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朝早くから、新撰組の道場で、気合の声が響く。 隊士を指南しているのは、道場の中央で、斎藤と藤堂。 その横では、剣と槍の立ち合いを、総司と原田がしていた。 一応は模範試合なのだが、二人の立合いでは、一般の隊士たちの手本となるには、少しばかり難度が高過ぎのようであった。 その幹部連中は、道場でも一切面などの防具を付けることないのが常だった。 それほど、連中の腕前は群を抜いていた。 清々しい朝の稽古風景なのだが、一ついつもと様相の違う事柄があった。 それは、総司の髪のほつれ具合である。 総司と歳三の仲は、とても良い。 それこそ、本当の兄弟と見紛うばかりだ。 だが、二人の仲が単なるそれでないことを知っているのは、試衛館以来の連中だけである。 もっとも、あの仲の良さから、気が付きつつある者もいるようだが。 それはともかく、二人が喧嘩をすることなど滅多にない。 いや、あるにはあるが、それは喧嘩というより、痴話喧嘩と言うべきであろう。 昔は、歳三に構って貰えなかった総司が、拗ねてごねる感じだったが、近頃は副長として冷徹に振舞う歳三に対し、総司が不満――歳三がそういった仮面を、つけていることに対しての不満――をぶつけて抗議する、といった風だ。 そんな痴話喧嘩をしても、表面上は普段と全く変わりがないが、唯一違うことがある。 それは、総司の髪が、綺麗に結われなくなることであった。 何故二人が喧嘩をすると、総司の髪が綺麗に結われなくなるのかと言うと、それはいつもの時は歳三が毎朝、総司の髪を結うからである。 総司の子供の頃からの習慣であった。 総司が試衛館に内弟子に来たころは、子供のため上手く結えない総司の髪を、井上が結っていたのだが、歳三が居つく頃になると、歳三の日課に自然となった。 試衛館がそういう身嗜みに金をかけられない所為だが、洒落者の歳三にはそれは許せないらしかった。 もともと手先が器用なこともあり、井上より余程上手に結い上げてやっていた。 毎朝、例え吉原帰りの寝ぼけ眼であっても、甲斐甲斐しく世話を焼いていたのだ。 さすがに月代を綺麗に剃ることはできないから、総司の頭は元服をしても総髪のままであった。 その習慣は、京へ来て新撰組の副長となっても、ずっと続いていた。 だから、二人が喧嘩をすると、歳三が総司の髪を結わなくなるから、どうしても乱れた風になってしまう。 ならば、本職の髪結いにして貰えばよさそうなものだが、どうやらそうするのが総司は嫌なようで、自分で適当に結い直すだけであった。 そんな事情で、今日も今日とて、総司の髪は乱れたままだ。 元結代わりの紐も、変わった様子がないから、総司が自分で括り直しただけだろう。 なんせ、幾種類もある筈のその紐は、歳三の私室の小箱の中に、収められているのだから。 さて、総司の乱れた髪を見た隊士の中には、道場の手前で回れ右をしかけた者たちもいたのだ。 もっとも、逃れられるはずもなく、道場へと連れ込まれていたが。 隊務に影響はしないとはいえ、やはり二人の喧嘩は、周りに微妙な影響を与えるもので。 皆、気を揉みつつ、早く仲直りをしてくれぬものかと、願っていた。 「なぁ、新八つぁん」 総司の相手をしていた原田が汗を拭き拭き、隊士たちの稽古を座って見ていた永倉の横に座った。 勿論と言うか、立ち合いの結果は、原田の負けである。 良いところまでは行くのだが、どうしてもあと一歩で勝てないのだ。 「あ? なんだ」 「総司と、土方さんの喧嘩って、いっつも些細なことだよなぁ?」 その時は原因が分からずとも、後で聞くと本当に他愛もないことばかりである。 「ああ、そうだな」 だからこそ、微笑ましいとも思ってしまうのだが、如何せん二人を良く知らないものには、脅威でしかないわけで。 「早く仲直りしてくんないかなぁ」 やはり、副長とその助勤である一番隊隊長が、不仲であるのは士気にも影響しようと言うものだった。 「なんか、二人が仲良くないと、落ち着かないって言うか、さ」 原田との立ち合いを終えた総司は、斎藤と藤堂に混じって、稽古を付け始めていた。 「そうだな。けど、そろそろだろう」 「そうか?」 道場と言うのに、行儀悪く胡坐を掻き、後ろの壁に凭れながら原田は、きちんと正座している永倉を見遣る。 「ああ。土方さんも、総司に関しては辛抱がないからな。そろそろ、痺れを切らす頃合だろう」 原田の行儀の悪さに苦笑しながらも、新撰組の幹部となっても、その代わり映えのなさが、この男の良さであると、永倉は思っていた。 「う〜ん。そうだと、いいんだがなぁ。皆、結構気にしてるしなぁ」 そんな会話をしていると、噂をすれば影とばかりに、こちらに向かってくる歳三の姿が、永倉の座っている場所から見えた。 「左之」 永倉が原田を促して、開け放っている戸を目線で差せば、 「おっ」 原田はやって来る歳三と、道場の中で稽古を付けている総司とを見比べた。 さすがに、稽古中のこととて、気配に聡い総司も、歳三に気付いている風もなく。 が、歳三が道場の入り口に立つと、隊士たちが気付き始め、賑やかな道場が静かになったような気がした。 当然、この時点で気付いている筈の総司であったが、歳三を気に掛ける風もなく、目の前の隊士に稽古をつけていた。 きっと、相手をしている隊士は、居心地の悪い思いをしていることだろう。 道場の中へ入るでもなく、入り口に突っ立って、それを眺めていた歳三だったが、総司が稽古相手を変える時を見計らい、総司に声を掛けた。 「総司。部屋に来い」 言われた総司は歳三を振り返り、暫く無言で歳三を見ていたが、歳三が顎をしゃくって、もう一度、 「部屋に来い」 そう言って踵を返すと、ふっと息を吐き出し、傍らに歩み寄っていた斎藤に、木刀を手渡し歳三の後を追って行った。 道場を素直に出て行った総司に、道場中の者たちが、ほっと胸を撫で下ろした。 これで、平穏な日々が戻ってくるのを、期待して。 |
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さて、痴話喧嘩の原因は、なんだったんでしょう? 皆様のご想像におまかせしますね。 |
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