怪我



「土方さん」
と言って、総司が部屋に入ろうとすると、監察の山崎と島田が座っていた。
「ああ、済みません、お邪魔して。副長に呼ばれたものですから……」
歳三と二人っきりの時は勿論、試衛館以来の同志の前では、「歳さん」と言うが、それ以外の時は、「土方さん」や「副長」と呼ぶようにしている総司であった。
歳三も同じく、人前では「沖田」と呼ぶようにしている。もっとも、「総司」とつい呼んでしまうことが多かったが。
その総司は、非番だったから屯所近くの田圃で子供と遊んでいたのだが、そこから帰ると玄関横の部屋にいる隊士から、歳三が部屋に来るようにと言付けされたと言ったので、何故か泥だらけのままの姿で、急ぎ副長室へと足を運んだというわけだった。
わざわざ、言伝をしてまで総司を部屋へと呼ぶなど、滅多にないことだから。
山崎と島田は、総司のその泥だらけの姿を見て、びっくりしたようだったが、机に向かって何か書きものをしている歳三には、分かるはずもなく。
「沖田か。書き上がるまで、ちょっとそこで待ってろ」
「はい」
驚いた眼を自分に向ける二人を、総司は特に気にする風もなく、にこにこと笑って、出入り口の際に据わって待った。
歳三が書類を書き上げ、待っている二人に渡そうと振り向いて、二人の視線が総司に留まったままなのを見て、歳三も視線を総司へとずらした。
「総司?! その格好は如何した?」
歳三が驚くのも無理はない。
着物のあちこちに泥がこびりつき、着物の色が変わっているような状態だった。
「済みません。急いでいると思ったもので、このまま来てしまいました」
「いや……。それよりも、一体如何したんだ? その格好は、本当に……」
良く見ると髪にも泥がつき、乾きかけている悲惨な状態で。
「あはは……。いえ、田圃の土手から転がり落ちてしまって」
総司はぺろりと、舌を出しておどけて見せるが、
「田圃の土手から?」
そんな所から総司が落ちるとは、どうにも訝しく歳三がつい聞き返すと、
「いつも一緒に遊ぶ子供のうち、二人が喧嘩を始めてしまって。それを仲裁し損ねて、土手から二人と一緒に、転がり落ちてしまったんですよ」
総司は苦笑いしながら、顛末を語った。
「お前……」
呆れたように歳三が呟けば、総司は恥ずかしそうに頭を掻き掻き、肩を竦めた。
それに伴って、乾き始めた泥がぱらぱらと落ちてしまった。
「ああ、ごめんなさい。土が……」
総司が慌てて、落ちた土を掻き集めようと手を伸ばすと、その袖から覗いた腕に、血がこびり付いているのが歳三に見えた。
「お前、怪我してるじゃないか?」
「怪我?」
歳三に指摘されて、総司は初めて気がついたようだった。
「あっ、本当だ。全然気がつきませんでしたよ」
人事のようにのほほんと言う総司に、歳三はいささか憮然とした表情で、お小言を言った。
「馬鹿。気がつかないで済むか」
総司は自分の体に、無頓着なところがある。
子供の頃から、それでよく熱を出すのだ。
「でも子供たちは、なんともなかったのが、幸いでしたね」
自分の怪我には気がつかなかった総司だが、ちゃんと子供たちには、怪我がないかを確認したのである。
自分の体は顧みずにと歳三は思ったが、そこが総司の良いところでもあると、思い直すことにした。
「やっぱり、着替えてきます、すぐに戻りますから……」
そう言って立とうとした総司を、歳三は腕をぐいっと掴んで引き止めた。
「土方さん?」
訝しげに総司が名を呼ぶが、
「早くちゃんと手当てをしないと、化膿したら如何する?」
歳三は全く意に介する風もなく、総司の怪我をした腕を舐めた。
「ひじ……」
驚きに、総司の歳三を呼ぶ声も、途中で途切れてしまった。
いや、確かに子供の頃から怪我をする度に、こうして舐めれば直るとばかりに、歳三に傷口を舐めて貰っていたことがあったが、まさかするとは思わなかった総司であった。
しかも、山崎と島田のいる前である。
そちらを伺うと、驚愕のあまり固まってしまっていた二人がいた。
確かに厳然とした歳三を見慣れているものには、衝撃が激しかろう。
なんとも声を掛けることもできずに、総司は黙々と作業を続ける歳三を、見下ろすしかなかった。
土も付いているだろうに、歳三は気にも掛けずに、固まった血とともに舐め取っていくのだ。
ちろちろとあたる舌が、くすぐったい。
けれど、その感触と舌を出し舐めていく歳三の姿は、別の光景を総司に思い起こさせて、困ってしまった。
そんな総司に気付くこともなく、綺麗に拭った総司の腕を見て満足したのか、歳三は漸く総司の腕を離した。
そして、何故か日陰になっていることに気が付いて、歳三がそちらを見遣ると、隊士の一人がお茶を運んできているところだった。
鬼の副長が一番隊隊長の腕を舐めているという、衝撃的な映像にその場に縫いとめられたかのように、立ち尽くしたままであった。
お茶の入った湯飲みを載せたお盆を、この隊士が取り落とさなかったのは奇跡だろう。
固まった三人を特に気に掛ける様子もなく、歳三は総司から離れて居住まいを正し、放り出していた二人にやっと向き直った。
完全に忘れていたわけではないらしい。
が、こういう光景を隊士に目にされて、平然としている歳三は凄いと、総司は改めて思った。
「これを、先方に渡してくれ」
先程までの総司に対する態度など何処吹く風と、書き上げた書類をやっと山崎に渡した。
山崎はどういう風な態度を取ればいいのか一瞬悩んだが、一切見なかった降りをして、
「はい、畏まりました」
頭を下げて書類を受け取り、さっさとこの場を離れるに限ると立ち上がった。
お茶を運んできた隊士も、慌ててお盆を置き、誰よりも足早に去っていった。
勝手に退出するわけにもいかずにいた島田も、この機会とばかりに山崎の後を追おうとしたが、その背に歳三の声が掛かった。
「島田君。悪いが、焼酎と薬を頼む」
歳三自ら、総司の手当てをするつもりのようだ。
「はい」
と、島田は答えながらも心のうちで、自分の心の平穏のために、これ以上関わらないほうがいいと判断して、他の隊士に運ばせることにした。
が、これが、その後の騒ぎを、大きくする結果になる。




「さらばわが愛」のマサトさまの絵日記に触発されて書いたものです。
総司の怪我は、まったく汚いものと思っていない土方さんがツボ! でした。
まだ、もう一つ後日譚もあります。
マサトさま、こんな話になっちゃいましたが、ご笑納くださいませ。



>>Menu >>小説 >>双つ月 >>怪我