死魄



初夏といってもいい季節、窓の外に見える風景は、新緑も濃く目に鮮やかだ。
ここにいれば、会津の周辺各地で行われている戦の喧騒も、届いてこない。
戦の状況を気にしつつも、満足に動けぬ歳三にはなす術もなく、無為に時を過ごしていた。
けれど、夜になると訪れる束の間の逢瀬に、心ときめかせてもいた。
そんなことを思いながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた歳三の頬を、ふわりとした風が撫でていった。
その吹き込んできた風に釣られるように、部屋の中へと視線を移して、そこに佇む人影に歳三は驚いた。
そこに居たのは、逢いたくて逢いたくて堪らず、夜が訪れるのを待ち望んでいた相手であった。
(歳さん……)
いつも歳三を呼ぶのと寸分変わらぬ声が、歳三の頭に響く。
「総司」
夜毎会う姿ではなく、以前の健康的な姿の総司が、はにかむような笑顔を見せて立っていた。
「お前……」
歳三は呟いたきり、後が続かない。
生身の総司がここにいるはずはないのだ。
病も末期の総司は、身を起こすのも大儀なほどで。
しかも、歳三が総司の元へ訪れるようになってから、一度も総司が歳三の元へと来たことはない。
その二つの事実を組み合わせれば、総司がここにいる答えが、自ずと導き出されるというものであった。
が、その答えは、歳三を打ちのめすのに、これ以上のない答えであって。
その答えを知りたくないとばかりに、歳三は首を振る。
ここに居るのは、単なる幻だとでも言うように。
(歳さん)
それでも、名を呼びつつ近づいてきた総司に、視線を逸らすこともできずに、ふと手を差し出せば、その手は温もりに触れることなく素通りとして、歳三を慄かせた。
「総司っ」
聞く者が居れば、悲痛な歳三の声も、しっかりとした存在感はあれども、触れられぬ総司ただ一人しか聞く者がなく。
歳三が総司の元を訪れたときには、触れ合えたその躯だったが、今は触れることなく空を過ぎるのみである。
総司の声も、耳に届くようなものではなく、頭の中に響いてくるような感じであった。
(うん。ごめんね、触れれないんだ)
悲しそうな、けれど歳三を宥めるような顔で総司は、歳三の頬に触れるか触れぬかぎりぎりのところで、手を止めた。
(でも、その代わり、夜と言わず昼と言わず、ずっと傍に居られるよ?)
にっこりと笑いかける総司の姿が、病を得る前のような逞しい姿であるのが、唯一の救いかもしれなかった。
歳三の傍らに跪き、歳三のほうへ伸ばされた袖から見える総司の腕は、本当に健康的で歳三の目に眩かった。
その眩しさに目を細めつつ、歳三は総司の言葉を反芻していた。
『ずっと傍に』
死して尚、幽界に旅立たず、総司は己の傍に居てくれると言うのだろうか。
そう思った歳三の心の内は、総司に筒抜けのようで、
(うん。ずっと傍に居るよ。歳さんが望む限り……)
歳三の望みどおりの言葉が返ってきた。
「なら、ずっとだ。総司」
俺が死ぬまでずっと、と歳三は呟いた。
たとえ、輪廻の輪から外れても、傍に居てくれ、と。
俺が死んだときには、お前と二人どこでも堕ちていくから、と。
「総司……」
泣き出しそうな顔で、歳三は総司を凝視して。
その顔を、総司は愛しく思いながら、囁いた。
(目を瞑って……)
歳三が言われたとおりに素直に目を瞑ると、ふわりと空気の動く気配がして、唇に触れる感触があった。
驚いて目を見開くと、目の前に笑みを湛えた総司の顔があって、
(感じた?)
との総司の問い掛けに、歳三は大きく首を振って頷いた。
(よかった。目を開いていれば、俺の姿は目で見えるけど、触れないから)
優しい笑みを湛えたまま、
(だから、俺を感じるのは心で感じて。そうすれば、いつでも歳さんに触れられるから。ね?)
総司が首を傾げて、諭すように歳三に言えば、確かに総司の言うとおり、目を瞑っていた先程は、総司の感触を感じ、温もりを感じた歳三だった。
だから、もっとそれを感じようと、
「総司。もっと触って……」
歳三は自ら目を瞑った。
(うん)
歳三の望むまま、総司は歳三の顔に口付けの雨を降らしてゆく。
頬を撫でる微風にも似た感覚が、愛しげに肌の上を滑っていくのを感じながら、歳三は幸せな微睡みに堕ちていった。




「生魄」に比べれば、随分話は短くなってしまいました。
けれど、こうして総司はずっと土方さんの傍らに居ることになりました。



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