花見酒
総司が歳三と、夜桜を見に二人だけで初めて出掛けたのは、総司の元服する一年前ことだった。
桜見といえば、手作りの弁当を持って、いつも試衛館の皆で行くのが、慣わしの様になっていた。
なのに、その時は佐藤家に出稽古に来ていた所為もあって、夜二人で屋敷を抜け出し、夜桜見物と洒落込んだのだ。
この頃、既に宗次郎への想いが、ただ弟のように可愛いという想いでないと自覚していた歳三は、歯止めを掛けなければとの思いから、宗次郎に対して、距離を置くように努めていた。
だから最初は、宗次郎の夜桜見物の誘いを断っていたのだが、どうしてもと言う宗次郎に絆されて、付き合ってしまった。
結局、惚れた弱味というか、歳三はとことん宗次郎には甘かった。
宗次郎と夜二人っきりというのは、素面では理性が持ちそうになく、歳三は余り好きでない酒を、後生大事に抱えていった。
赴いた先は、いつもの日野で桜見をするところとは別の、寺の境内だった。
桜咲く春とはいえ、夜ともなれば冷えることもある。
だから、寒さの凌げるお堂のある場所にしたのだった。
提灯一つを目印に、寺へと向かって行った。
どんなにゆっくりと歩んでも、やがて寺へと辿り着き、境内の前に植わる桜の木々の間を、二人縫うように歩いた。
「うっわ〜、月に映えて、綺麗だなぁ。ねぇ、歳さん?」
月明かりが、桜の色を綺麗に染め上げていて、宗次郎は小さい子供のように、はしゃいだ声をあげた。
「ああ、そうだな」
「来て良かった! こんなに綺麗なんだもの」
時々提灯を近づけて見ると、その花の色が変わって見えて、とても綺麗だった。
また時折り立ち止まって真上を見上げては、感嘆の声を漏らしつつ、一通り桜の間を歩きてから、二人はお堂へと歩いていった。
今度は、少しばかり遠くから、眺めようという趣向だ。


冷えてはいけないと、持ってきた敷物を、お堂の縁に敷いて、その上に寄り添うように座った。
遠くから見る桜は、近くで見た桜とまた趣が違っていて、風情がある。
今の桜は、まだ咲き初めで、七分といったところ。
気まぐれな風に、はらはらと二三弁の花びらが、耐え切れず落ちていくぐらいだった。
しかし、宗次郎は本来、散り初めの桜が大好きだった。
風に吹かれて、ざぁっと、吹雪のように舞う桜が大のお気に入りだったので、ほんの少し残念に思っていたが、明日には試衛館に帰らねばならず、仕方が無いと自分に言い聞かせていた。
歳三と二人だけで、夜桜を見るだけでも幸せだと。
横に座って酒を飲む歳三を、宗次郎は盗み見るようにしていた。
歳三は桜に合わせたかのような薄墨色の着物姿で、宗次郎の目に夜とはいえ眩しかった。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯と、煌々と照る月の光が、その姿を一層引き立てていた。
宗次郎が歳三への想いを自覚したのは、いつだったろうか。
自分の歳三への大好きだという感情が、異性に抱く感情と同じだと知ったのは。
それは、それほど前のことでもなく、いや随分前からのようでもあり。
自分の歳三への想いは、聡い歳三のことだ、きっとばれているだろうと思う。
いや、歳三の想いも同じだと、宗次郎は思っていた。
ただ、歳三にはこの二人の想いは、禁忌だという思いがあり、宗次郎と距離を置こうとしているのが感じられ、元服もせずにいて、まだまだ大人になりきれぬ宗次郎には、それが歯痒かった。
今日、歳三を誘ったのも、少しでも二人の間を、昔の無邪気な頃のように、戻したかったからだ。
もっとも、歳三は酔いつぶれるに限る、とばかりに酒を煽ってはいるが。
しかし、その酒を煽る喉元にすら、宗次郎の眼は釘付けで、逸らすことは容易ではなかった。
歳三は歳三で、宗次郎の視線を感じつつも、黙殺することに決め、黙々と酒を煽っていた。
が、本来酒に強くない歳三のこと、酒が回りすぎたのだろう、夜桜を見たら屋敷に帰るつもりだったはずが、眠気を催してきて、ついそのまま寝入ってしまった。
じっと、歳三ばかりを眺めているわけにもいかなくて、宗次郎が辺りを見回していたら、肩に掛かる重みがある。
「歳さん?」
訝りつつ横を見ると、酒に酔いつぶれたのか、歳三が宗次郎に凭れ掛かっていた。
「寝たの?」
顔を覗きこんでも、歳三の瞼は閉じられたままで。
宗次郎は大切なものを扱うように、そっとその身を横たえた。
しばらく、その寝顔を見詰めていたが、蝋燭の灯に照らされる端正な顔は、人を射るような目を閉じている分幼く見え、薄く開いている口に、宗次郎は掠め取るような接吻をした。
桜と歳三の寝姿を、交互に見ながら、幸せに浸っていた宗次郎だが、風が出てきたこともあって、肌寒さにぶるりと震えた歳三に、寝入った歳三を起こすのも忍びなく、またそのまま屋敷まで連れ帰れないからと、お堂の中へ運び入れた。
敷物を改めて敷き、その上に歳三を寝かせ、宗次郎も隣に寝転んだ。
風邪をひかないように、一つしかない敷物で、胸元に抱き込んだ歳三と自分を包み、歳三の瞼にひとつ接吻を落とし、宗次郎は目を閉じたのだった。


翌る朝、目覚めた歳三は、宗次郎の腕の中にスッポリと包まれていて、大層驚いた。
その驚愕のまま、がばりと身を起こすと、宗次郎も目覚めて、にっこりと蕩けるような笑みを見せた。
「お早う、歳さん」
その笑顔を見たら、途端にかぁっと顔に血が上ったのが、歳三にわかった。
紅くなっているだろう顔を隠すため、歳三は手近に転がっていた徳利を引っ掴み、残っていた酒を煽った。
「歳さん……」
唖然とする宗次郎を置き去りにする勢いで、歳三は立ち上がり、
「帰るぞっ」
足音も荒々しく、お堂の扉を開け、歳三は出て行った。
その後姿を、宗次郎は呆然と見送ったが、やがて持ってきた荷物を引っ掴み、
「待ってよ、歳さん」
歳三を追い駆けた。
いづれ、その横に並び立つことが出来るようにと。
『呑のもけふの 花見かな』の中で言っていた、二人だけの初めての夜桜です。



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