やじろべえは、右? 左?





斎藤が大坂へ行ってから、毎夜土方に求められ応えていた総司でしたが、今夜はどんな風に誘われても応えられませんでした。
それというのも、全くそんな気にならないからで、それどころか煩わしいとさえ感じる始末です。
今まで土方に触れられて嬉しいと思いこそすれ、そんな風に感じたことのなかった総司には、自分自身の感情なのに信じられませんでした。
しかし、どうやら今日の昼間に見た伊東との姿とか、先日の島田とのこととかがわだかまりになっていて、土方を疑うのは濡れ衣だと思いつつも、土方の女性に対する前科もあり疑心暗鬼になっているようです。
だから、気分が悪いからと、今夜総司は土方を拒んでしまいました。
理性では判っていても、感情は別だということで割り切れずにいるということでしょう。
今まで一度として拒んだことのない総司のそんな態度に、土方は本当に体調が悪いのかと心配しますが、総司はふるふると首を振ることしかできませんでした。
そして結局この夜は、土方に向き合えずに背を向けたまま、土方の腕の中で眠れぬ一夜を過ごした総司でした。
さて、その頃斎藤は……。


総司が今で言うカルチャーショックを受け、土方と少しギクシャクしだした頃、斎藤は如何していたかというと、大坂で不逞の浪士を追いかけたりと、日々任務に明け暮れておりました。
しかし、総司が土方とギクシャクすることになった原因の一つは、実は斎藤が作ったものだったのです。
それは先日のこと。
今日で捕まえた浪士の口から、大坂に潜む過激派の情報が齎されたのですが、それを知らせに来たのは伊東でありました。
その伊東の顔を見た途端、あるひらめきが斎藤の頭に浮かんだのです。
というのも、伊東は新撰組に入った当初から、試衛館派に並々ならぬ関心を持っており、中でも土方と総司にはそれだけでなく面喰いな伊東の琴線に見事に引っかかり、さりげなさを装って二人にちょっかいをかけていたからです。
普段そんな他人の思惑になど思い至らぬ斎藤ですが、総司が関わると成ればまったく別で、恋する男の敏感なアンテナに引っかかってきていました。
そのことを伊東の顔を見て思い出し、利用せぬ手はないと、斎藤は伊東を大坂にいる間に煽りました。
曰く、
「伊東さんのその類まれな美貌を持ってすれば、土方さんもイチコロでしょう」
と。
土方に宣戦布告した以上総司を奪わねば、男が廃るというもの。
そのためには少々卑劣な手段用いても、二人の仲に溝を作らなくてはなりません。
伊東に土方が誘惑されるなどとは、斎藤も微塵も思っていないですが、少しでも亀裂が入ればめっけものというものです。
そんな策略をめぐらしてからは、斎藤は夜毎想いが成就することを夢見ては総司を思い出し、時には鳥の姿で総司と交尾をする姿を思い描いたりして、京へ帰る日を指折り数えておりました。


ふわふわふわ。
土方がふと気づくと、いつもとは違う風景が、目の前に広がっておりました。
それもその筈、土方は空の上におりました。
見下ろした先には、綿菓子のような雲もあります。
ぱたぱたぱた。
後ろで聞こえた音に振り向くと、真っ黒いちっちゃな羽が立てる音でした。
その羽はなんと土方の背中から、生えているではありませんか。
慌てて自分の姿を確認すると、どうやら狼の姿ではありますが、いつもと違って子狼のようなミニサイズになっているようで、土方がどういうことだ? と、パニックになりそうになっていると、
「どうかしたの?」
と、聞きなれた声が掛かりました。
見れば鷹の総司が一緒に飛んでいます。
なんで? なんで? との思いから、俺にも羽が生えたんだ! とやっと土方が喜ばしい気分になったところで、ふっと唐突に意識が薄れてしまいました。
そして、土方が次に目覚めたときは変わり映えのない自室の布団の中でした。
目覚めてしばらくは状況が理解できず、徐々に夢だとわかるとがっくりときてしまった土方でありました。
それというのも、斎藤を大坂に追いやってから、しばらくは総司と甘々の蜜月を過ごして、邪魔者はいないとばかりに浮き浮きと過ごしていましたが、このところは暗雲が立ち込めているかのようだからです。
島田に襲われるわ、伊東に言い寄られるわ、総司には拒否されるわ、と全然いいところがありません。
それどころか、卵の頃から総司を育ててきて、総司のことなら何でも判ると思っていて、総司に拒まれるなどということが起こるとは、青天の霹靂といっていいほどの衝撃でありましたし。
それでも総司の元気のなさに、体の具合が悪いのかと心配してみたのですが、どうやらそうではないようなのも、嫌な予感に拍車を掛けます。
そこへ持ってきて、今日の夢です。
確かに土方は総司と一緒に飛ぶことのできる斎藤にある意味嫉妬していましたが、ここまでの夢を見るほどだとは自分自身で思っていなかったのです。
ですから、実際に目覚めて羽のない自分を見て、この清々しいばかりの青空が、とっても恨めしくなってしまいました。


ん?
なんか重い。
って、目を開けたら、一さんか。
あー、びっくりした!
金縛りにあったかと思った。
何かあったのかな? こんな夜中に。
起き上がろうとしたら、布団の上圧し掛かるようにして、顔を覗き込まれた。
ちょっと、一さん。近すぎるよ、これ。
でも、今まで見たことのない一さんの髭面が、なんだかすごく男臭くて。
こんなに近くで見たことないから、なんだか変な感じだよ。
ドキがムネムネ、じゃなくって!
えっと、きっとこんなに動悸が激しくなるのは、いろんなことがあって出た知恵熱が上がってるからだ。
うん、きっとそう。
「総司」
うわっ! 一さんの声ってこんなに腰に響くような、低音だっけ?
なんだか、むずむずする。
あ、腰って言えば、なんだか当たってるんだけど……。
この硬いものって、もしかして……?
え? 一さん、何処触ってるの?
こ、こらっ! ちょっと、ちょっとっ!!
バキッ! ドカッ!
うわ~~~~ん! 源さ~~ん!!
ばたばたばたっ!!!!!(脱兎っーーーー!!!!!)


あー、まずった。
久しぶりに沖田の寝顔を見たら我慢できなくなって、衝動的に襲ってしまった。
うー、大失敗だ。
まだ、好きだとも告げてないのに。
おかげで、今日は顔を見た途端、また逃げられてしまった。
落ち込むようなぁ、これって。
なんとか警戒心を解いて貰わんと。
そういや、沖田は井上さんのところに、逃げ込んだんだよな。
しゃべったんだろうなぁ。昨日のこと。
朝、沖田に近づこうとしたら、邪魔されたし。
今朝から俺の飯だけ異様に少なくて、なんかの間違いかと賄いの人間に聞いてみたら、井上さんの指示だって言ってたもんなぁ。
俺が腹壊してるから、しばらく少なくっていいって。
しかし、飯と梅干だけって、なぁ。
なんの我慢大会だ。
兵糧攻めってきついよな。
土方さんよりよっぽど前途多難だな、こりゃ。


総司を数日振りに自室に引っ張り込むのに成功した土方は、喜びもひとしおです。
土方は躍起になって総司の機嫌をとりました。
甘いお菓子をいっぱいあげたり。
稽古をさぼって遊びに出かけても、怒りもせずに迎えにいったり。
おかげで、総司も島田さんとのことは冗談だったと思っていましたが、伊東さんとのことも、「気にしすぎだったんだ」と思えるようになりました。
だって、土方がこんなにまめに接するのは、総司に対してだけですから。
だから今夜土方に誘われたときも、素直に部屋に入りました。
そして、土方に触れられれば、やっぱり土方が大好きなことを再認識しました。
触れられるだけで体が熱くなるし、鼓動も早くなります。
抱き合って体を重ねれば、土方の鼓動も早鐘を打ったように響くし、二つの鼓動もやがて一つに重なり合っていきます。
舌を絡ませあい、吐息を分けあい、数日分を今夜一日で取り戻そうと、濃密な空気が二人を包みました。


総司と原田は、大の仲良しです。
年が近いのもありますが、原田の破天荒さに総司が懐いているといったとこでしょうか。
今も原田の意中の人の勤める甘味屋に、二人揃って来ています。
意中の彼女を眺めながら、原田は鼻の下をだらーんとだらしなく伸ばしています。
総司は総司で、そんな原田を気にかけることなく、黙々とひたすらぜんざいを食べていました。
「ああ~~、いつ見ても、おまさ殿って可愛いよなぁ」
原田もぜんざいを食べながら、
「おまさ殿の本性って、鹿かなぁ?」
夢を見てるかのような口調で呟いたので、
「え? なんで?」
総司もちょっと興味を持って、聞いてしまいました。
「だって、俺さまは馬だろ。だったら、おまさ殿が鹿だったらぴったりじゃん!」
胸を張って堂々と言う原田に、どういう意味だろうと、頭ぐるぐるの総司は、
「馬と鹿って、ぴったりなの?」
と、聞いてみました。
こういうことには天然でおにぶな総司には、意味が全然判らなかったのです。
「そりゃ、当ったり前じゃん。精悍な馬の俺さまに、可憐な鹿のおまさ殿。おんなじ有蹄類だし、きっと相性もばっちり、さ」
と、おまさが鹿かどうかも判らないのに、一人その気になって得意満面な様子です。
しかし、同じ有蹄類とはいえ、馬は奇蹄目で、鹿は偶蹄目と、ちょっぴり異なるのですが、恋する男原田には、そんなことはどうでもいいようです。
「えっと、そういうのって大事?」
だって、総司と土方は、鷹と狼です。全然種族が違います。原田の論理で言えば、まったく掠りもしません。
だから総司は心配になって、首を傾げて問いかけました。
「そりゃ、そうさー。一生寄り添うんだったら、すっごく大事さ! その方が気も合うし、疲れないだろ?」
原田の言い分では、なるべく近い種族ならば、生活のリズムや食事の好みも同じで良い、ということらしいのです。
「狼と狐でも、そう?」
あんまり堂々と原田に自論を展開されたので、仲が良くないように見える土方と伊東のことが気になって、総司は聞いたのですが、原田はそうとも思わず、
「まぁ、おんなじイヌ科だから、見た目より気が合うんじゃねぇの?」
と、あっけらかんと答えてくれました。
「じゃあ、鷹と隼でも?」
恐る恐る総司が聞けば、
「おおっ。おんなじタカ目だし、最高なんじゃねぇの?」
けっこう原田は博識なようです。動物の分類がすらすらと出てくるのですから。まぁ、新撰組にはあんまり必要な知識ではありませんが。
「ほら、獣としても体格もおんなじくらいだし、体の相性も抜群じゃねぇ?」
などと、総司と土方さんの関係をすっぱり忘れて、原田はのたまってくれました。
もちろん原田に悪気なんて、これっぽちもありません。
ただ、狼と狐、鷹と隼が、土方と伊東、総司と斎藤ということに、思い至っていないだけです。
しかし、総司にとっては、そうではありません。
原田の発言は、爆弾発言です。
不発弾となって眠り続けるか、爆発してしまうか、それは神のみぞ知る、といったところですが。
さて、これからどうなるのやら……。


髭の生えている斎藤を見るたびに、総司はドキドキとしていました。
そして、そんな自分が不思議でなりません。
だから、斎藤と二人になるとどうしていいか判らない総司は、斎藤を避けまくりました。
しかし、仕事ともなるとそういう訳にもいきません。
もちろんそれは土方も同様で、なるべく一緒に組ませないように仕組みますが、とうとう都合がつかずに二人の隊を現場に向かわせました。
新撰組でも一・二を争う総司と斎藤に出張られては、浪士たちの反撃など赤子の手を捻るより簡単です。
あっさりと決着がつき、浪士たちは引っ立てられていきました。
そして、屯所に戻る道すがら、最後尾を並んで歩く斎藤は、意を決して総司に話しかけました。
「沖田――」
声を掛けただけで総司の肩がぴくんっと揺れるのを目の端に留め、斎藤は内心溜息をつきました。
沖田にそんな反応を返さすのは、斎藤自信の自業自得ですから仕方がありません。
しかし、これからもずっとそんな反応しか返らないのは遣る瀬無く、新たな関係を再構築するしかないので、
「話がある」
と、強引に沖田の腕を取り、隊列から離れて歩き出しました。
「え? ちょっとっ! 一さんっ」
沖田は隊士の手前もあり、慌てて振りほどこうとしますが、斎藤はお構いなしに沖田を引っ張りますし、いつの間にか斎藤が隊士にも言い含めてあったのか、誰も助けてくれません。
あんまり暴れても、隊服を着たままではみっともないと思った総司は、しぶしぶ斎藤について行くことにしました。
近くの人通りのない処まで行ったところで、
「この間は、悪かった」
斎藤は潔く頭を下げました。
「いきなりあんな真似をして、本当にすまん」
斎藤の言葉に、総司がどう答えようか迷っていると、
「だが、俺は沖田、お前が好きだ」
と、総司にとっては爆弾発言をされてしまい、固まってしまいました。
しかし、下げていた頭を上げて、じっと目を覗き込まれるようにして言う斎藤に、総司の心臓が跳ね上がります。
「それこそ、ああいう真似をするような意味で、だ」
友人と言う意味でないことも、斎藤は告げました。
ここで勘違いというか、はぐらかされては、元も子もありませんから。
「ただ、好きだと告げもせずにいきなり、お前の意思を無視して、ああいう真似をしたのは謝るし、二度としない」
斎藤は真摯に謝りました。
「しかし、虫のいい話かもしれないが、俺がお前に惚れていること、好きだということは知っていて欲しい」
無精髭を生やした男っぽい斎藤のきっぱりとした宣言に、総司はたじろぎながらも頷いてしまいました。


昨日から、総司は斎藤のことばかり考えています。
そんな状態では、土方さんのとこへ行ける筈もなく、かといって斎藤と一緒の部屋で眠れるはずもなく、昨夜は源さんの部屋に逃げて一緒に寝ました。
でも、なんだか取りとめもない考えが頭を巡ってよく眠れず、朝っぱらから眠たい総司です。
そんな総司は誰も来ない木の上に身を隠して、うつらうつらと舟を漕ぎつつ考え後の最中です。
だって、「好きだ」と、告げられたのは、初めてのことですから。
いえ、もちろん土方さんにも言われたことはいっぱいありますが、それは総司の中では当たり前なので、ここでは問題外です。
そして、土方以外の人間に告白されたのは、本当に初めてなのです。
それもこれも、総司の知らぬうちに土方が総司の周りの人間を、威嚇し牽制しまくっていた所為ですが。
だから、総司は色恋に関しては、お子様のままなのです。
総司も斎藤のことが「好きか」と聞かれたら、今までなら単純に「好きだ」と、すぐに答えたでしょう。
もちろんこの場合の「好きだ」は、年も同じで、一切の手加減をせずとも済む剣の腕前なところが「好きだ」と言う意味ですが。
しかし、今は同じように聞かれても、嫌いでないことは確かですが、同じように即答なんて出きません。
斎藤と同じような好きかどうかなど、総司にも判りません。
今では斎藤のことを考えるだけで、胸がドキドキと早鐘を打つようになりますが、それが斎藤だからなるのか、それとも単に告白してきた相手だからなるのか、それすらも総司には判らないのです。
いずれ判るときが来て、何らかの答えを返せるときが来るのでしょうか?




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