毒を喰らわば

(壱)

「はぁ〜〜」
島田の盛大な溜息に、一緒に飲んでた永倉はつい聞き返してしまった。
「どうした、力さん」
『力さん』というのは島田の渾名である。
島田のその巨体から、相撲取りを彷彿とさせ『力士』が転じて、『力さん』となったわけである。
それはともかく、永倉は島田の盛大な溜息の訳を聞いた。
それを後悔する事になるとも知らずに。
いや、後悔することになったのは永倉か、それとも島田か。
「はぁ……。いや、永倉さん。今局長が心を痛めておられることを、ご存知ですか?」
心当たりは大いにあった――近藤が郷里に宛てた手紙に書かれていたことだろう――が、永倉はすっとぼけた。
「さぁ? 知らんなぁ」
しかし、島田は悩みを打ち明けたかったのだろう。
永倉は昔からの知己であったし、良い相談相手が見つかったとばかり、遠慮なく話し出した。
それだけ親しい間柄で、なおかつ信頼の置ける相手である、と言うことだろうが。
「男色ですよ」
大男が身を小さくして、小声で囁くように言うさまは、端から見れば笑いを誘うが、島田は大真面目だった。
「…………」
思ったとおりの話の展開に、永倉は内心溜息ものだ。
「近頃、隊内で流行ってるようで……」
辺りを憚るように、きょろきょろ見回して言うのだが、それが一層挙動不審に見えることを、話の内容に耳を塞いで永倉は教えるべきどうか迷った。
が、島田は永倉のそんな心情を知らずに話し続ける。
「で、なんと言うか。二、三心当たりを探ってみたんだが、どうも大元の原因があるようで……」
「大元? 武田あたりじゃないのか?」
副長助勤の武田観柳斎は、前々からそういう嗜好が噂されている男である。
原田が名付けたとも言う美男五人衆を、追い掛け回しているとも陰で言われる男だ。
「いや、違うようだ。あの男への好みは分かれるから、そうじゃないみたいだ」
武田の性格からして、その影響に染まる人間は少ないと、島田は言う。
その上で、心当たりがないかと、訊ねる島田に、
「力さん、あんたがそれを調べるのは、監察の仕事かい?」
永倉は問うた。
島田は今、監察の仕事に携わっている。
浪士の動向から、隊内の状況まで調べるのが、その仕事だ。
「いや。個人的なものだ。局長の気鬱の種を、少しでも取り除けたらと」
だが、島田は違うという。
「それなら、でしゃばらずに放っておくほうがいい」
と、土方からの指示がないなら動くなと、永倉は言った。
「しかし……」
島田が食い下がろうとすると、先手を打つように永倉は話しかけた。
「土方さんは、当然この件は知ってるだろう?」
「ああ、ご存知だ」
隊内のことで、土方の耳に入らぬことなど、皆無に等しい。
たとえ近藤に耳に入らずとも、だ。
「が、何も言わねぇだろ」
「ああ、何も言わない」
それも、不可解に感じていた島田だった。
隊内の規律に厳しい土方にあるまじきことで、いつもなら噂の根元を押さえるべく、土方は監察に指図するはずのことだからだ。
「だから、さ。あの土方さんが何も言わないんだ。言えねぇ相手だと言うこった」
「は?」
「つまりは、だ。知れても近藤の気鬱を取り除けない人間なんだ、ということさ」
それどころか増やすかもしんねぇ、と永倉は呟いた。
「知ってるのか?」
と、島田が恐る恐る永倉を窺えば、永倉は無言のままだったが、それが何よりの肯定で。
永倉の言葉からそれが誰か推し量ろうと、島田の頭が目まぐるしく回転をして、一つの結論が出るのにそんなに時間はかからなかった。
それを恐る恐る、
「試衛館以来の誰かか?」
と口に出せば、永倉は笑い飛ばした。
「馬鹿。単にそれだったら、土方さんが気に掛けるもんか」
島田の混乱が手に取るように分かる永倉は、駄目だしとばかりに言ってやった。
「では、いったい……」
事実を知った俺だけが悶々としているのは性にあわぬ、首を突っ込んできたお前も同罪とばかりに。
「近藤さんはこの件には、頭を悩ませてるご当人だから外す。源さんは論外だろ。俺たちなんか視野にも入ってねぇ。となりゃ、土方さんが気に掛ける人間なんざ、たった一人しか残んねぇよ」
試衛館の仲間というだけではなくて、土方が気に掛ける相手となったら、もっと狭く天然理心流の人間と言うことだろうか。
そうなると、天然理心流の流派を修めているのは、近藤・土方・井上・沖田の四名のみ。
その中で永倉が外した人間を、外すと残るのは。
「まさか、沖……」
さすがに、名前を言うには憚りがあったと見え、島田は口を大きな自分の両手で塞いだ。
「その、まさか、さ」
「な、な、なんで……」
島田が大仰に驚くのも無理はない。
それほど、沖田にはそぐわないと言うことだろう。
「相手は、いったい?」
それでも好奇心が勝ったのか、島田は永倉に問い掛けた。
「斎藤さ」
「斎藤先生?」
思いもかけない名前だったのだろうか、島田は呆けたように大きな口を開けてしまった。
「あの、なんで永倉さんは、それを知ってる?」
監察である島田が知らぬことを、永倉が知っていると言うのは、甚く島田の自尊心を傷つけたらしい。
衝撃も忘れ、身を乗り出して聞いてきた。
「そりゃ、見たからさ」
そんな島田を横目に見て、永倉は煙管を吸いつつ嘯いた。
「見た?」
島田の問い掛けに語りだした永倉の話は、こうだ。






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