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いっぱしの色男だと自負していた歳三が、本当は色恋に疎かったのだと自覚したのは、二十六の夏だった。 十四で女を知り、それ以来何人もの女と枕を交わし、その数は両手では数え切れないほどだ。 顔のよさから女にもてて、不自由をしたことなど、ただ一度もなかった。 ほんの少しにこりと微笑んでやれば、大抵の女はころりと胸元に転がり込んできた。 そんな風だから、肌を重ねた女の顔さえ定かではなくなっていた。 そんな遊び慣れた歳三ではあったが、ふと気がつけば一人の男に囚われていた。 名は、沖田宗次郎。 今歳三が厄介になっている剣術道場・試衛館の門弟だ。 九つ歳の離れた宗次郎は、佐藤家に周助や近藤に連れられて出稽古に来たときなど、歳三に纏わりついて離れなかったものだ。 その様が何故か可愛くて、結構気難しく人の好き嫌いの激しい歳三にしては珍しく、いつも構って遊んでやった。 薬の行商をしていた時分も、江戸へと出て来た時は必ず試衛館に立ち寄っては、一緒に稽古に励んだこともある。 その宗次郎が腕をめきめきと上げ、自分を追い抜かそうかというのにいても堪らず、天然理心流への再入門の許しを請うために、長い間下げずにいた頭を下げ、この弥生から試衛館に住み着いた。 門弟となった歳三は、宗次郎ともう一人井上源三郎と共に、食客の連中とは別に、一つ部屋に住まう身となった。 そして、歳三は気付いたのだ。 宗次郎には宗次郎の世界があることに。 今まで宗次郎と会っているときは、日野でのひと時か、試衛館での短い時間だけだった。 だから、宗次郎の目は、滅多に会えぬ歳三の方だけを、真っ直ぐ見ていた。 しかし一つ屋根の下、生活をするようになると、宗次郎も歳三ばかりを追って一緒にはいられない。 賄いの手伝いや、道場の掃除など、門弟である宗次郎にはすることは山積みされているし、時折り訪れる斎藤や藤堂といった同年輩のものとの付き合いもある。 子供の頃よりべったりと纏わりついて、歳三だけを見ていた筈が、歳三の知らぬ間に世界が大きく広がっていたことに、漸く歳三は気づいてしまった。 気付くと同時に、何か胸にもやもやとしたものが蟠って、歳三は秀麗な眉を寄せていた。 そんな自分の感情を、歳三が次第に持て余しつつあった頃、宗次郎に思いもかけぬことが起こった。 近藤の妻・つねが嫁ぐときに連れて来た遠縁の女が、自害を図ったのだ。 その原因はというと、宗次郎に振られたから、と言うものだった。 行儀見習いと言う名目で見知らぬ家に来て心細かった女は、宗次郎に親切にされたことを勘違いし、宗次郎に対し想いを寄せるようになっていた。 当然そういう色恋に聡い歳三はすぐに気がつき、それは居候どものからかいの種になるほどだったが、恋焦がれた女は想いを胸に秘めるだけでなく、意を決して宗次郎に思いを打ち明けた。 しかし、宗次郎はその告白を、困惑の表情で拒絶した。 あからさまな女の視線に気付いていなかった宗次郎にすれば、女の告白など青天の霹靂でしかなかったのだろう。 今はまだ、剣の修行の妨げになるから、と。 呆然としてその場から動けぬ女を残し、宗次郎が去った後、女は懐剣で喉を突いた。 幸い一命をとりとめはしたが、それを聞いた宗次郎の衝撃は大きく、しばらくは瘧に罹ったかのように、震えが止まらなかった。 その宗次郎を抱きとめ、背を摩り宥めながら、歳三は遅まきながら自分の想いを自覚したのだ。 そう。自分は宗次郎を、恋うていると。 宗次郎の目が歳三だけでなく、他の者を見詰めることに、蟠りを覚え憤っていたのは、他者へと向けさせたくなかった歳三の悋気だということが。 宗次郎の視線も想いも、何もかもを独占したかったのだと、歳三は目からうろこが落ちる思いで、腕の中の宗次郎の背を凝視していた。 そうしながら、宗次郎が幼い頃、怖いときなどにしてやったように、縋りつく背を緩やかに摩ってやっていると、落ち着いてきたのか宗次郎の腕の力が抜けてきた。 それでも、そのまま離すことなく抱き締めてやっていると、宗次郎は歳三に抱きついたまま眠りに落ちた。 歳三の腕の中にいるどこかあどけない宗次郎の寝顔を見つめながら、心底良かったと歳三は思った。 女の情に絆されて、宗次郎が受け入れていれば、宗次郎は二度と歳三の手の届かぬ場所へと行ってしまっただろう。 けれど、こうして歳三の腕の中に、宗次郎はいる。 間に合ったのだ、と歳三は安堵の溜息をついた。 歳三は、恋という物を知らなかったのだ。 大勢の女たちを抱いてきた歳三だったが、それは恋とは別物だった。 離れていこうとも、引き止めようと思ったこともない。 そして、女を抱く手管は覚えても、女の顔など憶えてすらいなかった。 ただ即物的に、欲求を満たしていただけだ。 だが、宗次郎は違う。 宗次郎が自分以外の人間と親しげに話し、笑いかけているのを見ると、むかむかと気分が悪くなったし、無理やりこちらを振り向かせたいと、ずっと思っていた。 その感情がなんなのか、歳三にはずっと分からなかった。 強いて言えば、懐いていた弟が兄離れをするのが、ほんの少し淋しいだけだと思っていたのだ。 けれど、そうでないことを、今初めて歳三は知った。 宗次郎に対する想いは、兄が弟に対して抱くものではない。 もっと欲が深くて、どろどろとしたものだ。 鳥篭や檻にでも閉じ込めて、自分ひとりだけが愛でたいような、そんな想いだ。 が、その想いはどこか甘ったるくて、宗次郎も同じ想いを返してくれれば、至福だと思う。 そのためにはどうすれば良いか。 愛しいと、未だ言葉に出せぬ相手を手中にしながら、歳三は考えを巡らした。 しかし、今まで言い寄ってこられるばかりで、口説いたことのない歳三には、どうしていいか分からない。 どうやって想いを遂げればいいのか、何もかもあやふやで。 歳の離れた可愛い弟分だ、と思い込んでいた感情に、唐突に違う名前が割り振られても、歳三は戸惑うばかりだ。 けれど、この腕の中にいる温かな体は、手放したくない。 愛しいのだ、その総てが。 宗次郎が傷ついたことすら、こうして腕の中にいるためだと思えば、どこか昏い悦びが溢れてしまう。 駆け引きをすることもなく、手に入れたい、その何もかもを。 いずれ手に入れてみせると、 「そうじ……」 腕の中で安らかに眠る宗次郎の唇を、そっと啄ばんだ。 |
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