呑のもけふの花見かな
くすくすと、歳三の横で密やかな笑い声が、聞こえてきた。 「何だ、総司。気色の悪い」
横目で総司を見遣って、歳三が軽口を言えば、
「気色の悪いって、酷いなぁ」
総司のむくれた声が、返ってきた。
黒谷からの帰り、随分と遅くなってしまい、提灯を借りての二人の道行きである。
公用の時は、総司は背後からの敵に対処する為、いつも歳三の半歩後ろを歩くのだが、今宵は灯りを持って足元を照らすために、歳三の横に並んで歩いていた。
「ふん。変なことでも、思い出していたんだろうが……」
歳三が鼻息も荒く、威張って言うと、
「変なことって、なんですか? 失礼だなぁ」
ぷうっと、頬を膨らませた総司の姿は、幼く見える。手を繋いで歩いた頃のように。
「けど、何かを思い出していたんだろう? 一体何を、思い出していたんだ?」
「ふふっ、判りますか?」
「判るさ、それぐらい」
「歳さんと、初めて二人きりで、夜桜を見に行った時を、思い出していたんです」
「夜桜?」
「ほら。それまでは、桜見と言ったら理心流の皆が、総出で出掛けたじゃないですか?」
思い出すように言う総司は、至極嬉しそうだ。
「それなのに、あの時は二人だけで行ったでしょう? 楽しかったなぁ」
総司に言われて、その時のことを思い出しつつ、歳三は黙々と歩いた。


黒谷から、ほぼ真っ直ぐ南に下がってくると、祇園社に至る。
前に相撲興行をした、その北林には桜の大木がある。
それはとても大きく、すばらしい枝振りで、その枝垂れになった枝に、綺麗な花を見事に咲かせていた。
「綺麗ですねぇ」
「ああ……」
その見事な花の盛りに、二人立ち尽くし、感嘆の言葉しか出ない。
昼間は人で賑わうこの場所も、この夜半では誰もいず、二人だけに咲き誇って見せていた。
「お前は、桜が花の中では、一番だったな」
「ええ、そうですよ。一番好きです」
うっとりとした表情で眺める総司に、歳三は苦笑するしかなかったが、続いた言葉に、
「こんな風に、綺麗に咲いて。そして、見事に散りたい」
縁起でもない事を言うと、眉を顰めた。
それを知ってか知らずか、総司は枝垂桜を凝視したままで。
そうして、言葉もなく立ち尽くしていた二人だったが、
「ねぇ、歳さん。今日はこの近くに泊まりましょうよ」
と、総司は歳三のしなやかな指に、自分の指を絡めつつ、その耳元に囁いた。
「泊まる?」
いくら遅くなったとはいえ、ここから屯所までは帰れないほど遠い距離ではない。
夜道は昨今の京の情勢からすれば危険だとしても、総司と歳三の二人である、たとえ浪士どもに襲われても、苦になる筈はない。
それを訝しんで、怪訝な表情を総司に向ければ、総司は歳三の束ねられた髪を掬い取った。
「ええ、明日の朝、歳さんと二人きりで、朝酒を飲みながら、この桜をまた見たい」
ねぇ、と口付けをしながら総司が強請れば、歳三の耳が桜色にほんのりと染まり、思わず頷いてしまった歳三だった。
わはは、二人で迎える朝の風景と、それまでの夜は皆様の豊かな想像力で補ってくださいね。



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