桜雲
夕刻の稽古までの間に、宗次郎をみつに会わせる為、歳三は宗次郎と共に家を出た。
この時間からなら、みつの元でゆっくりしても、だいぶ時間が取れることだろうからと、歳三は少し回り道をしていくことにした。
佐藤家の馬・蒼影の背に二人揺られて、ぽかぽか陽気の中を歩んでいく。
蒼影(あおかげ)とは、宗次郎が名づけた名だ。
土方家に居る月白(つきしろ)とは、兄弟馬である。
月白は、額に白い星の模様があるが、蒼影にはそれすらなく真っ黒である。
全身真っ黒の青毛の馬だったから、蒼影と宗次郎は名づけたようだ。
蒼影が生まれてから、宗次郎が試衛館に内弟子に入り日野を離れるまで、ずっと宗次郎が世話をしてきた。
もっとも、歳三の手助けは、大いにあったが。
だから、蒼影の宗次郎に対する懐き様は、尋常ではない。
宗次郎が世話をしていた間、蒼影は宗次郎のことをよく聞く、凄く大人しい馬だった。
宗次郎以外が触れることを、嫌がることはあったにせよ。
ところが、宗次郎が居なくなってから、蒼影はその姿に似合う駻馬振りを発揮した。
小屋に繋いでいても、いつの間にか抜け出したり、その時に柵などをぶち壊したことも度々である。
餌を与えてもそっぽを向いて満足に食べなくて、宗次郎が与えなければ食べないといわんばかりにである。
また、手入れをしてやろうとしても、嫌がって触れさせなかったり。一度などは、歳三を後ろ足で蹴飛ばそうとしたほどだ。
宗次郎は動物に懐かれる性質だが、この駻馬を手懐けていたことを、本当に凄いと感心してしまった。
兎にも角にも、このままでは埒が明かぬと、歳三は蒼影に言い聞かせた。
「宗次郎が帰って来た時、薄汚れた姿で会うのか?」
「痩せ細っていたら、宗次郎が悲しむぞ。それより、喰わなきゃ宗次郎とも二度と会えないよなぁ」
「我侭ばっかりしてると、本当に宗次郎に嫌われるぞ」
などなど。
馬に分かるとも思えなかったが、そういう風に言っているうち、渋々ではあるが蒼影も妥協し始めて、今日に至るというわけだ。
だから、今日半年振りに宗次郎に会った蒼影の喜びようは凄まじく、宗次郎に突進していきそうな勢いだった。
「いい子にしてた?」
宗次郎に優しく鼻面を撫でられて、蒼影はそれはそれは可愛らしく、宗次郎に擦り寄っていた。
その様を見ながら、宗次郎が居なくなった当初の、我侭な駻馬振りを暴露したくなった、歳三だったがぐっと堪えていた。


そういった経緯を経て、歳三と宗次郎の二人は、多摩川の支流の土手に向かった。
ここは、稽古を終えたら、皆揃って夜桜見物に、酒を持って来る予定なのだが、昼間の風情を見せておこうと思ったのだ。
ちょうど今が盛りと、咲き乱れる一面の桜である。
「うっわ〜! すご〜〜い」
蒼影の背で、前方に見える桜に、宗次郎は感嘆の声をあげた。
早く早く、と急かす宗次郎に、歳三は手綱を操った。
桜の下に辿り着き、あたりを見渡せば、そこはまるで雲のように桜が見えた。
暫く馬上で、手を伸ばせばすぐに届く桜の枝振りを眺めていたが、やがて歳三はひらりと降り立ち、宗次郎を降ろしてやった。
「宗次は、桜が好きだな」
「うん! 大好き」
桜の幹に蒼影を繋ぎながら、宗次郎に笑い掛けると、宗次郎の元気の良い返事が返ってくる。
「歳さんは、桜より梅の方が、好きなんだよね」
「ああ」
歳三は、梅が花の中で一番好きだった。凛とした風情で、花香るところがお気に入りだった。
梅を題材にした句を詠んだりしてるのを、宗次郎は知っているのだ。
だから、歳三が何よりも梅の花が好きだと、知っているのである。
だが、宗次郎が桜を好きな理由を知らないことに、歳三が気付きそれを問い掛けると、
「お前はどうして、桜が好きなんだ?」
「こうやって、はらはらと、花びらが散る花が、好きなの」
上から舞い落ちる花びらを、宗次郎は見上げて、受け止めるように手を差し出した。
「はらはら、と?」
「うん。雪みたいで、綺麗でしょう?」
宗次郎は、くるくると、楽しそうに独楽のように回った。
確かに宗次郎は、雪が大好きである。
しかも、積もった雪ではなく、空から降っている雪が大好きだ。
飽きることなく眺めていたり、すぐに風邪をひくくせに、降ってくる雪の下で、遊びまわったりする。
では、花びらが散る花なら好きなら、
「じゃ、雪柳とかも好きか?」
と、歳三が聞くと、
「雪柳? あの白い花の?」
宗次郎は花を思い浮かべているのだろう、首を傾げつつ、歳三を振り仰いだ。
「ああ」
「うん、好きだよ」
にっこりと、極上の笑顔を見せて、宗次郎は歳三の腰に抱きついた。
宗次郎が言ったのは、雪柳のことだろうが、抱きつきながら言われて、思わず自分に対して言われた様な錯覚に、歳三は陥ってしまった。
それを振り払うように、ふるふると歳三が頭を振れば、歳三の髪に縫い止められていた花びらが、宗次郎の元へ落ちてきた。
その一片を、宗次郎は口を開き、ぱくっと食べてしまった。
「美味いか?」
まさか食べるとは思わず、あっけに取られながらも、歳三は聞いた。
「うん、美味しいよ」
にこっと笑って、宗次郎は歳三から離れ、舞い落ちる花びらを掴まえだした。
時折強く吹く風が、花びらを舞い散らせて行く。
そのはらはらと、不規則に落ちる花びらを、宗次郎は器用に捉まえていくのだ。
風に舞う花びらを掴まえるなど、至難の業だろうに、それをいとも容易くやってのける宗次郎に、歳三は眼を見張り、言葉も出なかった。
剣の才はあるだろうと、歳三も思っていたが、こういうところにも、その非凡な才は発揮されるとは、驚き以外の何者でもなかった。
「どうするんだ? 花びらをそんなに集めて」
宗次郎が袂に集めているのを、漸う、歳三が問えば、
「これ? 姉上にお土産。こんなに綺麗だから、見せてあげようと思って」
春の日差しに負けぬ笑顔で、宗次郎は答えた。
「喜んでくれるかな?」
宗次郎のその曇りない笑顔だけで、みつは喜ぶだろうと歳三は思ったが、
「ああ、きっとな」
肯定してやると、宗次郎は嬉しそうに笑い、もっと集めようと、手を伸ばした。
霞みかかるかのような花びらの舞う中、髪を揺らして生き生きと走り回る宗次郎と、草を食んでいる黒い蒼影に、はらはらと薄紅色の花が降り掛かる様は、とても幻想的だった。
しかし、歳三も含めたその姿が、遠くから見掛けた人間の目に、一幅の絵のように映ったのを、歳三は知らない。



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