相即不離




歳三は、総司と約束を一つ交わした。
その結果が、今目の前にある。
濃紫の袱紗の上に置かれている物。

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総司と約束を交わしたのは、日野の佐藤家で、あった。
京から負傷した隊士たちを連れ、海路江戸に戻り、総司は療養のために、皆と別れた。
だが、近藤を筆頭に甲府城へと行くことが決まると、いつもあれだけ聞き分けの良かったのが嘘のように駄々を捏ね、一緒に行くと言い出した。
歳三が驚き、その体でどうやって、と言いたくも無い言葉も使い、また宥めてもすかしても、いっこうに聞き入れなかった。
しぶしぶ歳三が折れ、駕籠に載せて、歳三の馬の後ろから、付いて来させた。
途中、懐かしい多摩の地を通るとき、駕籠から時折外を覗く総司の顔が見え、その嬉しそうな表情を見て、総司はただこの景色を見たかったのではないかと、歳三は思った。
佐藤家に着き、皆と旧交を温めあった後、やはり無理だったのだろう、総司は熱を出して床に就いた。
未だ近藤と天然理心流の関係者で盛り上がっている場を、そっと辞し、歳三は盥を手にして、一人部屋に残した総司の元へと向かった。
起こさぬようにと障子を開け、部屋の中に滑り込んだ歳三だったが、枕元に座ると、総司はうっすらと目を開けた。
「歳さん……」
歳三を見上げた総司の瞳が、熱に潤んでいる。
総司の額の手拭を取り上げ、持ってきた盥に入れた冷たい水で絞り直し、載せてやる。
色が抜け落ち青白くなっていた顔が、熱で上気し、少し早い呼吸が辛そうだ。
「ゆっくり寝ろ。ただし、明日は此処に残れ」
そう言われるのを、総司は当然と受け止め、
「ええ、そうします。無理言って済みませんでした」
素直に答えた。
「でも、此処へ、来れて良かった。もう一度、此処の景色が見たかったんです」
にっこりと、春の陽射しのような笑顔を見せた。
歳三が此処へくるまでの道中で感じた通り、やはり総司は甲府へではなく、その途中必ず通り、立ち寄ることになる此処へと来たかったのだ。
「馬鹿。いつでも見に来れるだろうが……」
多分、総司の病状から言って、もう二度と此処へは来れないことを知りながら、歳三は言葉を紡いだ。
「そうですね」
少し寂しげな顔で総司は、相槌を打った。
その表情を見て、いつまでも総司の現状を受け入れられない自分が、歳三は恨めしかった。
総司には、既に死に対する覚悟が、根付いているというのに。
いたたまれずに、今日は久し振りに同じ部屋で共に寝ようと、隣に敷かせてあった布団へ歳三が入ろうとすると、総司が呼びかけた。
「歳さん」
総司は、公私の区別をつけて、人前では土方さんと呼び、二人だけになると歳さんと呼んでいた。
「ん? 何だ?」
布団を捲った手を止め、歳三は総司を振り返った。
「好きです」
総司の真摯な目に、歳三は身動き一つ出来なくなった。
総司の言う、好きと言う言葉は、今までにも幾度と無く聞いてきたはずだ。
それに対し、歳三はいつも他愛無く、俺もだ、と答えていた。
だが、今言われた言葉は、その意味合いが全く違うと、歳三は本能的に悟った。
「好きです、歳さん。貴方だけが、私の大事な人でした」
だから、私は貴方の傍を離れたくなかったのだ、と。
例え、どんなに療養を勧められても、新撰組を離れられなかったのだ、と。
総司は言った。
その声音に、かろうじて、総司、とだけ、歳三は呟くことが出来た。
総司の告白に一切の嫌悪感は、歳三には無かった。むしろそれが当たり前のように胸に響いた。
その歳三の心情を、総司は察したのか、
「ねえ、最後に一つだけお願いがあります」
子供っぽい言い方で、強請った。
最後、という言葉に歳三の体は、無意識に震えたが、
「何だ? 言ってみろ」
先ほどの真摯な目元を僅かに和らげた総司に、歳三は少し己を取り戻した。
「歳さん、私が病気になってから、いつも言ってたよね。『いつ命を落とすかは、一切分からん。お前よりも、俺の方が先にくたばるかも知れんぞ』って」
確かに、歳三は何度か、そう言った覚えがある。
新撰組は、過激な尊皇攘夷派の捕縛が任務だったが、連中は素直に言うことを聞くことなどないから、どうしても斬り合うことが多くなってしまい。しかも、その副長ともなれば、恨みを一身に買って、いつ襲われるとも限らなかった。そして、今度の戦だ。病の総司より、健康な歳三の方が先に逝くことも、十分有り得る話だった。
「これから、戦に行くのにこんなことを言うのは、験が悪いかもしれないけど……」
そこで言い淀んだ総司に、歳三は先を促した。
「もし、歳さんが先に死んだら、歳さんの骨を私に下さい」
一瞬、何を言われたか、歳三は分からず、思わず聞き返した。
「骨?」
「ええ、歳さんの骨を下さい」
「如何するんだ。それを」
「食べるんです」
総司の言葉に、歳三は絶句するしかなかった。
「私は、歳さんの傍にいられて幸せでした。でも、本当はずっと歳さんと一つになりたかった」
総司の自分を見詰める目の中に、雄の色を湛えているのを認めて、歳三は背筋がぞくり、と震えた。
「だから、歳さんが先に死んだら、私に骨を下さい」
せめて骨を食べて、一つに融けあいたいのだ、と総司の目が語っていた。
歳三は目を瞑り一つ大きく溜息をついてから、開けた目を総司の目に絡ませた。
「分かった。俺が先に死んだら、どんな事をしてでも、お前に骨を届けてやる」
これから先にあるのは、斬り合いでは無く、戦の場である。そこで死んだ者の骨を届けるということが、いかに大変かということを知っていながら、歳三は約束してやった。
「その代わり、お前が先に死んだら、お前の骨を俺に届けろ」
総司の目が輝きに、見開かれた。
「食べてくれるの?」
歳三の言葉は、歳三も総司を望んだという証だった。
「ああ、食べてやる。その代わり、必ず届けろ。いいな」
約定の代わりだとばかりに歳三は、最初で最後の総司の熱い口を吸った。

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その約束の品を、ここ会津へと持って来たのは、京で懇意になった鴻池から暖簾分けした大和屋の主だった。
江戸を離れる間際、一人残すことになる総司を危惧し、大和屋に総司の事をよくよく頼んでいた歳三であったのだ。
その大和屋の主が、宇都宮で怪我をした土方を、湯治している宿屋に見舞い、一頻り歓談した後、辞去する間際になって、
「沖田様からのお託物どす」
黒漆に螺鈿細工の掌に載る位の小箱を、差し出した。
「必ず、土方様に直接お渡しするように、とご以前から、言付かって参りましたんどす」
歳三の顔から、瞬く間に血の気が引き、先程まで談笑していた雰囲気は微塵と消えた。
その顔色を痛ましげに見遣りながら、大和屋は、
「後で見ておくれやす」
そう言い、置いていった。
出て行く大和屋の背を見送りもせず、歳三は小箱から目を離せなかった。
どれほどの時が経っただろうか。まだ、明るかった空も夕闇に包まれ始めた頃。
小箱を凝視していた歳三は、やがて、震えそうになる手を叱咤し、小箱の蓋を開けた。
中には、濃紫の袱紗があり、それをゆっくりと開くと、白っぽい小指ほどの大きさの物が、たった一片。
自分よりは早く逝くと覚悟はしていても、その現実を目の当たりにすると、歳三の心は漣だっていた。
が、歳三の表情は、能面のように感情を削ぎ落とし、いつもにも増して青白く、心の内を覗かせる物は、何も無かった。いや、反ってそれが歳三の心の内を表していたのかもしれない。
そのまま身じろぎもせず、それをじっと見詰めていた歳三は、それに勝るとも劣らぬほどの白い指先で、おもむろにそれを摘み上げ、口に運んだ。
口に含み、その形や感触を確かめるように、舌の上で飴をしゃぶる様に、転がした。味は殆どしない。少し粉っぽい位か。
そのうちに、がりっ、と歯で二つに噛み割った。
そうして、二つに割ったそれを、暫く舌の上で弄んでいたが、更にまた割り、次第に小さく噛み砕き、最後には粉々になったそれを飲み込んでいた。
歳三の白皙といわれるその顔は、いつしか涙に濡れていた。ただ歳三自身は、それすら感じていなかった。
ただ、闇の帳が、歳三の周りを取り巻いていた。







えっと、この話は、私が総司の骨なら食べられる(食べたい)かも、と思ったのが、元です。総司のお墓を訪れたときに、そう思ってしまったのです。自分でもおかしいとは思いますが、今の私のそれが総司に対する心境です。皆様の身を引く様子が目に浮かぶようですが……。
相即不離:互いにきわめて密接に関係していて切り離すことができないこと。



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