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待ち草臥れた原田に、ようやく来た歳三が声を掛けた。 「待たせたな」 「おっせぇよ、旦那。凍えちまわぁ」 春とはいえ、まだまだ冷え込む季節。時折り強く吹く風に原田は体を震わせていた。 「仕方ねぇだろ。総司が寝付くまで、いつもより時間が掛かったんだよ」 そう嘯く歳三の姿を見れば、肌蹴た胸元から幾つもの吸い痕が垣間見える。 「旦那、一体何をしてきたんだよ」 がっくりと肩を落として、原田が言えば、 「しょうがねぇだろ。総司が俺のいない気配に気付かないようにしなくちゃなんねぇんだから」 歳三は悪びれることもなく言ってのけた。 つまるところ歳三は原田を待たせて、総司とたっぷりと睦みあっていたという事だ。 情事の後の色香が歳三には漂っていて、目当ての待ち人よりも他の虫が寄って来そうな気配に、原田は溜息を吐いた。 さて、二人が何をしに出掛けたかと言うと、近頃流行の辻斬り退治である。 だが二人は正義感で辻斬りを退治しようとしてるわけでは当然ない。 剣術を習い、腕を磨いていれば、一度真剣で人と斬り合ってみたいとの欲求に、駆られようと言うもので。 だが、そんな機会など、日常ではあるはずもなく。 ならば、後腐れのない輩を探そうということになった、と言うわけだった。 その相手が辻斬りならば相手に不足はないし、斬ったとしても面倒は少ないだろうとの判断だ。 自分が斬られることを想像してもいないあたり、自信過剰というべきものだったが。 そんなわけで、夜な夜な辻斬りを求め、徘徊をしているというわけである。 今日で何度目かの夜であった。 辺りに気を配りながらも、ぶらりぶらりとそぞろ歩きを装って、二人は辻斬りに遭遇するのを待っていた。 「総さんとはそんなにいいかい?」 「あ?」 「いやさ、総さんとのまぐわいは、そんなにいいのかい?」 「お前、人のそんなことに興味があるのか」 歳三は綺麗な眉を顰めた。 「まさか! そんな訳ねぇよ。けどさ、そんなものおおっぴらに付けてさ」 歳三の胸に咲いた花びらにも似たものを指差し、 「総さんだって、最初の頃よりは随分と薄くなったけど、未だに旦那の爪痕つけてるじゃないか」 と原田はぼやいた。 つまりは、歳三の爪痕は、感極まって痕を残してると言うことだろう。 あの頃それをからかって、歳三にこっぴどく怒鳴られた記憶がある。 今だって、総司と寝た後の歳三は色っぽくて、男に興味のない原田にだって目のやり場に困る。 所謂、徒っぽいと言った風情なのだ。 「まぁ、な」 満更でもない表情で歳三は肯定した。 「気持ちいいのは確かだな。抱かれてると何も考えられなくなるぐらいには……。あいつしかいらねぇ、って気になる」 「ふぇ。そこまで惚気られるとは思わなかったぜ」 「ふん。なに言ってやがる。お前が聞いたんだろうが……」 「う〜〜ん。まぁ、そりゃそうなんだけどよ」 原田は頭を掻きながら、 「けど、旦那。一つだけ忠告」 恐る恐ると言った雰囲気で言い出した。 「なんだ?」 「旦那さぁ。総さんと寝た後、すっげぇ色っぺぇの自覚ある?」 「あ? ばかやろ。そんなわけあるか」 歳三は原田の言葉を、男が色っぽくなってどうすると、一笑に付した。 「あるんだって! そりゃ、旦那が女遊びしてた頃も知ってるよ。そんときも色気はあったさ。けど、その比較にならねぇぐらい、旦那が色っぽくなってんだよ」 「…………」 「そりゃ、おれらは旦那の気性をよ〜く知ってるし、総さんに対する遠慮と言うか、そういうのもあるから旦那にちょっかいを掛けるなんてことはねぇよ。けどさ、そんなことを知らない奴からすりゃ、ついふらふら〜っと色香に迷うぐらいなんだよ」 胡散臭そうに歳三は原田を眺めやった。 「だからさ。総さんがからかわれるのを怒るより、旦那自身がもうちょっと気を配ってくれよ」 歳三は総司が自分との色事でからかわれるのには敏感なくせに、自分自身のこととなるとてんで無頓着なのだ。 今だって、吸い痕が派手に付いた胸元を隠す素振りもないし、けれどそれが一番の目の毒なのだ。 「多摩ではどうか知んねぇけど、こっちに通ってきてる門人の中にゃ、旦那目当てで通い出した奴も、ちらほらいるしさ」 「なに?」 歳三にとって初耳な話に、歳三の目がきつくつり上がる。 「ほんとだって。総さんが牽制してるから、旦那は知らないだろうけどさ。何かあってからじゃ遅いだろ? 単なる悶着ならまだしも、刃傷沙汰にでもなったら、旦那だって困るだろ?」 困るどころの話ではない。 総司にそんなことが元で怪我を負わしたとなったら、歳三は出入り禁止どころの騒ぎではないだろう。 それにもまして、歳三自身が許せまい。 「…………。わかった。気をつける」 「頼むよ、旦那」 そんな話をしながらの徘徊も二刻を過ぎ、今日もはずれかと思い始めた頃、一つ向こうの辻からしじまを破る物音が聞こえて二人は顔を見合わせ、次の瞬間には鯉口を切って走り出していた。 駆けつけてみると、商家と思しき屋敷の裏木戸を開けて出てきた五人の男たちと鉢合わせをしてしまった。 頬かむりをして顔を隠していたが、長刀を差しているそのなりといい、物腰といい、明らかに武士のものであった。 近頃辻斬りとともに横行する、攘夷を名目に金をせしめる御用盗の類に違いなかった。 目当ての辻斬りには遭遇しなかったが、代わりの獲物に出会ったわけだ。 だが、この男たちを代わりとするには、いささか物騒すぎた。 いかに歳三と原田でも、二対五では分が悪すぎる。 かといって、踵を返すには遅すぎた。 血刀を下げた男が興奮のままに有無を言わさず、踏ん切りのつかぬ歳三たちに斬り掛かってきた。 歳三に三人。原田に二人。 一対三、一対二では、歳三たちに腕に覚えがあっても、どうしても押し切られてしまう。 攻撃は最大の防御と言っても、攻めあぐねて防戦一方で、相手に傷を負わすこともできない。 歳三たちは逃げ出す隙が見つけられず、相手も簡単に仕留められず、事態は膠着状態になりつつあった。 その状態が動いたのは、歳三が相手の剣を捌き損ねて体勢を大きく崩したところへ、別の相手が大上段に振りかぶったときだった。 そのとき一陣の風が吹き抜けた。 風は原田の横を通り過ぎ、歳三の元へと吹きつけた。 それに気付き驚いた男が振り向いたのも無視し、歳三に剣を振り上げていた男に襲い掛かった。 背後から心の蔵を一突き。 きっと男は何が起こったのか全くわからぬうちに、絶命したはずだ。 胸から突き抜けた刀を、さっと引き抜き、先ほど振り向いていた男を腰車に斬った。 この男も、気合を出すために口を大きく開いたまま、横倒しに倒れていった。 ひとり一太刀。たった二太刀で二人の男が死んだ。あっけないものだった。 「そう、じ……」 総司は歳三を背後に庇って、辺りを見回したが、一瞬の間に起こった出来事に、他の男たちは戦意を喪失して、腰を抜かしながら我先にと逃げ出した。 だが、ちょうどその時呼び子がして、捕り方が殺到してきた。 捕り方が来たのは、押し入られた商家の者が、歳三たちが遣り合っている隙に表から抜け出して、番屋に知らせに走っていたのだ。 どんな理由であれ二人の男が死んだ以上、そのまま立ち去れるわけもなく、三人は番屋に連れて行かれたが、商家の者の証言と同心の中に総司の顔を見知っている者がいて、今夜はいったん帰ることを許された。 試衛館へと帰る道すがら、黙りこくったまま隣を歩く歳三に、総司はことさら明るく言った。 「歳さんを見つけたときは、肝が冷えるかと思った」 「どうして、あそこに……」 来たのかと歳三が問えば、総司は夜中に目覚めてみると隣に歳三がいなくて、探しに出かけた途中でその丁稚に出会い、そのただ事ならぬ様子に、もしかしてと慌てて駆けつけたと話した。 「近頃ちょくちょくいなくなるでしょう? 気になってたんだよね。特に今日はなんだか嫌な予感がしてさ。捜しに出てよかったよ」 総司は心底安心したように笑い、 「でも、本当に無事でよかった。もう危ない真似しないでね?」 ついさっき初めて人を斬ったなどとは微塵も感じさせない。 だが、歳三はそうはいかない。 なぜなら、総司が人を斬った原因は歳三にあったから。 総司が己のために、手を血で穢すなど許されることではなかった。 だが、己のために刀を振るい、無造作に人を斬った総司の、凛とした光を放つかのような姿に、魂を奪われるほどに見惚れていたのも事実であった。 しかし、総司は歳三の葛藤を知る由もなく、歳三と手を繋いだ。 「早く帰って血を洗い流さないとね」 総司が言うのも無理はない。 歳三はただ一人、全身血まみれだ。 斬られた男の血が霧が舞うように噴き出して、歳三に降りかかった所為だが、斬ったはずの総司が返り血一つ浴びていないのと対照的だった。 「あ、あぁ……」 どこか気のない返事をしながら、時間が経ち染み付いたかのように匂う血の匂いは、最早取れないのではないかと思うほど。 ただその匂いも、慣れつつあるのか、麻痺しているのか、今は気にならなかった。 人気のない静まり返った試衛館に帰り着き、裏へとこっそり回った。 普段人で溢れてる試衛館には珍しく、周斎とつねを除けばこの三人しかいなかった。 近藤や井上は多摩へと出稽古に回っていたりしたからだが、だからこそ二人は見咎められまいと無謀な行いに出掛けたのだろうけれど。 とにかく、明日の朝には役人が来る手筈になっているから知られてしまうが、今周斎はそんなことも知らずに深い眠りを貪っているはずだった。 想定外の出来事に見舞われて、心底疲れ切った心と体を休めるために、原田は居候部屋に戻った。 「じゃあな。総さんもゆっくり休めよ」 疲労の度合いは濃いが、神経は張り詰めたままで、そう簡単には休めそうにもなかったが。 「うん。左之さんもね。おやすみなさい」 総司は原田と部屋の前で別れ、使い古された手拭をたくさん行李から引っ張り出した。 総司が井戸端に戻ると、一人残っていた歳三が素っ裸になって、水を頭から被っていた。 それにつれて、時間が経ち固まっていた血が融けて、赤い雫となって歳三の体を滴り落ちていく。 月光にそこだけ浮かび上がったように見える歳三のその姿は、退廃的でありながら幻想的でとても美しかった。 ざばざばと幾度も繰り返す歳三を、総司はしばらくじっと見ていたが、総司の足に掛かった冷たい水に我に返ったように歳三を呼んだ。 「歳さん」 声に振り向いた歳三の中心で、歳三の逸物が雄雄しく天を突いていた。 しかし、総司はそれから目を逸らして歳三に近づき、滴り落ちている赤い水を、持ってきた手拭で拭ってやった。 見る見る間に手拭は赤く染まり、使い物にならなくなってゆく。 この分では、水浸しのこの辺り一帯は、血が沁み込んでいるだろう。 明日は早くに起き出して、歳三の血に塗れた着物や手拭とともに、片付けなければとぼんやりと思いながら、頬に花びらのように一点だけこびり付いた血を、総司は唇を寄せ舌で綺麗に舐め取ってやった。 いったん大雑把に拭いてから、今度は冷えた体を温めるように丁寧に拭きあげていく。 もちろん歳三の逸物は、その間も天を突いたままだ。 「そうじ」 少し見上げて、何か強請るような歳三の目に、 「ん?」 と、総司が首を傾げて見返せば、歳三は総司のものを、ぐっと直接握りこんできた。 「歳さん」 いきなりな歳三の行動に、咎めるような声を出しつつ、苦笑った総司だった。 「なんで……」 歳三のものとは違い、歳三の手の中にある総司のものは、形を変えることなく熱い脈動もない。 歳三の口から出た言葉は、それを咎めるものだったろうか。 「歳さんは、興奮してるね。血を見て興奮したの?」 歳三がしたように、総司が歳三のものに触れれば、歳三はぴくりと電流が走ったみたいに体を震わせて、 「あっ……」 それだけで熱い吐息を吐いた。 「おまえは――」 「うん。なんでだろうね?」 人を斬り血を見れば、否応なく血が滾ると聞いていたのに、総司にはその気配は微塵もない。 それよりも、こうして歳三の姿を見ているほうが、昂ぶっていく。 だから、直接的に口に出して言ってみた。 「歳さんの今の姿を見てるほうが、よっぽど興奮する」 と。 歳三にもそれが嘘でないことは、手の中で熱く脈打ち始めたそれで感じているだろう。 歳三の形のよい耳を甘噛みしながら総司は、 「ねぇ、抱いていい?」 拒否されないことを承知で、甘く強請った。 「――う、ん」 総司の肩に頭を凭せ掛け、火照り始めた体を持て余していた歳三は、 「抱いて、くれ。蕩けてなくなるぐらい」 総司は嬉しそうににっこり笑って、あとは歳三の望むとおり、一睡もせずに夜が白むまで貪りあった。 |
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