眩暈 3
ある日のことだった。 私たちはようやくたどり着いた町で、宿を取った後それぞれ自由時間ということになった。 エイトはトロデ王の命令でミーティア姫の世話。 ヤンガスはなんでも古いなじみがこの町にいるとかで、裏道のほうに消えていった。 私はそろそろ化粧品や、そういうこまごまとしたものが切れ掛かっていたので、買出しに行った。 そんなとき、あいつは酒場にいたみたい。 買出しの帰り。宿屋への道すがら、ちょうど酒場の前を通りかかったとき、その騒ぎは起きていた。 いきなりだった。 柄の悪そうな男がドアから飛び出してきたのは。 正確に言うと飛び出してきた、というより屋内から投げ飛ばされたのだったけれども。 私はびっくりとして呆然と立ち尽くす。 そんな私の足元に男は転がっていて苦痛の悲鳴を漏らしていた。 「この売春野郎が!!」 男はそんなセリフを吐き出すと、たたき出されたときにしこたま地面に打ち付けたらしい右肩を押さえながら結構な早足でその場から去っていった。 「馬鹿じゃねぇの?」 そんな男の捨て台詞に応えたのはあいつだった・・・ 「ククール、アンタ一体こんなとこで何やってるのよ!?」 私は思わず叫んでしまった。 その私の声にはじかれたように、あいつは私のほうを振り返った。 その顔は、明らかに驚愕に満ちていて。 まさか私がこんなところに居合わせるとはこれっぽちも思っていなかったみたい。 「・・・今の・・・アンタがやったの・・・?」 確かに柄の悪そうな男だったけれども、所詮チンピラだ。 そんな男相手に正式な訓練を受けた騎士が暴力を振るうなんて、私には信じがたい行為だった。 それに『売春野郎』という罵倒語・・・ そんな罵りの言葉は、男が男に使ったりはしない。 いくらあいつの顔が『作り物みたい』に整っていたとしてもせいぜい性差別的な罵倒だろう。 「ゼシカ・・・」 「・・・」 周りに集まってきた見物人も、ざわざわとどよめいている。 ククールの着ている制服は、一般人の着られるものではない。 騎士のものだと分かるけれども、飛び切り目立った紅い服。 それになによりそれを着ている人間はその服より目立つ外見だから。 そんな人間が、チンピラを酒場の外まで殴り飛ばしたか、蹴り飛ばしたのだ。 「・・・帰りましょ!」 私は、なんだか自分までもが見られているような気になって、まだ酒場の入り口で固まったままのあいつの手を引っ張る。 ああ、いやだ 人の目のあるところは、嫌いだった。 私は本当にその場から逃げ出したくて、けれどもあの場にククールを置いてきたらもっと騒ぎが大きくなるかもしれないと思って、たぶん、初めて私のほうからあいつに触れた・・・ 「・・・聞かないのかよ、なんであんな騒ぎを起こしたのか。」 強引に私が宿の入り口まであいつを引っ張ってくると、あいつは言う。 「聞きたくないわ。大体どういうつもり? アンタ一応騎士でしょう?それなのに、あんなチンピラに暴力ふるって酒場で騒ぎを起こすなんて。」 聞きたくないわ、と言いつつも私は意識せずとも質問攻めにしてしまった。 するとあいつは言う。 「あの野郎、『今日はヒマかい、なんだったら今夜一晩買ってやるぜ、お嬢さん』て言ったんだよ。」 「・・・そんなの・・・」 ただのタチの悪い酔っ払いが絡んできただけじゃない、といいつつも、私はあいつの顔に並々ならぬ嫌悪の表情が浮かんでいることに気づいて口を噤んだ。 あいつの表情はいつも結構な頻度でめまぐるしく変わるけれども、こういう嫌悪の表情を浮かべるのは・・・大抵『昔話』、それも『兄貴』の話をするときだけだったから・・・ 「・・・それでついカッとなってやっちまった・・・」 「・・・」 私はそれ以上ククールを非難できずに「そう」と短くつぶやく。 そうするとククールは言う。 「なあ、ゼシカ、君は俺がどうして普通の聖堂騎士団員が着る様な青い制服を着ていないか知らないだろう?」 「知らないわ。」 唐突なククールの言葉に私は戸惑う。 確かに言われてみれば、紅い制服の聖堂騎士団員というのは私は今まで見た事がなかった。 「聞いてただろう?あいつ・・・最後に『売春野郎』って言ってたのを・・・」 お願い、それ以上言わないで 「俺は教会専属の、売春を専門にしていた騎士だったんだ・・・」 「・・・」 どうしてそんなことを私に話すの? 私は眩暈に襲われる。 「この紅い制服はその印。俺には青い制服なんて最初から支給もされなかった。 この色は女の、それも体を売る女の色、って散々『出張先』ではからかわれたし喜ばれたものさ・・・ さっきのチンピラはその話を知ってたんだろう。マイエラあたりじゃ俺は有名だったからな・・・」 「・・・」 私はもしかしたら泣きそうな顔をしていたのかもしれない。 まっすぐにあいつのことを見つめられずに視線をさまよわせる私にあいつは言う。 「なあゼシカ、このことはエイトやヤンガスには言わないでくれ。 俺はあいつらの前では『普通』の『人間』でいたいんだ・・・」 「うん・・・」 言えるわけ無いじゃない。 いつもの私ならそう言ったかもしれないのに、私はその「うん」という返事の声すら震えていることに、脂汗をかく。 胸が苦しい サーベルト兄さん・・・ 私は、急にサーベルト兄さんのことを思い出す。 「ゼシカ、一体どういうつもりだい、そんなに胸の開いた服を着るなんて。」 兄さんは言った。とても不快そうに。 私が教会の脇で全てを思い出したその次の日、私は今までのきつく胸元を隠すような地味な格好は止めた。 なぜだか理由は良く分からなかった メイド服から覗いた、ハンナの小ぶりな胸がうらやましく感じたのかもしれないし、自分の必要以上に膨らんだ胸が疎ましかったのかもしれないし。 そんなことは、私が服を変えた理由にはならないと思うけれども。 私は変わりたかった。 今までの自分とは違う『もの』に。 だから服装を変えた。 すると村の男たちの視線は、いつもとは違うものになった。 馬鹿みたい。 私の心はどんどん冷めていく。 どんどん無感動なものになっていく。 ただ一人サーベルと兄さんだけが苦い顔をした。 それがなんとなく小気味良くさえ感じた。 それからすぐにサーベルト兄さんは私の寝室に入り込むことを止めた。 それからすぐに、サーベルト兄さんはお母様が決めたサザンピークの婚約者に沢山の贈り物をした。 それからすぐに相手の女から沢山の返事の手紙や花がサーベルト兄さんの部屋に送り届けられた。 それからすぐに・・・サーベルト兄さんは冷たい土の下に埋められた・・・ 「こんな話聞いて気分悪くした?」 ククールが静かな声で訊ねる。 「いいえ・・・なんでもないの」 ひどい眩暈だった。 ずるずると芋づる式に私はいろいろなことを思い出して、よろめいた。 ククールはよろめいた私を支えようとして、そして触れそうになった手を、まるで熱いものでも触ったように引っ込める。 その奇妙な彼の様子に、私は戸惑うと、ククールはやりきれない、という顔で言う。 「俺みたいな人間に触られたくないだろう?さあ、ゼシカ、本当に具合が悪そうだから部屋に戻って寝るんだ。それがいい。寝ればすぐ明日はやってくるんだから・・・」 「そんなことない」と言いたい私には有無を言わせずに、ククールは言葉を続けて一気にそう言うと、やっぱり私には触れずに「おやすみ」と手を振る。 「・・・うん・・・おやすみ」 そして私は随分暗い気分のまま、自分の部屋に戻ったのだった・・ Next→ |