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歳三はいらいらと爪を噛みながら、自分の部屋の縁側で、胡坐を掻いて座っていた。 絡げた裾から覗く脚は、白く眩しい。その足首を掴み、今か今かと小さな人影が訪れるのを、待っているのだ。 その小さな人影とは、沖田宗次郎のことだ。 宗次郎は歳三と出会ってから数ヶ月、ほぼ毎日同じ時間にやってくる。歳三がその時間には、家にいることを教えたからだが、その宗次郎が、今日はいっこうに現れないのだ。 確かに今までにも、来ない日もあったが、その時には前の日にそう言っていくのが常で、急に来れなくなった時にも、律儀に言伝を寄越していた宗次郎だ。 最初は、今日は少し来るのが遅いなと思っていた歳三だったが、半刻も過ぎた頃には心配に変わり、一刻を過ぎた今では、苛立ちに変わっていた。 道中――それほど遠い道のりではない――何かあったのでは? と、探しに行こうかと何度も思ったが、もし入れ違いになったらと、その浮かしかけた腰を下ろし、夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだ強い日差しの差す縁側で、宗次郎のやってくる垣根を睨んでいた。 青年へと移行する過渡期の危うさを秘め、近在の女性たちから色目を使われることもしばしばで、時には応じてその色をくすねることもあった歳三だが、今はその美貌も台無しの顰めっ面でいた。 菓子などお八つになるものを用意して、宗次郎を待っててやるのが日課になっていたが、今日用意した蒸かし立ての芋も、歳三の傍らのお盆の上で、すっかりと冷え切ってしまっていた。 だが、いくら待っても、その宗次郎が来ない。 歳三はとうとう痺れを切らせ、やはり探しに行くことにした。 いくらなんでも遅すぎる。どこかで何かあったと思うほうが自然だろう。 入れ違いになっても困らぬよう、ここに爺やを置いておいて、自分は宗次郎の家まで一旦行き、そこに宗次郎がいなければ、その間を捜し歩くことにした。 だが、歳三が直接顔を見せれば、宗次郎がいなかったときは、姉のおみつを悪戯に心配させることになるから、そっと様子を伺うことにした。 そんな簡単なことも思いつかなかったほどの、自分のうろたえ振りに歯噛みしつつ、決断を下した歳三の動きは早い。 さっと立ち上がり、母屋へ足を踏み出した途端、後ろでがさごそと音がした。 慌てて歳三が振り返ると、垣根の茂みの間から、ひょっこり顔を覗かせた宗次郎がいた。 「宗次っ!」 歳三の怒声にも臆することなく、宗次郎は全身を現し、にこにこと歳三の方へと駆けてきて、縁側からばっと飛び降りた歳三に跳びついた。 「歳さんっ」 どんっと、勢いよく跳びつかれ、歳三はたたらを踏んだが、それでも小さな宗次郎の体を、しっかりと抱き留めた。 「宗次、一体如何した? 来るのが遅すぎるぞ」 宗次郎の感触を得て、それまでの苛立ちが、すっと解けていくのを感じながらも、心配させた宗次郎を問い質そうと、地面に降ろし腰を屈めた途端、鼻腔を刺激した血の匂いに、歳三は眉を顰めた。 「どこか怪我したのか?」 「えっ?」 「血の匂いがするぞ」 歳三は宗次郎に有無を言わさず、袖や裾を捲くり、体のあちこちを確かめだした。 だが、宗次郎の体には、傷一つない。 しかし、確かに宗次郎からは、ほんの僅かだが、血の匂いがするのだ。今まで喧嘩に明け暮れていた歳三だから、気づくほど微かだが。 「怪我してないのか?」 「うん」 歳三のなすがままにじっとしていた宗次郎だったが、歳三に心配をかけたのが分かったのか、小さく頷くと、あのね、と話し出した。 宗次郎はいつもどおりの時間に、家を出て歳三の元へと向かっていた。 姉みつは、歳三の元へと宗次郎が、毎日といってよいほど通うように行くのが、気に入らないらしかったが、歳三が大好きな宗次郎は気にもしなかった。 そして、宗次郎には歳三にも、打ち明けていない秘密が一つあった。 それは、歳三の元へ行く途中、必ずある一箇所に立ち寄り、少しばかりの時間、寄り道することだった。 その場所とは、宗次郎と歳三の家の中ほどから、少し外れた稲荷だった。 こんもりとした木々に囲まれた古びた社で、人影も滅多になく、忘れられたような稲荷だった。 何故宗次郎が、そこに行くかと言うと、そこで、ちょこんと宗次郎を待っている影があったからだ。 その影は、真っ白い姿の子狐だった。 宗次郎と子狐の出会いは、数ヶ月前に遡る。 初めて母の出である石田村に来たが、江戸で生まれた宗次郎には、何もかもが新鮮で。 着いたその日には家の片付けなどもあり、姉たちに相手をして貰えず、さりとて幼い宗次郎には手伝うことも出来ず。 外で遊んできなさいと言われて、家の周りを探検していたときに、稲荷を見つけて興味津々で近づいていった。 社の前で、ぱんぱんと、手を叩きお願い事をしていた宗次郎だったが、怖いもの知らずなのだろう、何か興味を持った宗次郎は、社の縁の下に潜り、そこで子狐と出会ったのだ。 宗次郎もびっくりしたが、子狐の方もびっくりしたのだろう、全く動く気配も見せず固まったままで。 それでも、先に我に返った宗次郎が、にっこりと微笑み手を差し伸ばすと、子狐は恐れ気もなく、くんっと鼻を一鳴らしし、宗次郎の手を嗅いだ。 しばらく、くんくんと嗅いでいたが、やがて害意がないと分かったのか、ぺろぺろと宗次郎の手のひらを舐めだした。くすぐったかったが、宗次郎は子狐の好きにさせていた。 やがて、子狐がくるりと向きを変え、歩き出したので、宗次郎もその後を追っていくと、宗次郎が入ったのとは違う所から、表へと出た。 きょろきょろと辺りを見回す宗次郎の足元に、先に外へ出ていた子狐が座っていた。それに気付いた宗次郎が手を伸ばして撫ぜた。子狐も大人しく、宗次郎に撫でられたままだ。 だが、それだけでは満足できなくなったのか、 「抱いてもい〜い?」 宗次郎は小首を傾げて、子狐に問うと、人の言葉が分かるのか、子狐は嫌がるでもなく、宗次郎に抱きかかえられた。 「可愛い〜」 宗次郎が頬を摺り寄せても、全く逃げもしない。野生のはずの子狐には、珍しいことだった。 しかし、そんなことには無頓着な宗次郎は、その場に座り込み膝の上に、子狐を抱えた。 真っ白い姿が、薄暗い縁の下で浮かび上がっていたのが、綺麗だったが、こうして日の光の下で見る白い姿も大層綺麗で、宗次郎は目を奪われた。しかも、紅い眼がきらきらと煌いていて、宝石のようだった。 そうして、一人と一匹は仲良くなった。 |
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