悋火

(壱)

どうにもこうにも、斎藤は近頃もやもやとしたものを抱えていた。
それというのも、沖田は妓に良くもてる。
島原や祗園に行くと、沖田の周りには妓がよく寄って来るのだ。
愛嬌があり親しみやすく、人斬りを思わせない清々しさが良いらしい。
また沖田の稚気めいた仕草が、妓の母性本能をも擽るらしい。
しかも、それが新撰組の一番隊長だということで、それを一層刺激されるらしかった。
そんなこんなで、沖田の周りには局長や副長にも劣らず、妓がひっきりなしに群がる羽目となる。
斎藤の席は、そんな沖田の横と決まっているから、腹立たしくとも横目で見遣るしかなく、その不機嫌さから黙々と一人手酌で酒を煽ることになる。
見るからに機嫌の悪そうな斎藤に、近付く妓などそう居るものではなかったから。

今日も今日とて、沖田の席には入れ替わり立ち代り、妓たちが酌としてゆく。
そして、当然のことながら、一夜の約束を取り付けようとしのぎを削っていた。
それをのらりくらりと交わしながら、沖田は妓の相手をこなしていく。
沖田の妓の好みは斎藤には分からないが、毎度雰囲気の異なる妓たちが、その相手を務めるようだった。
ただし滅多なことでは、沖田は妓と一夜を共にしなかったが。
「沖田はんは、いけずやわ〜」
「そうかな? でも、だったら向こうへお行きよ」
ちょっと冷たい素振りで沖田は言うが、にこやかな顔で明るく言うため棘を感じさせず、妓はちょっと拗ねたような風情を見せただけで、沖田の傍から離れない。
「そんなこと、言わんといて。憎らしいわぁ」
妓は沖田の手の甲を、そっと抓った。
「いてっ」
今沖田に逆上せ上がっている天神は、澄佳という名らしい。
小柄で沖田の腕の中にすっぽりと納まってしまうような妓だ。
傍にやって来る他の妓たちを牽制して、座敷に入ってきた時から沖田の傍を離れなかった。

そうこうするうちに場は進み、宴も終盤になってきた。
それぞれが、敵娼と決めた妓と閨を共にしようと、出て行きつつあった。
既に近藤の姿はない。斎藤が気付かぬうちに出て行ったらしい。
人の気配に敏感な斎藤には、珍しいことだった。
それもこれも、隣を気にしないようにと、気を紛らわすためにどんどんと酒を飲んでいた所為だろう。
そんな状態の斎藤が、周りの状況に気が向いたのは、ひとえに隣の空気が動いたからだ。
横を向くと、沖田が妓を伴って立ち上がったところで、妓は嬉しそうに沖田にしな垂れかかっていた。
顔を上げて沖田を見上げれば、視線に気付いたのか沖田は斎藤を見下ろして、ふっと笑いかけ妓の腰に手を回して抱き寄せて出て行った。
残された斎藤の手の中で、盃が悲鳴をあげていた。



数日経って、斎藤が巡察の報告に副長室へ行くと、そこには当然とした風情で沖田が居た。
部屋の主である土方は「入れ」と声を出したが、書き物の途中らしく振り向きもせず、代わりに沖田が「お帰り」と、にこにこ笑顔で、斎藤を出迎えたのだ。
沖田を探すなら、壬生寺か副長室へ行け、と言われるぐらいの入り浸りで、沖田が副長室に居ても誰も気に留めないほどだ。
が、沖田に対するもやもやとしたものが蟠ったままの斎藤には、これも気に入らぬことだった。
どうせ出迎えてくれるのならば、二人の自室で待っていてくれればいいのにと思う。
それというのも、沖田と土方は大層仲がよい。それこそ斎藤の悋気を煽るほどに。
誰にでも副長として一線を画す土方が、沖田にだけは昔のままで甘やかし放題だ。
そうでなければ、副長室に入り浸っているのを許すはずがないと思うし、壬生寺で子供たちと遊ぶことも許すはずがないだろう。

そういった諸々の心情に目を瞑り、斎藤は簡単に報告を告げて出て行こうとした。
「ああ、斎藤待て。悪いが今書きかけのこの書面、戻る時に山南さんに渡してくれ」
傍に居る沖田ではなく、斎藤に使いを頼むあたりが、土方らしいというのだろうか。
「…………。分かりました」
立ち上がろうとしていた腰を仕方なく下ろすと、沖田が勝手知ったるといった風情で、淹れたお茶を斎藤に差し出した。
それに目を落とし、ちらりと沖田を見ると、邪気の欠片もないような、しかし何処となく曲者な笑いを見せていた。
「茶菓子も、いるか?」
「いや、いい」
沖田の横にある色とりどりの京菓子を見て、斎藤は首を横に振った。
酒はうわばみと言っていいほど好きだが、甘いものはとんと苦手だった。
それを良く知っているはずなのに、そんなことを聞いてくる沖田が憎たらしく、憮然とした表情の斎藤に、沖田は屈託なく可笑しそうに声を出して笑った。

そうこうするうちに、筆を置いた土方が書面をくるくると丸めて、こちらに向き直ろうとした時、
「っ!」
微かな声をあげた。
「どうしたの?」
声を聞きとがめた沖田が聞きながら土方を見ると、土方の人差し指から血が流れているのが見えた。
鬼と呼ばれつつある男にも、紅い血が流れているのかと、斎藤がぼんやりと思っていると、
「ああ、紙で切ったんだ」
沖田は合点したように言って、土方の血を流している手を取った。
そして、なんの躊躇いもなく土方の指を口に咥えた。
土方も驚きもせず、沖田に指を委ねたままで、ぴちゃぴちゃと沖田の舌が、土方の指の傷を舐めている音だけが部屋に響く。
斎藤はそんな二人を固まったまま、微動だも出来ずにただ眺めやっていた。
「くすぐったいぞ、総司」
「そう?」
目を細めて土方が言えば、上目遣いで沖田が答えて、ようやく口を離した。
沖田が離した土方の指には一筋傷が走っていたが、血はしっかりと止まっているようだった。
「でも、血は止まったね」
「ああ、そうだな。助かった」
「どう致しまして……」
二人が互いに見遣る眼差しは暖かく、二人の間に流れる情愛をしっかりと映し出していた。
その親密な様子に、斎藤の手が我知らず強く袴を握り締めていた。
土方の手から落ちていた書面が、風にかさと音をたてて、その存在を思い出した土方は、目の前の斎藤の存在もついでのように思い出したらしい。
さきほど沖田と交わした顔ではなく、副長然とした表情で斎藤に書面を手渡した。
「これを、頼む」
「…………」
諾とも言わず、斎藤は書面を受け取ると、すぐに身を翻して部屋を出て行った。
憤懣やるかたない感情を持て余しながら。






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