怪我

そ の 後

うららかな昼下がり。
総司が買い求めてきた菓子を、中庭を望む総司の部屋で、歳三は食べていた。
「おい、総司」
「はい。なんでしょう?」
「近頃、なんか怪我人が、多くないか?」
「怪我人ですか?」
総司が鸚鵡返しのように聞くと、
「ああ、そうだ。見掛けは軽そうなんだが。しかもそのまんまの姿で、巡察なんかの報告に来る」
今も二人の目の前を、包帯をした隊士が一人、こちらをちらりちらりと窺がいながら、通り過ぎていった。
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。お前心当たりないか?」
「さぁ? 今まで気が付かなかったぐらいですからねぇ」
歳三は首を捻るが、総司はその原因を知っているにも拘らず、すっ呆けて見せた。
隊士が怪我をする原因は、歳三にあった。
総司は、持ち前の明るさと親しみやすさで、隊士たちに人気があるが、歳三も結構影で人気がある。
厳格で冷徹な歳三は、確かに隊士たちから恐れられてはいたが、なにしろあの容貌である、懸想する者も少なくない。
ただ、そういう者は、敏感に総司とのことを察するから、副長という肩書きと相俟って、何もできないでいるのが現状だ。
その歳三が、以前総司が怪我をしたとき手当てしたのだが、その手当ての最初の仕方が、総司の腕の傷を舐めるといったもので、その後で総司の手当てをし直したときにも、それはもう懇切丁寧な手当ての仕方で、それらを目の当たりにした人間から、どう話が捻じ曲がったのか、怪我をすれば歳三に手当てしてもらえるかもと、目論んだ隊士たちが続出していた。
おかげで、ここ数日は掠り傷から、目算が外れて大怪我をしたものまで、山ほど出ていた。
「しかも、早く手当てをしろと、俺が言ったら、皆肩を落としやがる。一体どういうことだ?」
それは、そうだろう。
歳三自ら手当てしてくれるかもという、淡い期待を抱いて歳三の前に現れるのだから。
それにしてもと、総司は思う。
人前でのああいう行為は、歳三は恥ずかしくはないのだろうかと。
しかし、良く良く思い出してみれば昔から歳三は、総司が歳三に対してしたことには照れるくせに、歳三が総司にすることには無頓着であった。
それで、隣などにいた近藤らが、赤面をしているのを見たことが何度かある。
だから、副長となった今でも、総司に対しては変わることなくいてくれることを、総司は良しとしなければならないのだろう。
ちょうど、お茶も菓子もなくなった頃、一番隊の隊士の一人・山野が総司を呼びに来た。
「隊長、巡察です」
今日は、一番隊が昼の巡察の当番である。
「ああ、ありがとう。すぐ行く」
総司はそう答えて、部屋の隅に置いてある刀を腰に差し、
「じゃぁ、副長上番します」
歳三に頭を下げて出て行った。
いつまでも子供っぽいと思いがちな総司だったが、そうした姿は凛々しく、歳三は惚れ惚れとその背を見送り、自室へと帰って行った。



自室で歳三が書類の整理をしていると、ざわざわと玄関口の方から騒がしいさが伝わってきた。
そろそろ上番した一番隊が帰ってくる頃合である、歳三は怪訝に思い立ち上がった。
玄関口に歳三が来ると、案の定帰ってきたばかりの一番隊の面々が揃っていた。
他にも非番の隊士たちが何人か見える。
だが一番隊の隊士は、皆が土塗れ、埃塗れである。半数以上が怪我もしているようだ。
またか、と歳三がつい思ったのも、無理はなかった。
その中で、こちらに背を向けている総司に、歳三は声を掛けた。
「沖田君。一体この有様はなんだね?」
巡察の新撰組隊士ともあろうものが、土塗れでは外聞が頗る悪いと、歳三の声に棘が混じるが、それに気付きつつも、総司は気にした風もなく振り返り、
「いや、暴れ馬が二頭、街中を駆け回りまして。それから、立ち竦んで動けない人を庇ったり、暴れまわる馬を取り押さえるのに、こういうことになってしまって……」
と、真相を語った。
そう言われてしまえば、いくらみっともない格好で戻ってきたといても、怒るわけにもいかず、歳三は腕組みをしたまま、顎をしゃくった。
「怪我をしている者は、早く手当てしてこい」
二人の遣り取りにどうなることかと、首を竦めて固まっていた隊士たちは、歳三のその声にぞろぞろと動き始めた。
その最後尾に総司が続こうとして、式台から框に足を掛けようとした所で、歳三はふと見咎めた。
「総司」
肩を掴まれた総司は、怪訝に歳三を見返した。
「なんです?」
「お前も、怪我をしてるじゃないか」
一番初めに総司に怪我がないか心配した歳三は、特に汚れたところもなかった総司に、安心していたというのに。
歳三が指摘したとおり、総司の左の額にこすった傷があった。
先程までは、総司は歳三に傷とは逆の面を見せていたから、気付かなかったのだ。
「ああ、小さな女の子を庇ったときに、店先の柱に打ち付けてしまって」
怪我を気にする風もなく、にこにこと笑いながら総司は言ったが、その後の歳三の行動に度肝を抜かれた。
なんと歳三は、まだ框に上がりきっていない総司をぐいっと引っ張り、総司の怪我した額に口を付けたのだ。
そして、前のときの怪我と同じように、傷口を舐め取って。
一旦行きかけた一番隊の隊士たちも、総司が歳三に呼び止められた時点で足を止めており、また非番の隊士たちもまだその場にいたから、その衝撃の光景を目撃してしまった。
怪我をした場所が場所だけに、前回のようなことはないだろうと、高を括っていた総司だったが、それは甘かったようだ。
硬直して固まりきった回りの気配が、痛いほど良く分かる。
そりゃ、そうだろう。
今度は腕ではなく、額である。固まらない方がどうかしている。
第一、新撰組の副長が、行う行為ではないと総司は思うのだが。
それに諦めきった心境で、総司は歳三が離れるのをじっと待った。
歳三が一頻り舐め終わって満足そうに離れると、その表情を見た総司は何も言う事ができずに、ただにっこり笑って歳三を促した。
何事もなかったような顔をして、早くこの場を離れて限るとばかりに。
「ちゃんと手当てしてくれるんでしょう?」
前回から歳三の部屋には、怪我の手当てをする道具類一式が、ひっそりと置かれていた。
それを知った上での、総司の言葉である。
「ああ、部屋で手当てしてやる」
そう言って歩き出した二人の後ろで、盛大な溜息が漏れていた。




『沖土好きさんに37の質問』の16で、人前でどこまでするかの答えである「思わず見た人間が赤くなる様な事をする」はこれ、ですvv
普通、人前でおでこを舐めませんよね?(笑)



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