月蝕



広間で歳三が、隊士達と朝餉を食べていると、ばたばたと騒々しい足音がして、総司が顔を覗かせた。
「あっ、いた! 土方さん、まだ食べてるんですか? 遅いですねぇ」
席にいないと思っていた総司に、唐突に責めるように話し掛けられ、歳三はむっとなった。
「遅いとは何だ。お前がいつもより早いんだろうが」
いつもと違って、総司は既に稽古着を脱いで、こざっぱりした縹色の着物を着ていた。
いつもなら稽古の後、朝餉を食べて、もう一稽古をするのだが。
「だって、早く出掛けないといけないんでしょう? ねぇ、局長」
歳三の反論もなんのその、総司は歳三の横で食べていた近藤に話を振った。
「ああ、そうだったな。あっはっは。忘れていたよ、総司」
近藤は豪快に笑って総司の言葉を肯定するが、歳三には何の事だかさっぱり分からない。
「さぁ、早く行きましょう。土方さん」
総司に腕を引っ張られ、無理やり立ち上げせられて、歳三は総司と近藤を交互に見た。
「ああ、副長。頼んでいた用を、今日は頼む。総司は護衛だ」
近藤が頼んでいた用とは、一体何のことだ、と心当たりが全くない歳三の頭の中は、疑問符だらけだったが、他の隊士もいる手前、知らぬと問い返すこともできず、総司に引き摺られるようにして、広間を出て行った。
「おい、総司」
「はい、はい。話はあとあと。ちゃんと用意はできていますから、早く行きましょう」
総司は歳三の手を掴んだまま、足早に玄関口に急いだ。
歳三にここで反論をさせてしまうと、折角の計画が水の泡だ。
兎に角、屯所から外へ連れ出すのが先決だった。
出掛けてしまえば、歳三の諦めもつくというもの。
框に揃えられた草履を履き、厩へと向かうと忠助が馬を用意して待っていた。
「忠助、ありがと。おお、よしよし」
「いえ……」
忠助に声を掛け、馬の鼻面を撫でてやって、総司は手渡された手綱を、手に取った。
「さぁ、土方さん」
歳三を振り返り、手を差し出して、馬上へと誘った。
つられる様にその手を取り、支えにして歳三が馬に跨ると、
「じゃ、行って来ます」
総司は、にこにこと忠助に笑みを見せて、門の外へと出て行った。
門を出てから暫くして、歳三はようやっと総司に行き先を問い掛けた。
「おい、総司。一体どこに行くんだ。近藤さんの用って、全く覚えがないぞ。それにこんな格好でいいのか?」
矢継ぎ早に問い掛ける歳三に、総司は笑ったまま、手綱を引いて歩いていくだけだ。
「おい」
痺れを切らして、もう一度問うと、
「大丈夫ですよ、その格好で。堅苦しいところじゃないから」
という、答えが返ってきたが、結局行き先は不明のままだ。
「そうは言っても、近藤さんの用で出向くのなら、こんな格好じゃ失礼だろうが」
歳三の格好は、普段着の鈍色の着物である。袴は穿いているが、羽織すらない有様だ。
総司から行き先を聞き出そうと、歳三は言い募るが、総司は笑ったまま取り合わない。
次第にいらいらとしてきた歳三が、
「総司っ!」
と大喝すると、総司はひらりと、歳三の乗った馬の後ろに飛び乗った。
勿論、ちょうど町の外れまで来ていたのを、見澄ましての総司の行動である。
「おいっ」
飛び乗ってきた総司に、歳三が驚いて声を荒げるが、総司は何処吹く風だ。
「ふふっ。行き先は、嵯峨野ですよ」
二人乗りになった馬の手綱をしっかりと握り、総司は馬を操っていく。
「嵯峨野?」
そんなところに一体何の用が? と、訝しく思った歳三に、総司はあっけらかんと目的を告げた。
「ええ、今日はゆっくり二人で過ごして来い、というのが局長の用ですよ」
「なに?」
後ろに乗る総司へ顔を向けて、思わず聞き返した歳三だった。
「だから、今日の用は、日頃忙しい歳さんが、ゆっくりして羽を伸ばすのが用なんです」
「何、言ってる、総司。そんな用があるか」
「あるんですよ」
歳三の噛みつかんばかりの抗議も、総司には全く通じない。
「前々から、近藤さんにお願いしてたんです。今日は歳さんと過ごさせて下さいって」
「おいっ」
わざわざ、近藤にそんなことを頼むとは、どうかしていると思う。
「そしたら、『そうだな、歳も働きすぎだからなぁ』って、快く承諾してくれましたよ」
近藤の口真似をして言う総司に、歳三は呆れて言葉も出ない。
「ちゃんと歳さんの仕事は、皆で割り振って済ますように、手配もしてあります」
鼻高々な素振りで、身を反らす総司に、
「馬鹿っ。そんな勝手なこと、するなっ」
思わず歳三が怒鳴りつけても、総司は堪えたようには見えない。
「馬鹿って、酷いなぁ。」
にこにこと、いつもの笑みを湛えたままだ。
今まででも非番を利用したりして、二人過ごすときはあった。
しかし、仕事を人に割り当ててまで、用意周到にする事などなかっただけに、歳三はつい口を噤んでしまった。
「だから、諦めなさいな」
帰っても仕事はないのだから、諦めろという総司に、歳三は埒が明かぬとばかりに、手綱を取って踵を変えさせようとするのを、総司はその手の上からやんわりと、けれど主導権を渡さぬようしっかりと握った。
「駄目ですよ。帰しません。今日は俺に攫われて下さい」
総司は後ろから、歳三の結い上げた髪から見える白い項に、そっと唇を寄せた。
それだけでも感じるのか、歳三の体がぴくりと慄くのが、抱き締めた体から伝わってきた。
「ねっ、歳さん」
人気がないとはいえ、耳を甘噛みされるように囁かれて、歳三は息を呑んだ。
自分の知らないところで、お膳立てされたことに腹を立てつつも、そうやって総司にされると、簡単に懐柔されてしまうのを悔しく思いながら、紅くなった顔を隠して歳三はこっくりと頷いた。



総司と歳三がやって来たのは、嵯峨野の奥。
緑豊かな竹林に囲まれた草庵であった。
総司を慕って江戸から出てきた儀助が、総司に頼まれて、二人が静かに過ごせる場所として選んだものだ。
「いい場所だな」
ぐるりと見回して、歳三は感想を言った。
「そうですね」
初夏の陽射しも、竹林が適度に遮り、その中を渡ってくる風が、肌に心地よかった。
先に馬から降りた総司が、歳三に手を差に伸べ、その手を取って歳三は降りた。
馬を繋ぎ、中へと入って上に上がると、こじんまりとしているが、手入れが行き届いていて、過ごしやすそうなところである。
部屋の見渡すと、先回りした儀助が、部屋を整えてくれていた。
ただし、気を利かせて既に儀助の姿はなかったが、つい先程、二人がここへ着いてから姿を消したのだろう、陽射しを避けて濡れ縁に置いてあった盆には、良く冷えた酒が酒の肴と一緒に置かれてあった。
ぶらりぶらりと、ここへ来るまでに天竜寺などの寺へと巡ってきていたから、もう既に昼前であったし、部屋には膳の用意もしてあったが、冷たく冷えた酒を見れば、それで喉を潤そうという気にもなろうというもの。
「飲む?」
総司がそう声を掛ければ、歳三も頷いた。
「ああ、喉が渇いた」
早速と、濡れ縁に腰を下ろそうとした歳三に、総司はちょっと待ってと言って、隣の部屋に入っていった。
歳三が如何したのかと思っていると、
「ああ、ちゃんと持って来てくれてる」
と、総司の声が聞こえて、
「歳さん、着物着替えましょう」
ひょっこり襖の陰から顔を出した。
「着替え?」
「ええ、この前誂えたやつ、着ようと思って、持ってきて貰ったんですよ。儀助に」
歳三が寄って行くと、総司は二人で見立てあって誂えたばかりの着物を見せた。
歳三は青磁色の、総司は紅碧の初夏に相応しい色目のものだった。
「このままだと、寛げないでしょう?」
確かに、袴を着付けているよりは、無い方が気楽である。
だから、二人だけでいるときは袴を着けず、着流し姿でいるのが暗黙の了解のようになっていた。
それに、黒っぽい色の着物では、気分も晴れやかにならぬと、二人とも着替えて、漸くと落ち着き濡れ縁へと座った。
蔓で編んだ敷物を敷いて座った二人の間にお盆を置き、冷たさで露の浮いたギヤマンのとっくりを手にした。
対の猪口に酒を注ぐと、それは涼しげである。
喉が随分渇いていたのだろう、冷たい喉越しに、つい二人とも一気に煽った。
それで、ほっと一息、人心地ついた。
爽やかな風が、竹の葉をさわさわと奏でながら、通り抜けてゆく。
二人でこうして風にそよがれ、酒を飲み肴を摘んでいると、時の流れがゆったりと過ぎていくようだ。
そして、歳三は改めて総司に聞くことにした。ここへ歳三を連れて来た訳を。
近藤に声を掛けて、二人して出掛けることはあっても、仕事を殊更押し付けてまで行くことは、今までなかったのにと、思った歳三がそう言えば、
「歳さん、今日は何の日ですか?」
と、逆に総司に聞かれた。
「何の?」
歳三が考え込むと、
「五月五日、端午の節句でしょう?」
小さな床の間に一輪活けてある、菖蒲の花を見遣って、総司はあっさりと、答えを告げた。
ああ、という風情で歳三は頷いた。だが、それだけでは意味が通じない。
その表情に、総司はくすくすと笑いながら、
「忘れたの? 今日は歳さんが、生まれた日でしょう? 天気の良い端午の節句に生まれたって、言ってたじゃない?」
歳三の顔を覗き込めば、ようやっと得心したのか、
「ああ、そうだ。良く覚えていたな、お前」
歳三は眼を見張った。
「そりゃぁ、歳さんの生まれた日だもの。忘れるわけがないじゃない」
にこやかに言う総司のその笑顔が、竹の葉の合間から零れ落ちる木漏れ日以上に、歳三には眩かった。
「この日、歳さんが生まれなければ、出会うこともなかったんだよ。そんな大事な日だもの」
「…………」
歳三ですら忘れていたものを、覚えていてくれたとは、歳三は嬉しさのあまり、何も言葉にならなかった。
「だから、一度二人だけで、過ごしたかったんだ」
総司の顔を見ていられず、俯いてしまった歳三だったが、
「それで、先生にも無理を言ったんだ。ごめんね、歳さん」
「馬鹿。謝るな」
総司に謝られて、怒ったように睨み、総司の首をぐいっと引き寄せて、乱暴に口付けた。
そのまま舌を絡ませて、貪りあった。



昼間から誰にも邪魔をされぬとばかりに、たっぷりと愛し合った二人は、とろとろと互いの熱を感じながら微睡んでいた。
宵闇の風が、熱をあげた躯に心地よかった。
夜も更けきる前に、帰ろうかと総司は言ったが、歳三は首を横に振り、
「嫌だ」
と、総司に甘えた。
「歳さん?」
歳三は首に手を回し、総司の唇を軽く啄ばむ。
「今日は、まだ済んでない。だから、嫌だ」
今日という日が、まだ終わっていないと歳三は言いたいのだろう。
「けど……」
「勝ちゃんも、それぐらい判ってるさ」
総司の我侭を聞いたときから、それぐらいは察しているだろうと、歳三は言う。
総司も我侭だが、歳三もそれに輪を掛けて我侭だと判っている筈で、帰らぬことなどお見通しだと。
「いいの?」
それでも、総司がおずおずと言えば、
「いいんだ」
と、歳三は断定した。
そして、あれほど愛し合ったにも拘らず、まだまだ足りぬと歳三は、総司の足に己の足を絡め、その若い躯を煽る。
愛しい歳三にそうされれば、総司とて我慢できるはずもなく、まだまだ夜はこれからとばかりに、その躯の上に覆い被さっていった。
後に零れるのは、熱き睦言と嬌声と、衣擦れの音ばかり。
二人の仲睦まじさに、それまで明るく二人の体を隅々まで照らしていた月も、目を覆って姿を晦ましてしまった。




『幻夜の宴』の葵さまのリクエスト内容は、『土方さんの生まれた日を特別な日として沖田さんは認識していて、そんな沖田さんが土方さんを誘って縁側で初夏を楽しみながら涼しくお酒を飲み交わしている・・なあんていうラブラブな二人vv』というものでした。
リクに応えてますか?(笑)あんまり縁側でラブラブじゃないような? 他ではいちゃいちゃしてるけど。



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