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前回の長州征伐は前年の元治元年であり、このときは長州の三家老の切腹と、参謀役四名の斬罪などで、幕を閉じてしまった。 幕府を脅かす長州など徹底的に叩き、息の根を止めてしまえばいいものを、その程度で許すなどなんと手ぬるいことか。 行軍録まで作成し、戦に加わる気満々だった新撰組は、肩透かしを食らったような感じだった。 だがその直後、高杉らの長州内部を覆す動きを聞いたとき、それみたことか、と歳三は思ってしまったものだ。 幕府も慌てたと見えて、四月には二回目の長州征伐が発令された。 だが、それでも幕府の行動は鈍く、将軍家茂が江戸を発ったのは一月後の五月。 そして、今はもう十一月というのに一向に動く気配がない。 だらだらと徒に時が過ぎるばかりだ。 新撰組などは来るべき長州征伐に備えて、早々に隊士の人員を確保したというのに。 近藤は今、幕府の訊問使・永井尚志の供として、芸州にいる。 新撰組局長として、顔を見知るものがいるかも知れぬからと、歳三は諌めたが、近藤は受け入れず永井に自ら志願して、永井に同行してしまった。 言い出したら聞かぬ頑固なところのある近藤であるから、土方も渋々ではあるが送り出した。 その近藤の同行者は、文武に通ずる者をという近藤の意向で、伊東甲子太郎を筆頭に、武田観柳斎・尾形俊太郎・山崎丞・吉村貫一郎・芦屋登・新井忠雄・服部武雄という人選だった。 伊東の同行には歳三は難色を示したが、伊東の文に心酔しているきらいのある近藤が強く押し切ってしまった。 そこで、歳三はそれならばと、武田もついでに近藤に押し付けた。 伊東が来るまでは、武田は文に置いて近藤に重用されたが、この頃は伊東の陰に隠れつつあり、焦りがある。 二人共に行動させれば、食い合ってくれないかとの思いがあった。 それになにより、虎の威を借る狐である武田が、近藤不在の新撰組に居て、増長した振る舞いをされるのを見ているのは、歳三の精神状態にもよくない。 近藤の居ないことでおおっぴらに隊士に手を出されでもしたら、目も当てられないだろう。 それならば、近藤に押し付けてしまえ、という訳だ。 尾形・山崎・吉村の三人には歳三の意を言い含め、近藤の護衛はもちろん、伊東らの監視も怠りなくするように命じていた。 この三人ならば、伊東の目付けには適任だと思っている。 近藤がいないせいで仕事に忙殺されていた歳三は、久々に筆を置く時間が取れ、そんなことをつらつら思い耽っていたが、その歳三の目の前にあるのは先般作成した行軍録の写しである。 隊士が増えたため、前回作成した行軍録では役に立たなくなったので、新たに作り直したのだ。 また、前回は個々の隊士名を書き記していたが、今後も人数の増減があることを予測して、今回は幹部のみの名を記し、ほかの隊士は○印のみで表した。 この行軍録に書かれた幹部の名前は、近藤と歳三も含め十一名である。 このうち、試衛館以来の同士でないのは、谷三十郎・伊東甲子太郎・武田観柳斎の三名のみであった。 やがて、物憂げな風情を見せていた歳三はおもむろに傍らにあった筆を取り、棒線を引いてその三人の名前を消した。 新撰組に異分子は要らぬ。 総司の邪魔になる男も、新撰組に仇名す男も、近藤に媚びる男も要らぬ。 今はまだ時期ではないが、いずれ時が来れば消えて貰わねばならぬ。 それが、歳三の確固たる意思だ。 今、この時の歳三の表情を見れば、冷たい氷のような、と言われるだろう。 整った白皙の顔だけに、それは寒々として人の目に映る筈だ。 しかし、雲が切れて陽射しが差し込むと共に、歳三の周りで止まっていたかのような時が流れ出し、周囲の音が歳三の耳に聞こえるようになって、凍てついたかのような歳三の顔を解けさせていった。 遠いが故に微かに、しかしはっきりと歳三の耳に届く声は、総司のもの。 いささか甲高いその声は、総司が気を発するとき独特のものだが、歳三の耳には雅やかな楽の音に匹敵する代物であった。 その声に、先ほどまでとは違う柔らかい微笑さえ浮かべて、歳三は立ち上がった。 その声を間近に聞くために。 歳三が部屋を出て行った後には、どこからか入り込んできた風に、不吉な棒線を引かれた紙が、ぱたぱたと音を立てて嬲られていた。 |
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