救済 7


その日の夜、宿屋の自分に割り当てられた部屋で休んでいると、ドアがノックされた。

あいつだ

私はあいつが、部屋に訪れることを予想していたし、正直言うとどこかで期待していた。
それがどうしてかは分からないけれども。

けれどもノックを聞いた瞬間、私の体はなぜか強張る。
その木製の扉が叩かれる音に、ノックもせずに部屋に入ってきたお父様や、サーベルト兄さんのことをなぜか引きずられるように思い出しながらも、どうにか私は
「入らないで。今、あなたと話したくない。」
とドア越しに、あいつに訴えた。

怖いの
私に部屋に入ってこないで!

お父様、どうして?
サーベルト兄さん、どうして?

私が幼かった頃に繰り返された悪夢が蘇り、ひどい恐怖を覚えて、私は泣いた。
ベッドの上で身を縮こまらせて、私はぼろぼろと溢れてくる涙を洋服の袖口でぬぐった。

どうかしている

それでも、あいつはノックを続けた

こわいこわいこわい

私はもう一度、拒否の言葉をドア越しにかけようかと思ったけれども、口元が普通の調子の言葉を紡げないくらいに震えていることに私は気づいて、ベッド脇の床に置きっぱなしだった、旅の道具がはいった袋をドアに投げつけた。

バン!

思ったより大きな音がして、私の肩はおもわずびくりと震える。
懸命に私は動揺を悟られまいと『うるさいわね!向こうへ行って!』と叫んだ。

その声は自分でも驚くほど掠れていて、果たしてあいつに言葉としての意味が伝わったのかは分からない。
ただの雑音のような私の叫び。

一瞬の静寂のあと、今度はあいつはドアノブを捻った

ガチャガチャガチャ

安普請の金具は派手な音を立てる。

「やめて!やめてよ!あっちへ行って!!」

私の部屋に入ってこないで!!
お父様、どうして?
サーベルト兄さんどうして?

ガチャガチャガチャ

まだ金具の音に、そしてドアがガタガタと揺れる音が続く。

どうしてドアを閉めたんだい?
またこんなことをしたら、兄さんはゼシカを殺してしまうよ?
生意気な、お前はアローザと下男との穢れた子供なのだから大人しくしていろ。

「わかったから!おねがい、止めて!いまドアを開けるから!」

ああ、自分で考えていたより私は歪んでいる。
自分の意思とは無関係に色々なことを思い出して、私は、それでも震えながらそうドアに向かって叫ぶと、重たい足取りで、ドアのほうへと行き、なるべくゆっくりとドアを開ける。

ドアの向こうには、どこか必死そうなあいつがいた。
あいつの息は乱れていて、そして酷く瞳は動揺しているように落ち着きがなかった。

「・・・ゼシカ・・・俺、ゼシカに何か悪いことした?」
「・・・」

彼は、私に対して何一つしていない。
彼の行いが私の心を傷つけた、と言ってしまうのは酷く自分が思い上がっているような気がしたから、私は何一つ彼に弁明できなかった。

「・・・どうして俺を無視するんだ?」
「無視なんか・・・」
「いいや、している。ほら、今だって。」

私は今このときもあいつの顔を見ていなかった。

「思い過ごしよ。」
「・・・」

気まずい沈黙が流れる。
いつもの彼なら「そっか、じゃあお休み。」とでも言って、さっさと部屋から出て行ってしまっただろう。
けれども今日は、違った。

「・・・ゼシカ・・・どうしてだよ?」
「・・・」

断片的な質問。
十分に意味が分かるけれど、私はあえて分からないような顔つきで、こんどは意識的に彼の顔を見た、といより睨み返した。

「・・・ねえ、ククール。私は・・・アンタは自分がやってきたことを人にやっても平気な人間だったんだ、ってちょっとがっかりしただけ。」

ああ、こんなこというもんじゃないわ。そう言葉の途中で思ったのに、口の動きは止まらなかった。

その私の言葉に、彼は、自分が昨夜どこに行ったのか思い出し、そしてその行き先を私につけられていたということに思い至ったようで、一瞬にしてその丹精な顔つきが引きつった。

「・・・まさか・・・」
「・・・そう、そのまさかよ。」
「・・・」

そう、私は昨日、あなたの後をつけて、売春宿が立ち並ぶ町外れまで行ったの。
そこまで言わなくても、彼には十分のようだった。

「・・・だから、私はいま貴方と口をききたくないわ。
失望したわ。どうして?どうしてあんなことができるの?」

その私の言葉にククールの表情はめまぐるしく変わる。
けれども、結局は誤魔化すことを諦め、そして開き直った。

「・・・ゼシカには分からないだろうけれど、男はそう言うものさ、たとえ自分が男相手に売春していたって、溜まるものは溜まる。
・・・それとも、ゼシカが抜いてくれるっていうなら、俺は嬉しいけど?
別にゼシカは非難するだけして、俺の欲求不満を満たしてくれるわけじゃないだろう・・・?」

そこまで言い終えたあいつの顔を、私は思い切りひっぱたいた。

彼の選んだ選択肢は分かっている。
そういう下卑た言葉で私を遠ざけることで、自分の深いところまで踏み入れられたくないんだ。

けれども、反射的に私は彼の、白い顔を思い切りひっぱたいた。

「・・・っ!」

少しだけよろめいて、ククールは笑う。

ハハハと

楽しそうに
悲しそうに

手で顔を覆い隠して。
彼は笑った。


「やめてよ、・・・やめてよ!!」
私は酷く悲しくなった。
私は彼のことなのど何一つ分かっちゃいない。

私のその戸惑いは、彼に届いているのだろうか?
それともただ不愉快だから他人をひっぱたいたという事実だけ、彼は受け止めたのだろうか?

私は、彼の笑いからそのどちらも分からなかった。

「・・・ごめんね。」
私はようやく笑うのをやめた彼に言う。
きっと聞き取れないくらい私の声は小さかったに違いない。
その私の、果たして誠意が篭っているのかどうか疑わしいような謝罪の言葉に、ククールはまじまじと私の顔を見る。

「・・・気にしちゃいないさ。もとはといえば俺の不埒な行いがゼシカにそうさせただけだし。」

・・・それとも、ゼシカが抜いてくれるっていうなら、俺は嬉しいけど?
別にゼシカは非難するだけして、俺の欲求不満を満たしてくれるわけじゃないだろう・・・?


ようやく口元だけで、彼に微笑み返そうとしたけれど、先ほどの彼のセリフが、私の心の中でまだ引っかかっている。
私も、彼の中では『女』だったのだろうか?
私は少しだけ戸惑う。
彼は冗談で言っただけだと思う、けれども勝手に裏切られたような気がした。

「お願いだから、今日はもう帰って。」
「・・・ああ、お休み。ゼシカ。」
「うん・・・おやすみ・・・」

そう私たちはどこか不自然な挨拶をして、その日の夜は別れたのだった・・・



翌朝
私は昨日破れてしまった服を処分し、仕舞いっぱなしだった、リーザス村から持ってきた服を着た。

兄さんが好きだった、胸元の隠れた地味な服

昔はなんとも思わなかったのに、私はこの服を着て、なんとなく・・・不思議と居心地の悪さを感じた。

変な話かもしれないけれど、自信が持てなかった。

今までは私の体を眺め回す視線を不愉快に感じていたのに、けれどもこういう地味な服を着ることによって、誰も私を振り返ってくれないのではないか、世界から認識されないのではないかと不安を感じた。

私は晴れない気分のまま、ドアに投げつけたままにしてあった道具袋を拾い上げて、そして一晩限りの部屋を後にしたのだった・・・







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