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土方は、ちょっといじけていた。 その原因は先ほど漏れ聞こえてきた会話だ。 それは、土方が廊下を歩いていて、助勤部屋の横を通り過ぎようとしていたときに聞こえてきた。 助勤部屋は角部屋で、土方の立っている方は障子が閉まっていたが、もう一方の庭に面した方は開け放されていて、声がよく聞こえたのだ。 閉まっていたとしても、地声の大きな原田の声は聞こえてきただろうが。 さて、声からして原田や斎藤など、試衛館からの連中が集まっているらしかった。 その中でも、土方が聞き間違えるはずのない愛しい声に、土方はそのまま通り過ぎれずに立ち止まったのだが。 そのことを後悔することになろうとは、思いもしなかった。 愛しいその声が紡いだ言葉が、土方をとっても傷つけた。 あの場をいたたまれずに、土方は早々に離れて自室に戻ったが、しばらく仕事が手につかなかったほどだ。 浪士の動向を報告に来た山崎に我に返り、ぼんやりしていても埒が明かぬと仕事に無理矢理頭を切り替えた。 それが功を奏したのか、ふと気づくと部屋の中を茜色に染め上げる時刻になっていた。 と同時に、部屋の外に間違えようのない気配を感じ、そちらに顔を向けると、静かに障子が開き総司が入ってきた。 「夕餉まで、まだ時間があるから、ちょっと一服どうですか?」 そう言って、お茶を差し出す総司はにこやかで、後ろめたいことなど何一つなさそうだ。 とても先ほど土方を打ちのめす言葉を発した人間とは思えない。 放っておくと休みもせず根をつめる土方に、こうしてお茶とちょっと摘める菓子を持ってくるのは総司の日課であり、そのお茶を飲みながら、今日あった出来事を面白おかしく土方へ話すのも、おなじく総司の日課だ。 だが、当然ながら先ほどの原田たちの会話に関しては、全く出てこない。 本人を前にして、面と向かって言うのは憚られるのは、よく分かる。 分かるが、総司に隠し事をされたというのは、さらに土方を傷つけるだけだった。 普段は感情など仕舞い込んでおくびにも出さない土方だったが、もやもやした気持ちを持て余し、総司に対してはそうはいかないようで、土方は思い切って総司に聞いてみた。 「お前、俺に何か思うところがあるだろう?」 と。 「へ?」 言われた総司の方は、何のことやらさっぱり判らず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。 しかし、土方にしてみれば、すっとぼけられたような感じで、総司が憎たらしくなった。 悔しそうに顔を歪める土方に、心当たりの全くない総司は首を傾げるばかり。 総司を睨みつけている土方は、きつく睨んでいるのだが、その所為かだんだん涙目になってきた。 「ちょっと、土方さん。なんか誤解してません?」 総司は土方を宥めるように抱き寄せると、土方はその腕の中で嫌々と抗った。 が、腕の力が緩まないと知ると土方は、力を抜いて総司に凭れかかった。 それにほっとして、総司は滲んだ涙を吸い取るように、土方の目尻に唇を寄せて囁いた。 「ねぇ? いったい如何したの?」 優しく囁かれて、土方はぽつぽつと話し始めた。 先ほど聞いた会話を。 「だけどさ。土方さんって、冷たいだろ?」 原田が斎藤に同意を求めれば、斎藤はそうだったか? と首を捻るが、 「そうなんだよっ」 原田は何故か偉そうにふんぞり返る。 そして、当然というように、総司にもおなじく同意を求めるように聞いてきた。 「総司だって、思うだろ? 土方さんが冷たいって、さ」 総司が言葉を濁すように、 「うーん。まぁ、ねぇ」 曖昧に頷いたら、こっそりと耳打ちするように、原田は声をほんの少しだけ落として、 「辛くねぇ?」 「今は、ちょっとだけ……」 苦笑交じりに総司が応えれば、やっぱりと言うように原田の声が大きくなった。 「だろだろっ! その点、さぁ――」 聞き終えた総司の体が震えているのが、密着している土方に伝わってくる。 いぶかしんで頭を上げれば、笑いをこらえた総司の顔。 その直後、総司は大爆笑! 当然土方に、そんな総司が面白かろうはずがない。 なんともなれば、さっきまで切々と総司に訴えていたのだから。 「おいっ!」 こめかみに青筋を立てて、土方が大声を出せば、 「だって、土方さんったら、すっごい誤解なんだもの」 飄々と笑いながら、総司に言われてしまった。 「話の途中だけ聞くから、そんな勘違いをするんですよ」 総司が土方を抱きしめたまま、土方が語った話の前後を足すと。 まずは、 「おまさってば、冬でもぽかぽかと温かくてさぁ」 という、原田の声から始まった。 新婚で熱々の原田の惚気は、他愛もないものが多いが、この日のそれもそうだった。 「抱いて寝ても、気持ち良いのなんのって」 にやけた顔を隠しもせずに、言ってのけてくれる。 それに対して、惚気られた総司と斎藤は、さりげなく顔を見合わせて苦笑うしかない。 そのまま愛妻への惚気が続くのかと思っていたら、さっき土方が遭遇した場面となったわけだ。 そして、土方が去った後は、またまた原田の惚気が続いたのだが、いい加減聞き飽きた総司がにっこり笑って原田に止めを刺していた。 「冷たい土方さんが、腕の中で温かくなっていくのもいいよ」 と。 総司の言葉に思わず返答に詰まった原田だったが、総司は気にせず続けて、 「こう、白い肌がほんのりと赤く染まってさ。息遣いが荒くなっていくの。それにつれて体温が高くなっていってさ」 事情を知る兄貴分に、にっこりと言い切った。 「かーーー!! こりゃ、盛大に惚気られちまったなぁ」 一本取られたと原田は盛大に額を叩いて、 「そりゃ、左之助さんにばっかり惚気られちゃ敵わないもの」 がっはっはーー、と原田の笑い声があたりに響いた。 と、なるらしい。 どうやら、総司たちが土方を冷たいといっていたのは、土方の隊士たちへの態度のことではなくて体温のことだったらしい。 盛大な勘違いをしていたと分かって、土方は真っ赤になった。 途端、その体温も跳ね上がり、総司の鼻腔を土方の匂い立つような体臭が擽った。 「ねぇ? いったい何を勘違いしたの?」 総司の楽しそうな忍び笑いが、土方をさらにいたたまれなくさせる。 勘違いした訳など百も承知の癖に、ぬけぬけと聞き返す総司が恨めしくなる。 上目遣いに睨んでみても、赤くなっている顔では、総司に効き目などありはしない。 「ふふっ。土方さんが冷たいなんてことはないよ。体は冷たくても、心は誰よりも暖かいって、俺は一番知ってるもの」 土方が抱いた誤解を的確にあっさりと見破って、それでも、 「だから、俺の言葉を一瞬でも疑わないで……」 哀しそうに言われれば、土方には返す言葉の一つもなく、ただ総司の首に腕を巻きつけ口を吸う以外の術がなかった。 |
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