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新撰組と言えど、余暇はある。 昼夜の巡察に当たらなければ、数刻にわたる稽古をして過ごすほかは、屯所内で何をしようと自由である。 ただし、特別な出動させられることもあって、非番と銘打たれていなければ、屯所の外へ出ることは許されないが。 そんな待機の時は、大抵の者は大部屋でわいわいと雑談に興じるのが、常だった。 もちろん平隊士に個別の部屋が割り当てられていない所為もある。 だが、そんな中に一緒に待機組になっている幹部も、ざっくばらんに混じっていることが多かった。 今も巡察に出ている藤堂と井上を除き、夜番の永倉と待機の斎藤、非番の総司と原田が揃っていた。 そして彼らを囲むようにそれぞれの隊士たちもいる。 女が三人寄れば姦しいと言うが、男もこれだけ寄れば煩いことこの上ない。 話はいつの間にか、昨日の斬り合いの話になり、 「怖かった」 一人の男が素直に心情を吐露した。 「ああ、おめぇは、初めてだったな。斬り合い」 指揮していた原田が揶揄することなく、 「けど、立派だったぜ。ちゃんと仕留めたじゃねぇか!」 ばんっと豪快に男の背を叩く。 原田のいいところは、小さいことに拘らない大らかさだ。 怖い、と言うことは臆病にも繋がる新撰組にあって、そんな些細なことを意に介さず、原田は男の働きを褒めてやった。 「ええ。でも、こうまだ手に感触が残ってる気がします」 自分の手を見て呟く男に、 「最初は誰でもそうだ。嫌でもそのうち慣れるさ」 永倉は言い聞かせるように言った。 「はぁ……」 人斬りになどあまり慣れたいことではなかったが、新撰組にいる以上そんなことを言ったら、切腹ものだ。 「誰でも、一度は通る道だ。手に肉を斬る感触が残っていたり、血が滾って女が欲しくなったり、な」 「そうそう。おめぇ、今日は非番なんだ。女抱きに行って来い。それですっぱり忘れろや」 永倉と原田の遣り取りを、珍しく混ぜっ返すことなく総司は聞いていた。 その静かな様子に斎藤がいぶかしみ、総司に声を掛けた。 「どうかしたのか?」 「え?」 総司は夢から覚めたように目を瞬き、斎藤と周囲を見回した。 「変だぞ?」 斎藤が再度問い掛けると、総司は意を決したように聞き返した。 「あ、ああ。あのさ、斎藤や永倉さんでも、最初の時って手に感触が残ったり、血が滾ったりしたの?」 「は? そりゃ、当たり前だろ。なぁ」 総司の問い掛けに、永倉は呆れたように言って、斎藤と顔を見合わせた。 「ああ、もちろん、そうだが……」 斎藤も永倉に頷き返したが、総司はそんなことも知らないのだろうかと思った。 「もしかして、沖田はそんなことがなかったのか?」 「うん。全然そんなこと感じなかった」 「興奮したりとか、怖かったりとか……」 原田が身を乗り出すように聞いたが、総司は淡々と答えるだけ。 「別に何にも。相手が、ああ、死んだな、ってだけ。今もそう」 聞いていた面々は、うそ寒いものを感じた。 人を斬って感じることがそれだけと言うのは、どこか欠陥があるとしか思えなかった。 「手応えもないし」 呟くように言った総司に、 「それって、斬った手応えがなかった、ってことか?」 永倉が聞き返す。 「うん、なかったよ。竹刀や木刀での時は腕にガツンと来る衝撃があるけど、なんの手応えもなくて拍子抜けしたよ。あれ? って……」 総司の言葉に、斎藤が感心したような声を出した。 「それは、よほど刃筋が立ってたんだな」 竹刀や木刀は体にあたる部分が丸いし、跳ね返りがあるからどうしても手に衝撃が返る。 しかし真剣だと刃筋が立っていれば、その切っ先が抵抗もなく体を斬ることも可能だろう。 「ふ〜〜ん。手に感触が残るってどんな感じ?」 「どんな、って。言葉で言えねぇよ」 「ん? ちょっと待て。お前最初だけじゃなくて、今までに一度も、そんなことなかったのか?」 一度でも人を斬った感触が残れば、聞くようなことではないだろうと思って聞けば、 「ああ、全然ない」 総司は案の定の返事で。 化け物を見るような目で、永倉は総司を見てしまった。 だが、そういえばこいつは、返り血も浴びない奴だったと改めて、総司の力量に恐れ戦いた。 「じゃあ、もしかして血が滾ったことも、一度もないのか?」 「ないねぇ、別に」 「じゃあ、おれたちが斬り合いの後、遊郭に行く気持ちなんか分からないわけだ」 「うん、全く」 あっけらかんと言われて、原田たちは呆れるやら、脱力するやら。 「ある種の悟りの境地だな」 感慨深げに聞いていた斎藤が口を開いた。 「どういう意味だ?」 滅多に口を利かぬ相手に、原田が絡もうとしたが、 「人を斬っても、懊悩することも、興奮することもないんだ。一種の無の境地だと思うがな。会得したくても凡人には会得できまい」 と斎藤は沖田を庇うように言った。 「諸行無常ということだろうな。生滅して永久不変のものなし」 「でもよぉ。それって可笑しくないか? こいつって、犬猫が死んでも泣くぜ。なのによぅ」 人の死に何も感じないというのは変だと、原田が言い募る。 「人も動物も、沖田には同じことなんだろう。どっちも命に変わりはない。命に貴賎はないということだ。だから、敵でなければ情けを掛けてもらえるが、敵ならそんな情状は一切なくなるんだろう」 動物や子供を可愛がる同じ手で、人を斬っても総司の中で矛盾することはないということだ。 そんなものかと感心する皆にお構いしなしに、総司は言い出した。 「褒められてるのか、貶されてるのかわかんないな。まぁ、いいけどね。でも、最初と今と、別に何も変わんないけど、一つだけ違うことがあるな」 「なんだ?」 「手加減できるようになったことだな」 「手加減?」 「そう。初めてのときは有無を言わさず斬って殺しちゃったけど、今だったらちゃんと殺さないようにできるからね」 あっさりと総司ぐらいの腕がなければできない芸当を言われて、斎藤ですら返す言葉もなかった。 火鉢を囲んでいても、総司の言葉にどこか寒々としてしまった雰囲気は消えず、非番の総司を追い立てるように部屋を出た。 いや、中にはさすが総司だと、尊敬の目で見る者もあったが。 「そういや、総司の人斬りって、一体いつだ。左之、知ってるか?」 自分たちの部屋へと戻りながら、永倉は疑問を原田にぶつけてみた。 「う、ん。まぁ」 「何だよ、歯切れが悪いな」 永倉は横の原田を小突いた。 「そこに、居合わせたからなぁ。おれ」 「え? お前がいたのか?」 斎藤は黙々と二人の後ろを黙って付いて行く。 普段人とつるまぬ性質だが、話が総司のことゆえ気になるようだ。 「ああ。おれと旦那とな」 「旦那? 土方さんのことか?」 「そうだよ」 「なんで、また……」 長くなるからと部屋へと入ってから、斯く斯く云々と、原田は語った。 「ほう、そんなことがあったのか」 初めて聞く話に、永倉も斎藤も唸った。 その時に出会っていない斎藤はともかく、永倉が知らなかったのは、ちょうどその時永倉は神道無念流の同門の市川宇八郎・後の芳賀宜道と武者修行に出ていたからだ。 江戸に戻ったのはその年の夏の盛りになってからだった。 そして、なおかつ戻ってきても緘口令が敷かれていたからだろう。 相手が押し込み強盗で咎めはなかったとはいえ、おおっぴらに言うべき事柄ではなかったから。 「で、その時の沖田の剣は?」 どんな斬り方をしたか、と言うことだろう。 背から心の臓を一突き。 もう一人は驚いて反撃しようと向き直ったところを、左から腰車に斬って捨てた。 そう説明すると、 「たった二太刀か?」 「ああ、そうだよ。一人一刀。鮮やかな手並みだったよ」 永倉は、むうっと唸って目を閉じてしまった。 斎藤も驚嘆したままだ。 初めてでそれほど剣を揮えるとは、やはり総司は只者ではない。 「それにしても、どうだかなぁ」 「なにが?」 「ん? 総さんが言ってただろ。『手加減できるようになった』って」 「ああ、それが?」 ずずっと、茶をすすりながら、永倉は聞き返した。 「今は旦那が危ない目にあうことがないから、手加減もするだろうけどさ。だけど旦那が危ない目にあったら、絶対そんなことないぜ」 「…………」 原田の言い分に、そうかもと思ってしまう辺り、付き合いの長さと言うものだろうか。 「あの時だって、総さんは旦那しか目に入ってなかったし」 その時を思い出して、原田は深く嘆息した。 「俺の方が旦那より対峙していた相手は一人少ないけど、でも総さんは俺に脇目も振らず、遠くの旦那に駆けて行ったんだぜ。やんなるよなぁ」 不貞腐れた原田に対し、 「しかし、沖田の初の人斬りが、土方さんが原因だったとはなぁ」 永倉はしみじみと言った。 京に来て壬生浪士組を作り、過激浪士の退治をするようになって、総司が人を斬ったとばかり永倉は思っていた。 それほど、江戸で総司の剣が変わったと言う印象をもてなかったからだ。 普通、人を斬ればどうしたって、剣に凄みとかそういうものになって現れるだろうに。 そんな永倉の思いとは別に、斎藤は理由はどうであれ、総司は出会ったときには人を斬ったことがあると思っていただけに、納得するものはあったのだが。 「まあ、な。元を正せば、旦那の我侭が発端で。それで、総さんが旦那を庇って、人を斬っちまったわけだ」 永倉の言うことを肯定した原田が続けた、思いもよらない言葉に、 「おかげで、犯されたって言ってたぜ。旦那」 永倉も斎藤も、飲んでいた茶を噴き出した。 「犯さ……、って。おい……」 咳き込んでしまって、永倉は言葉が出てこない。 そんな二人を見回して、原田は声を潜めた。 「新八も、斎藤も、知ってるだろ?」 「何を?」 永倉はしらを切ろうとしたが、 「総さんと旦那の関係だよ」 「……。まぁ、なんとなく……」 切りとおせそうになく、渋々認めた。 斎藤は無言のままだ。 「旦那は呵責を感じたんだろうな。ご隠居もなんも言わなかったけど、こう無言の圧力ってものもあるだろ」 総司は周斎が手塩に掛けて育て上げた、天然理心流の大事な弟子だ。 それが歳三との関係から、過ちを犯したともなれば、許容の範囲を超えたということか。 「だから、旦那は逃げたんだよ、総さんから。それで、新八も知っての通りの吉原通いだ」 「え? 土方さんの吉原通いって、元はそれだったのか?」 「ああ、そうだ。まぁ、総さんも旦那の気持ちを優先して、見て見ぬ振りをしてたんだけどよ」 総司にしてみれば人を斬ったことなどどうという事はなかった。 歳三さえ怪我もなく無事なら、それでよかったのだ。 しかし、逆の立場ならきっと総司も歳三に対してどうすればいいか判らなくなるだろう。 だから歳三が落ち着くまで、例え女の肌に溺れようとも、黙って様子を見ていたのだ。 いずれは、自分の元へと戻ってきてくれるだろうと。 「でもそこで、旦那が吉原の田圃で大立ち回りだろ。堪忍袋の緒が切れて、と言う寸法さ」 情を交わし、念を交わした相手が、女が原因で刃傷沙汰と来れば、総司でなくとも腹が立つと言うものだろう。 「結局それで、元の鞘に納まったんだから、大団円だったけどな」 「ご隠居は許したのか?」 大団円だと言うことは、最後には周斎が許さねばなるまいからだ。 「総さんの剣が、歪まなかったことに免じて、らしいがな」 「なんで、お前がそこまで知ってる?」 「いや〜、総さんには遊び仲間ってな感じで、話にはもともと乗ってたからなぁ。で、そういうことを旦那が知って、おれなら隠す必要がねぇって思ったみたいだな」 結構あけすけに言われるぜ、もう慣らされちまったけどよ、とからから笑う原田に、それはご愁傷様と内心手を合わせる永倉と斎藤だった。 |
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原田が語った「斯く斯く云々」は別の話で書く予定です。その時はよろしく〜〜。 「吉原田圃の大喧嘩」も書ければいいなぁ。 |
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