遠雷



哀しまないように。
己より大事なものが、沢山できるといい。
淋しくないように。
たとえ、己がいなくとも。


池田屋の後始末に、歳三は忙しい。
事の顛末を書き記した書類の作成や、各所から届く見舞いの品の手配りなど、猫の手も借りたい忙しさである。
もっとも、誰よりも生き生きと、仕事に励んでいたが。
こういった仕事に、歳三が向いていたとは、総司には驚きであった。
試衛館にいた頃のような、鬱屈した感じが全くないのだ。
あの頃は、何をなすべきか、迷いに迷っている感じでいたが、今はなすべきことが見えて、水を得た魚のようだ。
さて、それはともかく、隊士たちも池田屋の翌日は、さすがに巡察どころではなく、怪我人の手当てや刀の点検などに慌しかった。
しかし、その次の日には、怪我などの支障のない者たちで、隊列を組み巡察に出た。
まだ、過激派の浪士たちが、潜伏をしているかも知れないからである。
そうした中に、総司も勿論加わっていた。
額を斬られた藤堂は絶対安静だし、永倉も指の根元を斬られていてしばらくは刀を持てないから、屯所での待機である。
他にも怪我人はいるし、重傷のものもいる。
人数不足から、会津からの応援も頼んでいるほどだ。
池田屋で一時は意識を失ったとはいえ、外傷のない総司が寝ているわけにもいかなかった。
だから、帰ってきた日だけは大人しく寝ていたが、総司は名誉挽回にと、率先して巡察に出るようにしていた。
「総司。体調は如何だ?」
総司が巡察の報告に来ると、歳三は背を向けたまま、問い掛けた。
子供の頃は弱かったが、大人になってから倒れることなど、麻疹に罹ったとき位のものであったから、忙しいとはいえ歳三は、総司を気に掛けていた。
実際、倒れている総司を見たときは、心の臓が止まるのではないかと思ったほどだ。
「ええ、いいですよ。本当に暑気あたりなんて、見っとも無いですよねぇ」
歳三の心配をよそに、総司はあっけらかんと答える。


傍にいたい、少しでも長く。
でも、離れなければ。
互いが不可欠な関係から、少しずつ。
相反する気持ちが、揺れ動く。


にこにこと笑う顔には、微塵も暗い影がない。
「そうか」
横目で総司の顔を見て、歳三はほっとしたように、書き終えた筆を止めた。
「で、報告は?」
誰に対してもそうであるように、報告を聞くときは相対するようにしている歳三は、総司に向き直りつつ問い掛けた。
「はい。たいしたことは、ありませんでした。木屋町で浪士を二人誰何して、抵抗したので捕らえて、番所に手渡しておきました」
総司も心得たもので、普段の馴れ馴れしい態度は取らない。
「ご苦労」
歳三は副長としての居住まいを正して、総司を労うが、総司に対しては甚だ怪しい。
この時も、つい歳三としての地が出て、総司のおでこに手を当てた。
「うん、熱はないな」
子供の頃から、総司が熱を出すと、決まって看病をしたのは歳三である。
だから、仕事をしながらも、総司が寝ている間は、気になって仕方が無かったが、忙しくて様子を見に行く暇も無かった。
代わりを買って出て、看病してくれた井上の報告を聞くだけで、我慢していた歳三であった。
「もう、大丈夫ですよ。でないと、源さんのお許しがでないでしょ?」
くすくす苦笑しながら、総司は言った。
池田屋で倒れたことは、暑気あたりだと、誤魔化している総司である。
隊士たちの怪我の具合を見に来た、会津藩より診察に来た医者にも、そう言って誤魔化してしまった。
本道の医者でなく、金瘡医だったことも、誤魔化せた一因だろう。
もっとも、首を傾げてはいたが。
数日、用心のため寝てろというのも聞かずに、すぐに起きだした総司である。
一日で起きれるようになったのは、僥倖というしかない。
本当のことは、まだ誰にも告げる気はないのだから。
「それは、そうだが……」
歳三はどこか不満げで、総司の言葉を値踏みするかのような表情を見せたが、総司は屈託なく笑い、
「じゃあ、また後で来ます」
歳三の額に手を置くのではなく、代わりに接吻を一つ落とすと、歳三の顔を赤く変えた。
「総司っ」
歳三の照れを含んだ怒り声を背に、身を翻した総司は出て行った。


離れなければ、と思う。
ほんの少しずつ、新撰組に夢中になっている間に。
気付かれぬように。
できるだけ、そっと。




池田屋で、総司が倒れた設定です。つまり、喀血してます。
この時点で、総司は病に気付き、土方さんから離れなければ、と思ったんですね。
結局、できなかったんですが……。



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