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(1)江戸バージョン |
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(総司の奴! 総司の奴!!) 湯屋に行った帰りである。 歳三は怒っていた。 一緒に行った総司が、いくら待てども出てこないのだ。 こういうことが、なぜか時々あって、その度に先に出た歳三は、外で総司を待つ羽目になる。 夏はそうでもないのだが、冬ともなれば寒がりの歳三には、辛いものがある。 歳三が怒り心頭に達していたその頃、総司はどうしていたかと言うと。 湯屋で歳三に色目を使ったり、好色な目で見た男たちを、締め上げていた。 もともと、色の白い歳三は、男ばかりの男湯では、その女顔なこともあって、目立ってしまう。 しかも、湯に浸かって桜色に上気した肌は、歳三にはその気はなくとも、男どもの目の毒だ。 この湯屋は、道場の近くであるから、二人一緒に良く来る。 歳三は知るはずもないが、湯屋の馴染みの男たちは、総司と歳三のことを朧気ながら察していて、ちょっかいを掛ける事はないのだが、偶さかここを訪れた男の中には、歳三に要らぬ興味を持つものがいて、総司は気が気ではない。 だから、そんな男たちを総司は、湯屋の番台に座る兄貴の協力を得て、歳三に内緒で締め上げるのだ。 その為には、歳三のいないところでしなければならず、そういうときには総司は協力者の番台の兄貴と、取り留めのない長話をすることにしている。 そうずると、自分以外と仲良さげな総司を見たくないとばかりに、歳三は総司を置いて湯屋を後にする。 で、総司は歳三を外に待たせて、男たちを締め上げると言う寸法だ。 もっとも、あんまり時間をかけると、外でいらいらと怒りながらも、帰ることをせずに待つ歳三の機嫌が悪くなる一方だから、なるべく手早くやるのがコツだ。 しかし、今日は三人ほどいた所為で、随分と時間が掛かってしまった。 そいつらを軽く伸して、後は番台の兄貴に任せ、総司は慌てて外へと飛び出した。 案の定、歳三は怒髪天を衝きながらも、待っていた。 「歳さん!」 名を呼び駆け寄ってくる総司に、歳三はくるりと背を向けて、怒ってるんだぞ、と無言で意思表示をした。 けれど、ぷりぷりと怒っている歳三の後ろから、総司は思いっきり抱きついた。 総司を振り解こうと、歳三は暴れもがくが、総司はがっちりと歳三を抱き竦めて離さない。 歳三が根負けして諦めるまで、辛抱強く待った。 やがて大人しくなった歳三の耳元に、 「ごめんね、待たせて」 口を寄せて囁きながら、冷たく冷えたその形の良い耳を啄ばんだ。 そうすると、歳三の耳は桜色に色付いて、総司の目を楽しませるのだ。 前に回された総司の腕を掴んだ歳三は、 「馬鹿……」 冷えた背に感じる総司の熱が心地よく、今までむしゃくしゃしていた気分が溶けていくようで、凭れかかる様に身を預けた。 「うん。ごめん」 歳三の髪に顔を埋めるようにすると、それは芯から冷え切っていて、総司を罪悪感に苛むと同時に、そうまでして待っていてくれた嬉しさに、顔が綻ぶのを止められなかった。 「冷えちゃったね。折角、湯に浸かったのに……」 「お前が、ぐずぐずしてるから……」 総司を上目遣いに見上げて、歳三が恨み言のように言えば、 「ごめん。でも、後でちゃんと、暖めてあげるから」 と、答える総司の意味深な言葉に、歳三の頬がさっと赤くなった。 ちゅっと、尖った歳三の唇に、総司の唇が合わさって。 「だから、帰ろ?」 総司は歳三の手を取り、二人手を繋いだまま、誰も出掛けておらぬ試衛館へと、家路を急いだ。 |
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