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歳三が今日近藤から聞いた話は、青天の霹靂だった。 いや、驚天動地と言ってもいいだろう。 それは、なんと谷三十郎の末弟の千三郎を近藤の養子にする、と言うものだったから。 しかも、歳三には事後承諾。 周斎に手紙を送った後と聞いては、怒り心頭に達するというものだった。 にこにこと人好きのする顔を見せる近藤は、こめかみをぴくぴくと引き攣らせた土方にも気づきもせず、 「よろしく頼む」 と、頭まで下げた。 そこまでされては、さすがに谷もいるその場で声を荒げるわけにもいかず、歳三は黙って引き下がってきた。 しかし、それで歳三の気が収まるはずもなく、近藤の部屋を出てしばらくは普通に歩いていたが、自分の部屋の近くになるとどすどすと足音も荒く歩いて、たまたま通りがかった隊士をびびらせた。 先ほどの得意げで、してやったり顔の谷の顔も、思い出すだけで腹立たしさを最大限に助長する要因だ。 歳三が苛立ちのままに、がらっと乱暴に部屋の障子を開ければ、ごろんと部屋の主でない総司が大きな顔をして寝転んでいるのが目に飛び込んできた。 巡察に出ていた総司が戻ってきて、副長たる歳三に報告に来たがいなかったので、そのまま帰ってくるのを待っていたのだろう。 そして、夜の巡察だったから、待っている間に待ち草臥れて、うとうとと眠ってしまったようだ。 歳三の立てた乱暴な音に、目を覚ました総司は、 「お帰りなさい。眠くて、寝ちゃったみたい」 ごしごしと目を擦りながら、起き上がった。 子供の頃からと同じような仕草で、歳三には至極微笑ましい風情だ。 それで、苛立っていた歳三の気も少し落ち着いた感がある。 「ああ、お前も無事だったようだな」 表面上は部下に対する労いを、歳三が言えば、 「ええ、今夜は何事もありませんでした」 総司も先ほどの幼い仕草を隠して、澄まし顔で簡単に報告をしてきた。 報告の後、総司が淹れてくれた茶を飲み、総司のために小者に買いに行かせておいた菓子を食べて、まったりとした時間が流れた頃、先刻の気になっていた歳三の態度を総司が聞いてきた。 「どうしたの? なんだか荒れてたようだけど?」 にこにこと邪気もなく聞いてくる総司に、近藤の言葉を思い出し、思いっきり不機嫌になってしまった歳三である。 なにより総司に、近藤が総司より谷の弟を選んだと取れる行動を、自分の口から告げたくはない。 しかし、逆に他の人間から――特に谷から――聞かされるのも、総司には嫌なことだろうと思い直し、先ほどの近藤の部屋での、養子の顛末を総司に話して聞かせた。 が、総司は拍子抜けするぐらいあっさりと、 「え? 千三郎が先生の養子? ふ〜ん」 と、済ませてしまった。 「お前、なんとも思わないのか!」 兄とも父とも慕ってた近藤からの仕打ちに、衝撃を受けると思っていた総司の淡々とした声に、歳三が声を荒げる。 「あんな奴がっ」 総司と比べて格段に劣る奴が、近藤の養子だなどと冗談じゃないと歳三は思う。 まるで総司が格下に置かれたようで、歳三には我慢がならない。 「だって、先生が決めたんでしょ? 俺は別にいいよ」 自分のことのように怒ってくれる歳三が、総司には面映い。 それだけ歳三に想われている、愛されていると実感できて、本当にくすぐったくなる 「近藤の養子になるってことは、天然理心流も継ぐってことだぞ」 近藤も周斎の養子に入って、四代目を継いだ。 ならば、近藤家に養子に入るということは、天然理心流を継ぐということと同義語だろうと、歳三が思っても不思議ではない。 「うん、そうだね」 けれど、総司はあっさりとしたもので、それを悔しがる素振りは微塵もない。 「だったらっ!」 しかし、歳三はそういう訳にはいかない。 百年に一人というべき傑物が、ぼんくらの風下に立たされるなど、天地がひっくり返っても冗談ではない。 つい声も荒くなるというものだ。 「でも、谷が宗家になっても、俺が塾頭なのは変わりないでしょ?」 優しく諭すように、総司は歳三に語り掛けるが、 「当たり前だっ」 総司の胸倉を掴むような勢いで、歳三は怒鳴る。 「だから、それで俺はいいよ」 どこかに欲を忘れてきたような総司の言葉に、 「なんで!?」 歳三はいきり立ってしまう。 「うーん。なんて言うのかな? 言葉にしにくいんだけど……」 首を傾げながら、言葉を選びながら、総司は告げた。 「俺の剣は、確かに天然理心流だけどさ。でも、俺の剣は誰にも真似できないと思うんだよね」 確かに、総司の剣は紛れもなく天然理心流だが、その天才的な剣の冴えは、もうすでに天然理心流を超え総司独特のものだ。 特に三段突きなど、総司以外の誰にもなしえないだろう。 天然理心流でありながら、天然理心流を越えた剣。 それが、今の総司の剣である。 その剣は誰にも真似できないと、総司は言う。 そんな風な言葉に、総司が流派を継ぐことに拘りがないことを、歳三は納得した。 いや、納得をせざるを得なかった。 しかし、感情はそれとこれとは別であったし、もうひとつの懸念にも思い当たった。 それは、新撰組のことである。 歳三は近藤の養子ということと、天然理心流を継ぐということを同じと結びつけたが、谷などはそれどころか新撰組の局長をも継ぐことだと思っているのではないかということだ。 歳三の穿ちすぎならば良いが、先ほどの谷の態度には、それが溢れ出ていたように思う。 というより、冷静になってみれば、田舎剣法と言われた天然理心流の跡よりも、新撰組局長のほうが谷には旨い餌なのではなかろうか。 なんだかそう考えると、天然理心流を蔑ろにされたようであり腹立たしく、また新撰組を私しようとするなど言語道断とも思え、どちらをとっても歳三は複雑な気分である。 そんなことを考えている歳三の内心など知らず、総司は自分の本心をさらりと言った。 「それに、俺は義兄上の養子になってるじゃない? だから、近藤家には入れないでしょ?」 総司は姉の懇願に負けて、姉の婿林太郎の養子になっていたが、それは林太郎の実子である芳次郎に有無を言わせず継がせる布石でもあり、また近藤家を継ぐことのない様にとの魂胆でもあった。 そして、流派は捨てられても、歳三は捨てられない、との意思表明でもあった。 養子になったときにも歳三にそう言ったはずだが、思い出させるように総司は言った。 「ね? 良いように考えようよ」 と、総司は歳三を抱き締めて、殊更甘えるように、歳三が総司の声に弱いのを承知で、その耳に囁いた。 「これで俺に声が掛かることはなくなって、今後の憂いはなくなったって、さ」 総司が近藤家に入り、無理矢理妻を娶る懸念も完全になくなった、ということだと。 歳三が二人の仲を近藤に対して気にしているのは、重々承知の上での総司の言葉だ。 「だから、後でお祝いを言いに行こうよ」 後ろから優しく抱き込まれて、その白い頤や頬などいたるところに、ちゅっちゅっと唇を落とされて、誤魔化されるように宥められた歳三は、ただ黙って頷くことしかできなくなった。 |
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「千三郎」というのは周平の前名らしいので、使用しました。養子になって改名したという設定ですので、ご了承くださいませ。 |
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