救済 8


俺は彼女に引っ叩かれた。
けれども、痛みは感じない。

あのときのようだ

『僕』は兄さんに思い切り殴られたとき、痛みはほとんど感じなかった。

ただ心が痛かった。
だから、俺はその不安な気持ちを落ち着けさせようと笑った。
なぜ笑えるのかと問われても理由はわからないけれど、俺は笑った。

殴られた俺よりも、殴った彼女が悲しそうに『笑うな』、と言う。
そして次には彼女は俺に謝罪する。


なんで彼女は謝ることが出来るのだろう、彼女を傷つけたのは俺なのに。
いや、傷つけたというよりも、心を乱したのは俺なのに。

気にしていない、というようなことを俺は言うと、彼女は泣きそうな顔をした。

そんな顔はしないでくれ。
悪いのは俺なんだ

いつだって俺は、周りの人間の心をかき乱してしまっていると思う
彼女の泣きそうな顔に背を向けながら、俺はまた、いつものようにアイツのことを思い出した・・・




翌日、彼女は地味な格好をしていた。
初めて見るその格好は、以前彼女の言っていた『サーベルト兄さんの好きな地味な格好』なのだろう。
なるほど、彼女を支配する男が、こういう格好を好み、俺が彼女に出会った頃には既に着ていた華美な服装を忌むのも良くわかる。

君の兄さんは、君を独占したかったんだよ

彼女にそう言いたかった、君の兄さんは間違いなく君に興味を持っていて、君を独占したかったのだと。
けれども、昨日のことがあったから俺は何も言えずに、何となく彼女と微妙な距離を置きながら出発前の買出しに付いていく。

「ねえ、エイト、私、ちょっと新しい服を買いに行きたいんだけれど、いいかしら?」
ゼシカが道中言うと、エイトは「そうだね、じゃあククールと二人で行ってきたら?僕とヤンガスだけで道具の補充は大丈夫だろうから二人で行ってきなよ。」という。

「・・・ちょ」
俺は一体何を言い出すんだ、というようにエイトに抗議しかけたけれども、ここでなにかムキになるのも変だと思った矢先、ゼシカが「わかったわ、じゃあ二人でいってくるから道具の買出しはよろしくね、ありがとう」と言った。

俺は何ともいえない居心地の悪さを感じながら、それでもやっぱり微妙な距離を置いてゼシカの後ろを付いていく。
「ねえ、見て、あの服かわいい。」

ゼシカが俺の手を取る。

そして彼女が見ている方向には、子供服。
彼女が着たいわけでは勿論ないだろうけれど、子供用の服がずらりと並んでいて、俺はこういう店に足を踏み入れたこと、いや前を通りかかったことすらないことに思い当たる。

掴まれた手

手袋越しでも柔らかい感触に、俺の不安は更に増すような気がした。

彼女の興味はどんどんと移るようで、めまぐるしく視線の先を変えながら『あれがかわいい』『これがかわいい』と、子供服は勿論、年頃の女性服にまで色々なコメントをつける。

「・・・ねえ、アンタはどっちがいいと思う?こっち?それともあっちの白いほう?」
そう彼女が聞いてきたのは、乳児用の服で。
どう考えても彼女の服ではない。
ましてや彼女に子供はいない、はずだ。

「・・・白かな。」

そんなことどうでもいいじゃないかとも言えずに、そして俺は彼女が一応はおとといまでと変わらずに接してくれようとしているのが判ったから、俺はロクにデザインを見もせずに要領よく答える。

「あ、やっぱり?」
そう言ってクスクスと笑いながら、手に取っていたブルーの乳児用の服を棚に戻す。
「やっぱり赤ちゃんの服は小さくて可愛いな」

彼女の言葉に深い意味がないことはわかっているけれど、赤ん坊の誕生を望んでいるような彼女の発言に俺はまたしても居心地の悪さを感じながら、気の利いたジョークも思いつくことも出来ないまま立ち尽くす。

「・・・何固まってるのよ?まさか変なこと考えてないでしょうね?
リーザスでの幼馴染がこの間妊娠したって聞いたから、今度里帰りしたときに何か服でも贈ろうかな、って思っただけよ!?」

そう言いながら、彼女は俺が何となく賛同した白いほうを店員に言って綺麗に包んでもらうと、自分の道具袋に入れる。
俺は今更ながらにそういう健全な人間の営みに自分が無縁だったことにショックを受けた。

友人がいて、家庭に子供が出来て、祝福する

「・・・さてと、じゃ、次は私の服ね。興味がなかったらアンタはどっか他の所に行っててもいいわよ?」
そうゼシカは気を利かせてくれたけれども、俺は首を振って、ようやく今日はじめて普通ぽく話すことが出来た。
「いや、俺も一緒に行っていいかな?女の子の服選びなんて初めて見るしさ。」
「なにそれ」
ゼシカはあまり本気には取らなかったようで、でもクスリと笑って『途中で飽きたなんて言ったら怒るわよ?』と言うと、店を出て、どんどんと彼女の年齢に合う洋服を取り扱う店の集まるエリアに向かう。

「ねえ、こっちとこっち、どっちがいいと思う?あ、ちょっと待って、あっちのほうがいいかな?」
彼女はうれしそうに色々な品を並べて、鏡の前で体に当てて、サイズを見て、値段を見て、そして何点かを試着して、俺に一応色々な意見を仰いでいるのにもかかわらず俺の意見は無視して服を選んだ。

彼女の胸を強調するような、胸元が大きく開いたセクシーな服

そんな服を選ぶ彼女に俺はどういうわけかまた少しだけ不安を覚えて、けれども、支給された制服以外の服などここ十年は軽く着ていない俺が口出しするのも変かと思い、『それがいいのか?じゃあ俺が払うよ。』と言った。
すると彼女は『いいのよ、自分の服なんだから。』と遠慮をするけれど、俺は彼女の服が破けてしまったのは自分のせいと思っていたから半ば強引に自分の財布から銀貨を数枚取り出し、払った。

「ありがと。」

そう言って笑う彼女を、俺は初めて、急激に抱き寄せたいと思った。
けれども、俺はその気持ちを抑えて「気にすんなって」とわざとぶっきらぼうに言い、そしてひらひらと手を振った。

そう、なぜなら俺たちは唯の旅の仲間なのだから・・・・




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