おれは梅の花が好きだ。
桜のようにいっせいに満開になるのではなく、ぽつりぽつりと花を咲かせ、長く目を楽しませてくれるところがいい。
色艶やかで、凛として、見目麗しく。
その一枝だけで存在感があり、寒さの中で咲く姿は春を告げるようで、見る者の心を暖かくさせる。
それは歳三にとっては、まさしく総司のようだった。


梅は古来より多くの人に愛でられていて、菅原道真の愛した花としても有名だ。
だからだろうか、盆栽としても人気がある。
盆栽の大きさというのは普通、両手で簡単に持ち運べるぐらいのものを言うが、以前歳三が見た盆栽の大きさには目を瞠らされた。
それは、一抱えほどもある大きな鉢に、人の背丈ほどの高さになる梅を育てたものだったのだ。
それをはじめて見たとき、歳三の心を襲ったのは衝撃だった。


威風堂々とした枝振りを誇り、その凛々しい姿で人を圧倒して目に迫った。
しかし自然でない、作り物めいたどこか歪な姿。
何者にも囚われず伸びやかで、自由気侭に枝を広げたように見えながら、その実は緻密な計算の元、歪められた姿でもあったのだ。
そして、長い年月をかけて丹精込めて育てられた姿もさることながら、これほどまでに、己の思うがままに育て上げられるのかと。
それからであった。
歳三が総司に、己と人の、血と肉を与えだしたのは。
土方さんの見た盆梅は、長浜の盆梅がイメージです。
ただし、幕末当時に今のような盆梅があったかは不明ですが。



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