ベッドからずるりと半分体が落ちた瞬間、目が覚めた。
「ぅ…あ?」
何が起こったのかわからず、上半身がベッドから落ちた姿勢のまま、虎徹は間抜けな声を上げた。
寝起きはあまり良いほうではない。頭がはっきりするのには時間がかかる。
ぼんやりと周囲を見て、何度か瞬きを繰り返してから、ようやくここが自分の家ではないことに気がついた。壁の色も、置いている家具の感じも、そして今落ちかかっているベッドの感触すらも違う。
「……どこだ……ここ」
呟いた声は、寝起きのせいか掠れている。喉の痛みを感じながら、虎徹はようやく体をのそのそとベッドの上に戻した。そのまま上半身を起こし、改めて周囲を見ようとして、虎徹は動きを止めた。
かすかな寝息に気づく−−隣で誰かが眠っている。
つられるように見て、虎徹は軽く目を見開いた。
「……バニー?」
本名よりも先に、思わず愛称が口をついて出る。
バーナビー・ブルックスJr−−最近、虎徹がコンビを組むことになった新人ヒーローが、何故か虎徹の隣で眠っていた。
白い肌、癖の強い金髪に、緑の目。女性が好みそうな甘く整った容姿。最近巷で雑誌や新聞を賑わせている彼が、安らかな顔で目を閉じている。よほど深く眠っているのか、起きる気配は感じられなかった。
頬にかかった睫が案外長い。眠っているときは歳相応に見えるな、と虎徹は思う。いつもかけている眼鏡がないせいか、それとも冷たくこちらを見る目が隠されているせいか。
それにしても、と虎徹はバーナビーの体を眺める。細身だが、しっかりと鍛えられ、筋肉がついた体だと思う。日頃のトレーニングの成果が良く現れている。
でも、どうしてこいつ、裸なんだ?
ついでに虎徹自身も裸である。見てはいないが、下半身まで何も身につけているものがないのは、感覚でわかる。バーナビーも恐らく同様だろう。
ベッドの周囲を見れば、明らかに脱ぎ散らかしたのだろう服が散乱している。その中にはもちろん服に混じって、下着も落ちていた。
状況証拠は完璧に揃っていた。わかりやすすぎるほど、わかりやすい状況だった。
あまり考えたくない結論を導き出しそうになって、敢えて虎徹は思考を停止させた。
考えない、考えない、と自分に言い聞かせる。
とりあえずシャワーでも浴びるかと、立ち上がろうとすれば、あちこちが痛んだ。まるで慣れない運動でもした後のように、日ごろ使っていない筋肉が痛みを訴える。
ついでにあらぬところから、突き抜けるような痛みが走り、虎徹はぐっと息を止めた。
……だからまあ、そういうことなのだろうな、と思う。
振り返ってバーナビーの顔を眺め、虎徹はがりがりと頭をかくと、今度は痛みが走らないように慎重にバスルームを探しに向かった。
次に虎徹が目覚めたのは、自宅のベッドの上である。
ざっとシャワーを浴びてバーナビーの家を後にした虎徹は、タクシーにのって自宅に帰宅。そのまま再びベッドの上の住人となった。
そして目覚めてみれば既に夕方。
窓から差し込む日差しが赤いことで、そうと知る。
ベッドの上で大きなあくびをひとつして、虎徹はうーと呻いた。ぐっと伸びをして、脱力。ベッドの上に手足を再び投げ出す。
疲れはとれたような気がするが、流石に空腹を覚えた。何時間食べていないのか考えるのもいやだった。冷蔵庫に何かあっただろうかと思い、けれどこれから料理をすることを考えるとうんざりした。こういうときは、一人暮らしはつらい。
少し考えてから虎徹はベッドサイドに置いた携帯を手にとり、友人へと電話をかける。幸い電話はすぐに繋がった。
「アントニオ? 今から出てこれねぇか、食事しようぜ」
すぐに了承の返事をもらった虎徹は、もう一度シャワーを浴びてから適当な服に着替えると、特に急ぐでもなく待ち合わせ場所に向かった。
アントニオとはもう随分古いつきあいになる。彼と食事にいくことは珍しくなく、行きつけの店も何軒かあった。
そのうちの一軒である馴染みの居酒屋へと足を踏み入れれば、カウンター席には既にアントニオの姿があった。店の人間も虎徹の顔を覚えていて、すぐにいらっしゃいと威勢の良い声が飛んでくる。
「待たせたか、悪ぃ」
ちっともそうは思っていない表情で軽く言い、虎徹はアントニオの隣に腰掛ける。
「お前にしちゃ早かったな」
「そりゃ嫌味か。あ、生ビールひとつ」
軽口の応酬をして、カウンター越しに飲み物の注文をする。
テーブルにはアントニオが頼んだのだろうつまみが並んでいて、虎徹はそれに手を伸ばした。
「腹減った。先にがっつり食っていいか」
「あぁ、構わないが。食べてないのか?」
「昨日から全然」
言って、メニューを見ながら腹にたまりそうなものをいくつか注文をする。
「何してたんだ、一体」
「寝てた」
あっさり言うと、アントニオは呆れた顔になる。
「食事もできないくらいか。何時間寝たんだ」
「ん〜、二十四時間は寝たんじゃねぇか?」
昨夜のことは記憶にさっぱりないが、恐らくそれくらいにはなるだろう。
「そりゃ寝すぎだな」
あぁ、とあっさり認めて虎徹はすぐに出てきた生ビールをごくごくと飲んだ。
「疲れてるのか?」
アントニオの顔が心配に曇る。この親友は何だかんだといって世話焼きで心配性なのだ。特に虎徹のことを、目が離せない等と真顔でいうような男である。
「いや、そういうわけじゃねぇよ。俺はいつも元気だ」
苦笑して否定すれば、大きな手が伸びてくしゃりと頭を撫でられた。
「無理はするなよ」
「わかってるって」
軽く言って、虎徹は空腹を満たすべく出てきたフライドポテトに手を伸ばした。塩がしっかりふってあって美味しい。
「最近、あいつとはうまくやってるのか」
あいつ? と一瞬首を傾げ、すぐにそれが誰のことを指すのか理解する。
「やってるんじゃねえ?」
「お前な」
「別に喧嘩もしてないしな。バニーちゃんは、なんか一人でよく怒ってるけど」
虎徹からすれば驚くほどバーナビーは怒りっぽい。
彼は色んなことにすぐ腹をたてる。半分くらいは虎徹にも理解できる内容だが、あとの半分くらいはよくわからない。
それで口調だけは丁寧なまま、ちくちくと嫌味を言ってくるのだ。
バーナビーというと、むっとした顔か、または冷たい蔑むような顔のどちらかしか思い浮かばないのだから、どれだけの頻度で彼がそんな表情を浮かべているのかがよくわかる。
「なんであいつはああ細かいのかね」
この前だって、と虎徹はつい先日バーナビーとやりあった件を話してみせる。会社にあるデスクで、虎徹がちょっと飲みかけの缶コーヒーやら雑誌やらお菓子をそのあたりにおいていただけで、バーナビーが怒り出したのである。
曰く、もう少し片付けをちゃんとしてください、あなたが使った後は汚すぎます、だそうだ。
確かに少しごちゃごちゃしていたかもしれないが、そこまで言うこともないと思う。
「お前は母親かっつうの」
昔から生理整頓は苦手だった。今の自宅は、たまに来る母親のおかげで何とか人が住める状態を保っているが、もしそれがなければ悲惨なことになっているだろう。
「それは、お前が大雑把すぎるんだろう」
「そうかあ?」
「そうだ」
溜息まで吐かれてしまった。
なんだよ、と拗ねた気持ちでアントニオを見れば、またぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
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