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夏の夕暮れ、総司は歳三と共に、清流を目指していた。 天然理心流の出稽古に歳三と一緒に、多摩の各地にある道場を回っていたのだがその一つで、少し山の奥に行けば蛍の乱舞する場所がある、と地元の人間に聞いて、提灯一つを持って、出掛けて来たのだ。 もちろん、江戸でも蛍を見かけないこともないが、乱舞すると言うほどではないから、そういう様を見てみたいものだと、どちらからともなく顔を見返して、主に断りを入れ夕餉を早く頂いての山歩きである。 夏とはいえ、日が落ちだせば翳るのは早い。 山道に差し掛かる頃には、辺りは薄闇であった。 それを幸いに、二人はぐれぬようにと、手を繋いで上っていく。 聞いた話では、山――と言っても、それほど高い山ではない。ただ、少し道が急斜面で険しいぐらいである――の中程まで行くと、川の水音が聞こえてくる筈で、注意深く探せば道から分かれた小道が、川へと続いているそうだ。 そこが、蛍の乱舞する場所らしい。 ちょうどこの時期、それは見事なものだと、自慢げに誉めそやしていた。 「へぇ〜、そんなに蛍が飛ぶんだ?」 「そうです。それはそれは見事なもんです」 「こう、夜空に満天の星が、散りばめられたようで……」 身振り手振りの話は、総司と歳三の気を存分にひいた。 二人とも、度々ここへ来たことがあったが、今までは季節的な巡り合わせが悪く、そんな話を聞いたことが無かったから、矢も盾も堪らずに見に行こうとなった訳である。 半刻ほど歩いた頃、川のせせらぎが聞こえ始めてきた。 山から染み出した水が川となっているのだが、この辺りで道と距離が近づくらしい。 歩を進めると、段々と水音が大きく聞こえてくる。 「川の音が、聞こえる」 歳三の言うとおり、川と道が一段と近づいてきているのだろう。 そして、真っ直ぐだった道が、右に曲がり始めた頃、ひときわ大きな公孫樹の木が見えた。 「この辺だと、聞いたけど……」 総司がこの横を探すと、藪の中に埋もれるようにして、小道が下へと続いていた。 「あった、あった」 道を見つけた総司は、先になって歳三を先導した。 「ほら、歳さん」 力強く歳三の手を引き歩いていく総司のその背を見ながら、大きく逞しくなったものだと歳三は思う。 歳三の手にすっぽりと覆われてしまった小さな手も、今では歳三を包み込めるほどに大きい。 総司に手を引かれて、藪を掻き分けるように、下り坂の小道を歩いていく。 月明かりが、存外に明るく道を照らしていて歩きやすかったが、腰ほどまでの草が生い茂っている。 程なくして川のせせらぎまで下りてきた。 きょろきょろと、総司は辺りを見渡すが、蛍の姿は全くない。 「あれ? 蛍はいないねぇ」 蛍どころか、虫一匹いない。 「ああ、そうだな」 歳三も眺め回すが、生き物の気配はまるでない。 「可笑しいなぁ。聞いた場所って、ここだよね?」 総司は歳三を振り返って問うが、歳三も、 「そうだな」 としか答えようがない。 地元の人間に聞いた話では、総司の辿った道で合っている筈なのだ。 川沿いに降りる道は、一つしかないと聞いていたから。 もっとも、歳三にとっては、蛍がいてもいなくても、たいした違いはない。 蛍の飛び交う姿は綺麗だろうとは思うが、総司と過ごす時間が大事なのだ。 そう思って、まだ繋いだままの総司の手を強く握れば、総司にもその気持ちが伝わったのだろう、歳三を見てにっこりと、極上の笑みを見せた。 「水、飲む?」 「ああ」 ここまで歩き通しだった歳三は、総司に言われ喉が渇いていたことに気付き、今度は逆に総司の手を引いた。 「ひゃっ、冷た〜〜」 夏とはいえ、山の中のせせらぎである、差し入れた手に水は冷たかった。 冷たい水は、喉を潤すのに最適で、手で水をすくって飲んだが、その拍子に零れた水が、肌を伝い流れるのも心地よい。 「だが、気持ちいい」 「そうだね」 近くの岩に二人揃って腰掛けて、草履を脱いだ足を漬けると、ひんやりとほてりが静まってゆく。 そんな姿勢のまま、二人並んで時間の経つのも忘れていた。 ただ、互いの熱を触れ合う箇所から感じながら。 すると、どうだろう。 ぽっぽっと、小さな灯りが一つ二つと、灯りはじめたではないか。 そして瞬く間に、沢山の灯りが灯った。 それは、明るい月が雲に隠れた所為で、今までなりを潜めていた蛍の灯火だった。 あちらこちらで、灯る蛍は幻想的な雰囲気を醸し出して、二人の周囲にも飛び交う。 その軌跡は、まるで二人を結ぶ糸のよう。 「…………」 言葉もなく、二人その光景に心奪われていた。 どちらからとも無く寄り添い、乱舞する蛍を見続けていたが、蛍は川向こうの方へと飛んでいく。 周りからいなくなる蛍に誘われるように、二人は手を取って歩き出した。 目の前のせせらぎを渡り、道ともいえぬ道を、蛍を追って移動してゆく。 それは、どこか楽しい道行だった。 時々途切れる雲間から月も覗き、明るさには不自由しない。 わくわくと心浮き立つ思いを抱えながら、しばらく獣道と思しきところを歩くと、それは見事な景色に出くわした。 「ほお〜」 思わず感嘆の声が、歳三の口を付いて出た。 そこは、ホタルブクロの花が、群生して咲いている一面の花の園だ。 その可憐な花は、清々しいまでに清く咲き誇っていた。 「凄いねぇ」 青々とした月の光を浴びて咲き誇る花は、辺り一体見渡す限りに咲き乱れ、どこか浮世でない世界を垣間見せていた。 あまり花を踏み潰さぬように、花の咲き乱れる中へと気をつけながら歩いていくと、ほんの少し腰を下ろせる場所があった。 二人はそこへ腰を下ろし、周りを群れ飛ぶ蛍と、咲き乱れる花に見蕩れていた。 「とっても綺麗だ……」 「そうだな。ここまで見事な景色が見れるとは、思ってもみなかった」 「うん、本当に」 二人からは溜息しか出ない。 それほど、心打たれる風景だったのだ。 「歳さん、寝転んでごらんよ。蛍が星みたいで、綺麗だよ」 歳三の手を引っ張り、胸元へと引き寄せた。 「おいっ」 歳三は少し怒ったような声を出しながらも、総司の意のままに引かれ、そのまま躯を横へずらして、空を見上げた。 「ああ、凄いな。星が瞬いているようだ」 「でしょう?」 月の光が山入端に隠れた所為で、蛍火が余計に綺麗に瞬いて見える。 「こんな世界もあるんだな」 二人だけの別世界に来たような気がして、歳三が呟くと、総司は少し身を起こして歳三を見た。 「如何した?」 総司に添っていた歳三の躯が、その拍子に動き、柔らかい草の上に転がった。 一体如何したのかと、歳三が総司を見上げていると、総司が覆い被さってきた。 「歳、さん」 最初にほんの微かに唇に触れてから、総司は歳三の瞼や額、頬といたるところに、接吻してゆく。 唐突な行動に訝りつつも、歳三は総司の背に手を回し、そっと優しく抱き締め返してやる。 総司のこういう甘える仕草が、歳三には愛しくてならない。 ぽんぽんと、背中を宥めるように叩き、何を怯えているのかと、歳三はもう一度問い直した。 「一体、如何したんだ?」 「うん。歳さんが、何処か遠くへ、行くような気がして……」 歳三の首筋に顔を隠すように埋めながら、総司が答えると、 「馬鹿。お前を置いて、どこも遠くへなど、行かないさ」 その頭を撫でながら、歳三は笑った。 けれど、置いていくというのなら、それは歳三ではなく、総司の方だと歳三は思っていた。 武士の出である総司と、百姓の出である歳三と、普段どちらも刀を差して歩いているとはいえ、その身分の差は歴然とあるのだ。 だから、歳三には総司との関係も、己からは一歩が踏み出せなかったのだ。 どれほど、その存在が欲しくとも。 「総司」 愛しい名を呼び、歳三は総司の口を吸った。 お前こそ、何処にも行くなと、願いを込めながら。 いつしか舞っていた蛍が動きを止めているのに気付くことも無く、二人の口付けの角度が段々と深くなり、舌が痺れるほどに絡めあった。 名残惜しげにその口を離すと、熱に浮かされたような瞳が互いを見詰め合っているのが、その中に映っていた。 綺麗だと、総司は思う。 夜空の星の瞬きや、蛍の灯火よりも、何よりも煌き輝いている。 この瞳に出会ったときから、その輝きに魅せられてきたのだ。 「好き」 ふと、総司が零した言葉に、 「馬鹿……」 歳三は、微笑を深くして。 二人の周りで、仄かに光るホタルブクロが点滅を繰り返し、二人をいつまでも優しく照らし続けていた。 |
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川岸のホタルブクロが咲く頃のお話を。という、明け烏さまのリクエストでした。 けれど、ホタルブクロの話というより、蛍の話になっちゃいました。すいませ〜〜ん。 |
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