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その子狐が、今日怪我をしていたのだと言う。 だから、その手当てをしていて、遅くなったのだと。 家に戻り、姉たちの目を盗み、怪我の手当てをするために必要な手拭などを持ち出して、子狐の血が完全に止まり、安心して気が静まるまで、傍についててやったのだと。 宗次郎の説明を聞き終え、歳三はほっと一息吐いた。 心配したが、宗次郎に何もなくて何よりである。 しかし、宗次郎にそんな小さな友達がいたとは、歳三には初耳だった。それが何かむかつく気がした歳三だった。 「でね、歳さん」 宗次郎は歳三の袖を、くいくいと引き歳三の意識を戻した。 「何だ?」 どこか憮然としたまま歳三が問い掛けると、 「うん。あのね、傷によく効くお薬なぁい?」 舌っ足らずな声で、宗次郎が聞いてきた。 「薬?」 「うん。椿に付けるの」 「椿? 狐の名前か?」 狐につけるにしては、えらく雅な名だと歳三は思った。 「そうだよ。毛は真っ白で、目が真っ赤なの、椿は。椿もそうでしょう? だから、椿って付けたの」 宗次郎は、椿の花も白と赤の花があり、子狐も同じ色だったから、そう名付けたと言いたいようだ。 「そうか。いい名だな」 宗次郎の頭を、ぐりぐりと撫でて褒めてやると、宗次郎はそれはそれは嬉しそうに笑った。 「ちょっと、待ってろ」 裸足のままだった歳三は土を払い、歳三は縁側から部屋へと上がり、家で商っている石田散薬を探した。 もちろん石田散薬は人用だが、量を加減すれば狐でも効くだろうとの歳三の判断である。 怪我をしたと言っても、切り傷ばかりではないだろうから。それから、当然切り傷に効く膏薬も取り出した。 喧嘩が絶えない歳三には必需品であった。 歳三に続いて、きちんと草履を脱ぎ揃え、上がってきた宗次郎は、その様子をじっと見守っていた。 歳三はそれらを、隠してあった酒と共に、手早く手拭に包み、大人しく待っていた宗次郎を振り返った。 冷えてしまった芋を、もう一度暖めて貰い、それを頬張りながら、歳三と宗次郎は手を繋ぎ、屋敷を出た。歳三のもう片方の手には、もちろん薬がある。 鬼足といわれた歳三が、幼い宗次郎の歩調合せて、てくてくと歩いていく姿は、屋敷の者の微笑を誘った。 宗次郎と一緒に稲荷の社の前まで来た歳三だったが、ふと自分がいたのでは狐が出てこないのではと思い至った。そう、宗次郎に問うと、 「なぁぜ?」 宗次郎は不思議そうな顔で、歳三を見上げた。宗次郎には、歳三がいて狐が出てこないという発想が、全くないようだった。 「…………」 狐などは、人馴れしないものだ。それが懐いたのは、宗次郎だからだろう。 だから、歳三には警戒してしまい、出てこない可能性のほうが高いと思ったのだが、どう言えば宗次郎が納得するか考えている間に、宗次郎は狐の名を呼んだ。 仕方がなく、歳三も狐がいるという社の縁の下を、宗次郎と共に覗き込んだ。 すると、しばらくして、暗い縁の下から、白い塊が出てきた。 白い狐と聞いてはいても、歳三はあんまり信じていなかった。 いや、宗次郎が嘘を吐く筈はないと思ってはいたが、有り得ないと思っていたのだ。宗次郎が見間違っているのでは? と。 だが、こうして目の前で見てみると、怪我をしていて少し薄汚れているが、本当に頭の先から尻尾の先まで真っ白で、両目だけが真っ赤だった。 この稲荷のお使い狐は、白狐だと語り伝えられてはいても、これまで実際に見たという話を聞いたことがないから、御伽噺の一種だと思っていた。 十数年、ここに暮らしている歳三でさえ、見たことがないものを、越してきたばかりの宗次郎が見たのは、一体何の巡り合わせか。 出てきた狐は、宗次郎の傍らにいる歳三を警戒することなく、宗次郎に抱えられて大人しくしている。 「歳さん?」 宗次郎の黒い目と、狐の紅い目に見つめられて、歳三はここへやってきた目的を思い出した。 「そこへ、座れ」 野犬にでもやられたのだろう傷が、小さな体に痛々しかった。 色が白いだけに、それもすごく目立つのだ。 宗次郎に抱えられたまま、狐はじっと大人しく歳三に触れられていた。 歳三は宗次郎が巻いた手拭を解き、酒を消毒のために拭きかけ、小さく切った膏薬を貼って、再び新しいもので巻き直してやる。 怪我の手当てをしながら、ここまで人馴れしている狐も珍しい、と思ったが、きっと宗次郎が歳三を信頼しているのが、伝わっているのだろう。 でなければ、初対面でこんなに馴れるわけがない。 少量の石田散薬を酒に混ぜ、飲んでみろ、と言う風に差し出すと、狐は匂いを嗅いで、宗次郎と歳三を交互に見比べていたが、 「飲んでごらん。お薬だよ」 宗次郎は狐を降ろし、安心させるように頭を撫でた。宗次郎の言葉が分かったのか、狐はぺろぺろと全部舐めてしまった。 それから、宗次郎を振り返り見上げ、尻尾をふりふり振ると、 「良い子だねぇ」 宗次郎はぴんと立っている大きな狐の耳を触った。気持ちよいのか、狐の尻尾は更に盛大に振られ、歳三は犬みたいだな、と思った。 毛並みが気持ち良いのだろう、宗次郎はふさふさの尻尾を何度も梳くように撫ぜながら、懐に入れておいた芋を一つ差し出した。 「お食べ」 腹が空いていたのだろう狐は、尻尾を宗次郎に任せたまま、一心に食べ始めた。 その一人と一匹の微笑ましい様を見ながら、 「そういえば、宗次」 「はい?」 「お前、ここで何をお願いしたんだ?」 この薄暈けた稲荷で、何を祈ろうと言う気になるのだろう、と歳三は聞いてみた。 第一、稲荷は商売繁盛の神だ。もっとも、子供にはそんなことは係わりなく、ただの願い事をする神様だろうが。 「お願い事?」 「内緒か?」 「ううん。あのね」 そう言って、宗次郎が歳三の耳に囁いたことは。 『ず〜っと仲良くしてくれる人をください、って。そしたら、歳さんに会えたの』 |
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