降誕祭



蝦夷平定の祝賀会も無事終わり、ほっと一息を吐いていた、ある日。
閣僚揃っての打ち合わせの後の歓談の場で、
「もうじき、降誕祭の時期ですなぁ」
「そうですね。こちらでは雪景色で綺麗でしょう」
榎本と大鳥が話していると、聞きなれぬ言葉を耳に留めた永井が割り込んだ。
「降誕祭とは、何ですかな?」
「永井さん。降誕祭ですか? ええっと……」
問い掛けられて、どう答えようかと榎本が迷っていると、大鳥が説明を始めた。
「西洋には、イエス・キリストという神の子が、この世に生まれた日を、祝う風習がありまして……」
「そんな風習が、あるのですか?」
その場にいた皆が、異国の風習を耳にはさみ、珍しいと感心していた。
「ええ、家族でお祝いするのです」
三人の遣り取りを聞いていたのだろう、人見が首を突っ込んできた。
「釈迦の降誕会のようなものですか?」
「まぁ、似たようなものでしょう」
ちょっと違うが、それを説明しても分かって貰えるか、はなはだ怪しいので、榎本と大鳥は苦笑いしながら頷いた。
「それが、もうじき、その日なのです。神の子イエス・キリストが、聖母マリアから生まれた日なのですよ」
「そのお祝いに樅ノ木に飾り付けをしたりするので、その上に雪が降ると、それは綺麗なものですよ」
榎本が、オランダで見た降誕祭を思い出しながら言うと、
「それは、一度見てみたいものですなぁ」
興味をそそられた永井が、呟いた。
「しますか? 降誕祭を」
「えっ?」
「いや、ブリュネたちもいる事だし、真似事などしても良いのではないかな?」
「ああ、なるほど。それはいいかもしれませんな」
「喜ぶでしょうなぁ」
榎本たちが、わいわいがやがやと、降誕祭の話で盛り上がっているその少し横で、歳三が島田と箱館市中の取り締まりについて話していると、何を思ったのか大鳥が話し掛けてきた。
「土方君。君、イエス・キリストとその聖母について、何か知っているかい?」
「は?」
急に話を振られて、戸惑った歳三は、咄嗟に返事が出来なかったが、大鳥は気にした様子もなく後を続けた。
「いや、神の子を産んだマリアと言う女性のことを、聖母と言うんだがね」
「はぁ……」
「慈母とも言われるんだよ」
「慈母、ですか?」
「そう。神の子を産んだ愛情深き母、という訳だね」
大鳥が何を言いたいのか分からず、歳三は曖昧に頷くしかなかった。
が、歳三と一緒に居た島田は、何か察したらしく目を見張った。
「ところで、君が『慈母』と人に言われてるのは、知ってるかい?」
予想通りの展開に島田は、思わず天井を見上げてしまった。
「は? 私が、『慈母』ですか?」
歳三の呆れたような声音が、島田の耳に痛い。
「そう呼ばれているのは、ご存じない?」
「知りませんな」
それはそうだろう。たとえ今は皆がそう思っていて、内輪のときにそんなことを言っていたとしても、誰も土方の耳に入れようなどという強者はいない。
そんなことを直接言えるのは、目の前の能天気な大鳥ぐらいなものだろう。
その場に居た皆は、大鳥の命知らずな言動に凍りつき、固まったままだ。
だが、歳三は皆の予想に反して、怒るでもなく何かを考えている風だったが、やがて淡々と言葉を紡いだ。
「だが、私が慈母と呼ばれるなら、それは神の子が、いてこそでしょう、な」
歳三の思いがけない言葉に、
「ほほう、神の子?」
大鳥は驚いて、恐れ気もなく問い返した。
「いるのですかな? そういう人が……」
「ええ、私にとっては、ですがね」
「例えば、どんなところがですか?」
「人に嫌われぬ性質ですな。老若男女問わず、好かれる」
「それぐらいは、ざらでしょう?」
「まぁ、そうです。だが、動物にも好かれる。よく懐かれていましたよ」
歳三と大鳥の遣り取りに、周りは固唾を呑んで、聞き入っていた。
「出会った頃は、野生の子狐に懐かれているのを見て、驚いた覚えがあります」
「野生の、ですか?」
「ええ、野生のです。珍しいでしょう? 人を警戒する狐が、腹を見せ、手ずから物を食べ、一緒に眠るなど」
「ほう。それはそれは……」
語る歳三の顔が、本当に慈愛に満ちて、穏やかだった。
「そんなあれが、いたからこそ、私は鬼、足り得ました。私が何をしても、私の総てを受け止めてくれると……」
「ほう」
「だから、私はあれにだけ、慈母であればよかったのですよ」
「だが、その鬼が、今は皆の慈母だ。えらい違いですな」
皮肉でもなく、素直に言えるのが、大鳥の良いところだろう。だが、おかげで部下はひやひやさせられることばかりだが。今も、真っ青な顔で、大鳥を止められず、おろおろとしていた。
「ああ、私に近藤を盛り立てねばならぬとの気負いがないのと、今は常に傍らにいますから……」
「あ?」
「今、あれは、私に寄り添ってくれています」
「今も?」
「ええ、今もです。片時も離れず……」
滅多に見ることの叶わぬ、歳三の極上の笑みを大鳥は見て、くらくらと眩暈がしそうだった。
そんな大鳥を顧みることなく、歳三は横で突っ立ったままの島田に一言二言を話して、部屋を後にした。
しばらく、呆然としていた大鳥だったが、我に返るなり、島田に詰め寄った。
「島田君! あれは一体どういう意味だ?!」
「あれ、とは?」
大鳥の言いたいことは察せられたが、島田は敢えて知らん振りを決め込もうとした。
「土方君の言う『神の子』だよ! 君は確か新撰組結成直後からの古参だろう?」
しかし、大鳥は勢い込んだまま言い募ってくる。
「だったら、想像が付くだろう?」
付くも何も、歳三がそういう相手は一人しかいない。空惚けたかったが、周囲の人間も、固唾を呑んで島田の答えを待っているようで、それも島田には気が重かった。
島田が仕方なく口と開くと、
「気が付くも何も、そんな人は一人しかいませんよ」
「誰なんだい?」
大鳥は興味津々の態で、子供みたいに輝かせて聞いてきた。
どうも、そんな人が歳三にいると聞いたショックよりも、興味の方が勝ってきたらしい。
「いいじゃないですか、誰でも。少なくとも、この場にはいませんよ。生憎ですが……」
島田がそう言うと、何故か周囲から溜息が漏れた。それを聞き島田も、頭がほとほと痛くなってきた。
こいつら、自分が副長にそう言われる対象だと、思っていた訳ではあるまいに……、と。
「しかし、今も彼の側にいるような口振りだったが……」
しつこい大鳥は、食い下がってくるが、
「いるのでしょう。副長がそうおっしゃるなら」
島田は明後日の方を向きながら、つっけんどんに言った。
「島田君」
「…………。良いではないですか。副長がそう思われて、それが故に常勝されているのであれば……」
溜息を吐きつつも、律儀な島田は諭すように言う。
「もしかして、もう死んでいるのかい? それを、彼は……」
死んでしまっている人間を、側にいると思い込んでるだけだろうと、大鳥は言う。
しかし、島田にはそうは思えなかった。彼が副長の傍らにいる、そう思えるほど、あの日から副長に変化があったのだ。
「彼はずっと副長の守り刀でした。今後もそうでしょう。現に副長は、彼が手元に戻ってきてから、負け知らずだ」
これでこの話は、もう仕舞いだというように、島田は書類を纏めると、そそくさと立ち去った。
後には、二人の会話の意味を考え、物思いに耽る男たちばかり、取り残されたのだった。




クリスマスという訳で、書いてみました。でも、いくらなんでも江戸や京では、クリスマスはないので、蝦夷での話になってしまいました。だから、総司が出て来ない〜〜〜。あ〜〜あぁ。



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