖田の腕の中、ほろほろと融けていく己を感じながら、土方は声だけは怨じる声音で呟いた。 「おれじゃなきゃダメだってンなら、言葉じゃなく態度で示せ。」 ピタリと閉じた障子の向こう、音を吸い込むように雪は降りつづける。 「アッ…、総司っ…。」 漏れ聞こえた声に恥ずかしがってか、ぽとりと、庭の椿が赤い花を落とした。 |
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