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祇園祭の本番山鉾巡行を控え、コンチキチンと練習をしているお囃子の音が、開け放った庭の向こうから聞こえてくる。 昼間は茹だるような暑さでも、夕方ともなり水を打った中庭を通る風は、涼を呼んで風鈴をちりんと鳴らして通り過ぎていった。 広縁に腰掛けている男は二人。 この家の主である原田と、歳三である。 新撰組の幹部には休息所というものを持つことが許されていて、それは屯所以外で寝泊りできる場所のことで、届けさえきちんとしておけばここから屯所に通うことができるのである。 だから、所帯を持った原田も、夜の番がないときは愛妻のいる家へと帰っていた。 そんな訳で、今日も今日とて原田はいそいそと愛妻まさの元へ帰ろうと屯所を出る際、ちょうどばったり歳三と出くわしたのだ。 「あれ? お出かけかい?」 門を出て一緒に歩く道すがら聞けば、歳三も休息所に向かうのだとか。 それにしては総司の姿が見当たらないな、先に出てどこかに潜んででもいるのかと、原田がきょろきょろと辺りを見渡せば、 「なんだ?」 不審そうに歳三が聞いた。 「いや、総司がどっかから出てくるのかと思って」 原田は思ってたことをあっさり答えて、歳三を苦笑させた。 歳三と総司の関係を知っている原田が、歳三が休息所に行くなら、当然総司も一緒だと疑わずに聞いてきたようだ。 腹に溜め込まずに、口や態度に出す。そこが原田の良い所でもあり悪い所でもある。 もちろん歳三は、原田のそんなところが気に入っていたが。 だから、隠すこともせずに答えてやった。 「あいつは、まだ戻ってきてねぇ」 今日の総司の巡察は昼からだったから、終わるのはまだ一刻以上は後のことだ。 「おや、後で落ち合うのか」 「ああ」 もともと戻ってきた総司と一緒に出かける予定だったが、仕事が予定より早くけりがついたので、先に向かうことにしたのだ。 机の上には総司にはわかるように文を置いてきてあるし、大丈夫だろうと思う。 「へぇ、じゃあそれまで、おれんとこで一杯やらねぇか?」 原田は一杯引っ掛ける素振りで、歳三を誘った。 歳三もちょっと考える素振りを示したが、時間もあることだしと、原田に付き合うことにした。 なんせ副長という役職柄、原田たちにもどうしても一線を引いてしまいがちになる。 それゆえ孤独になりがちで、こうして誘われるのは、ほっとするものがあった。 原田の妻女の心尽くしの肴をあてに、酌み交わす酒は旨い。 話す話も新撰組や、尊王や攘夷などまったく関係ない話ばかりで、それも酒がすすむ一因である。 こういう風な気楽なことが、すごく居心地のいいことだと、歳三は思う。 今ではなかなか馬鹿話などできなくなっているから。 しかし、二人の共通の話題といえば、試衛館時代の思い出話や、その仲間のことがどうしても多くなるのは致し方ない。 あの時のことを覚えているかだの、誰が馬鹿をやっただの、といったものだ。 そんなことを語り合いながら、 「総司って、旦那の唯一の弱みだねぇ」 なんてことを、原田にしみじみと言われてしまい、歳三は酒を吹きそうになった。 ぎろりと原田を睨んでみせたが、慣れっこの原田には歳三の眼力など通じもしない。 にやにやと笑って歳三を見ている。 悪意というか、裏のない男なので、歳三も本気で怒る気にもならず、総司と歳三の関係を当初から知っている原田に、隠し事などできようはずもなく、 「…………。悪いか?」 と、歳三は少し顔を赤らめてそっぽを向いた。 「いんや。悪くないよ」 そんな歳三を見て、原田はさばさばした口調で言った。 「それどころか、鬼の副長も人の子だって判るから、いいんじゃない?」 歳三が総司といることで、人がましくなることを原田は知っている。 総司といれば、新撰組副長という鬼の如き冷徹な仮面を脱ぎ捨てられることを。 そうでなければ、原田も歳三が試衛館の頃とはまるで人が違ってしまったかのように思っていただろうと思うし、歳三自身もその重みにいつの間にか押し潰されていたのではないかとも思う。 「それに弱みによりは、ずっと強みになってるでしょ」 総司の存在が、歳三を歳三たらんと成さしめているのだし、その逆も真なりだとも思っている。 「おれだって、おまさがいるから、強くなれる。そういうもんでしょ」 にっ、と白い歯を見せて笑う原田の顔には、守るものを得た男の強さがあった。 「ああ、そうだな」 その原田の顔に、眩しそうに目を眇めた。 それを知ってか知らずか、原田は混ぜっ返すように、 「ま、旦那の場合、総司に変に構うと、すっごくおっかないのが、玉に瑕だと思うけどさぁ」 総司と知り合った頃の歳三の自分に対する行動を思い出し、原田はしみじみと言った。 総司と意気投合し、仲良くつるんでいた原田は、歳三に事あるごとに苛められたものだ。 総司に近づく者が気に入らなかったのだと、後になってわかったが、当時は理由がわからずずいぶん悩んだものだ。 「ほっとけ」 総司のこととなると見境がなくなるのを自覚している歳三は、ぎろりと原田を睨むと吐き捨てた。 「ま、おれに火の粉がかからないうちはほっとくけど。でも、おれで払える火の粉ならいくらでも払ってやるから、さ」 原田は男気のある闊達な笑顔を見せて、酒を飲み干した。 そんな兆候は今はまだ何一つない筈だが、この男の野生の勘が、何かを察して言わせたのかもしれないと、そんなことを頭で考える間もなく、 「そのときは任せる」 するりとそんな言葉が歳三の口から出た。 「おうっ! 任せとけ」 頼もしい原田の返事に清清しさを感じて、歳三は心からの笑みを口に浮かべつつ杯を傾けていると、いつの間にかお囃子の音も途絶え、辺りは静寂に包まれていた。 |
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